先日、白洲次郎と正子の武相荘を見学する機会がありました。
本質的で真理に沿った生き方を実践してきた二人の生きざまが、住まいのあちこちに観て取れ、自分の生き方にも通じるところがあり大きなインスピレーションをいただきました。
養蚕農家の住まいを買い取って、それを改修しながら使ったとのことですが考え方の基本に、「無駄のある家」の方がいいと定義しています。そこには「いくら細かく効率よくと. 計画しても住んでいくうちに必ず、不自由さは出るものです。 『造りこみ過ぎても人が建築に左右されてしまう。 だから田の字型の農家は都合がいい。」という考え方です。
これも生き方がでてきて共感できました。道を歩んでいく中で出会うものを大切にしていくということ、住まいも道具も、使い切ってこそ活かされてこそ意味があり真価があるという姿勢が観れます。
実はここ武相荘からは本当に多くのインスピレーションがあったので書ききれないのですが、面白い「書」が額に飾ってあったので今回はそれを紹介します。
福沢諭吉の晩年の「造化と境を争う」からの一文、「束縛化翁是開明」と書かれたものです。
これは「造化の神(自然)を縛り上げ、是を人間の生活の幸せの為に使いこなすこと、是が文明開化というものだ。」という意味で紹介されています。
これは分かりやすくいえば、ダムや川をセメントで固めて山や川を固定し続けて都市を維持するのに似ています。本来は、自然は天候の変化、地球の躍動に合わせて変わりつづけるもので先人たちは自分たちの方が自然に合わせて自然と一体になり共生に努めてきました。しかし、そういうものを力で押さえつけ縛り上げて使おうとする中に限界が来ると災害に見舞われどこまでが境界がということを学んでいたのでしょう。
その武相荘のトイレには、白洲正子の言葉で「日本人ほど文化文化とわめきながら、文化を大事にしない国民はいない。 それは、自分自身を大事にしない事に通じる」 と書かれていました。
武相荘には、その道具、そこでの暮らし、そこでの生活に思想や哲学が醸成されていて清々しい雰囲気が全体から醸し出されていました。私の目指す将来の家のビジョンもシンクロし、本当に有難い体験をさせていただきました。
最後に自称兼業農家と言っていた白洲次郎の人間味のある言葉がありました。
「世の中でいちばん好きで、いちばん尊敬しているのは母だ」
まだまだこの夫婦の生き方の結晶、その武相荘から学ぶことがたくさんです。
引き続き深めていきたいと思います。
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「鉄より硬い植物素材」を開発した矢野教授は、ある台風の日に、激しい風雨にも負けず立ち続ける木々を見て、「木は、強くなりたがっている」と感じ、自然の木が持つ本来の力を生かす研究を始められました。目をつけたのが「セルロース」。これを植物から取り出し、ナノレベルにまで分解して、まったく新しい素材をつくることに成功したのです。矢野教授は言います。「材料のうち、99.9%は既に植物がやってくれている。残りの0.1%を人間が知恵を一生懸命に出すことで、材料としての形に変えていく」と。ほんとうの「造化との境」というのは、この辺にあるのではないでしょうか。
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武相荘の由来になっている、「武蔵の国・相模の国」においても由来があり、無愛想と掛け合わせるそのセンスに生き方を感じます。無愛想と込めることで社会に対しての挑戦のようにもとれ白州次郎がどんな人だったのか想像するとまた面白いです。
先日「日本が二度と立ち上がれないようにアメリカが占領期に行ったこと」(致知出版)という本を読みました。その中で白州氏が登場していたかは気付かなかったですが、アメリカが日本という構図だけでなく、日本はアメリカにどうしたかも見ていかなくては偏った見方になってしまいます。物事を広く厚く見ていきたいと思います。【●】
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生き方が様々な知恵を生み出し、実践を生み出すのだと強く感じます。今の自分自身の家を見ると便利なものに囲まれ、不要なものに囲まれていますが、これでは出る知恵も出ないと感じます。
また、今の家族にとって、自分自身にとって何が不要なものなのかを考えると便利さが良いと求める心だと感じます。もっと手間暇に楽しみを見出して行きたいと思います。
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文明というものが自分たちに都合の良いとされるものだけを追い求めていくもののように感じると、それが生き方にも繋がるようで恐ろしく思えます。自分都合の変化は進化ではなく寧ろ退化かもしれないということを戒めとし、いただいた機会は選ばず受け取っていきたいと思います。