自由の関する責任についてもう少しだけ掘り下げてみます。
責任というものはそもそも人間を信頼しないというマネージメント下では押し付けられたり与えられたりするものです。世の中では、責任というものは取らされるという考え方をもっている人も多くいます。一人で多くを抱え込み、一人で全部の負担を負うようなことをするのもこの責任というものの認識がかかわっています。
しかしもし責任をそもそも人間を信頼するというマネージメント下で動いているとしたらそれは認められている証拠をしての責任感が育ちます。これは自分も組織の中で自立した一人として認められているのだからその役割や責任を果たしたいという具合です。周りが認めてくれているというのは、仲間のために協力したいと実感するということです。
信頼するというのは認めているということですが、自分が認められていると実感すればするほどに周りの人たちのために貢献したいと思うようになるのです。
これが集団というものです。そしてこの集団というものにも、そこにはどのような集団になっているかという理念によって集団での働き方も異なっているのです。
本来は集団というものは、お互いが認め合うところで集まって何かを為す組織です。そこがもし目的だけを重んじ、人間は卑下して効率や生産性のみを追求する組織になれば人は入れ替えがきくパーツのようになってしまいます。そうなると人は、信頼で関係を結べず誰かによって管理されることで集団を形成しようとします。そうなると個々がバラバラにならないようにすることがもっとも重要なマネージメントになるのです。
しかしもし集団が人間を尊重しつつ目的を達成するとなれば、非生産性な時間や非効率であってもそれが幸福につながるのならばと対話を大切にする組織になるのなら人間はますます周囲を信頼しその集団を大切にしようとするのです。
そうなれば管理するのではなく、見守り合い助け合い協力し合うといった組織になるのです。これは得意なところを活かしあいみんなで一緒に乗り越えていこうといった総力を合わせたマネージメントになります。
畢竟、責任というものはその人間がどれだけ自分を周囲へ貢献していこうとしているか、その社會の中で自分から周りのためにと協力をしていくかということに尽きるように思います。それは感謝が根っこにあるからこそ自分からもっと任せてもらえるようなことを実現したいと願うのです。
より善い社會貢献をしていこうと願う心に責任が一緒にあるのだから、責任を学び続けるためには常に認め合い助け合う風土を醸成していくことが何よりではないかと思います。自由というものは、信じるということです。
信じることが自由なのだから、信じられているからこそ自由を実感し、その自由を得ているからこそ自立しようと願う。そして自立できていると実感したとき、自分自身の責任に出会うのでしょう。
責任があるところには自由があり、自由があるところには自立があり、自立があるところには信頼があり、信頼があるところには感謝があるのです。
人間尊重の大切さというのは、お互いを同じ人間として大切にしていこうとする思いやりや真心があります。どのようなマネージメントを用いるかは、そのリーダーの考え方でしょうが人材を流用するだけか、それとも人材を育成するか、短期的にみるか長期的にみるかはその人次第です。
子どもたちの未来のことを思えばどちらを選べばいいのかはすぐに理解できます。保育や教育に関わる会社だからこそ常に責任を正しく理解できるように精進していきたいと思います。
コメント
自分のことを心配、思う時間が増えるたびに責任や自由が体を痺れさせていく感覚を得ます。この痺れを取るのには初心を思い出し、心の穢れを取り払うのが一番ですが、なかなか頭では取り払えず、結局一番大事にしているのは、考えずにまず行動をしてしまうこと。
動くと痺れが取れ、痺れが取れると初心で動けるように感じます。心が痺れないように、そんな時は挑戦と行動を大事にしていきたいと思います。
コメント
何でも出来る環境の中で実行に移せるのは、自由度が高いことを指しているのではなく次にどう活かすかを意味していることを感じています。社内においても次から次へと新しい実践が生まれるのも、相乗効果と楽しさがもたらしているからなのだと思います。「自由」とは何だろうかと考え難しいと感じるのは「free」の意味とはニュアンスが異なるように感じるからかもしれません。お互いを大事にする中で意味をつかんでいきたいと思います。【●】
コメント
製造業をしていた頃は徹底管理の中で仕事をしていたからこそ、信頼されることの有難さを感じます。与えられた責任よりも、信頼され自由を認められた中で感じる責任は心に染み入るようで感覚が全然違うものだと実感ます。人の成長を信じるように自分の成長も信じていきたいと思います。