人が素直になるというのは、自分の間違いに気づき変化するということでもあります。
自分が間違っていない、自分が正しいと思い込んでいると人は素直にはなれません。他人の話に耳をよく傾け、または自分の心で反省ができなれば己の正しいという思い込みに負けてしまうからです。
相手が自分の思い通りになっていないときや、自分が思っている理想とのギャップがあったというのは、自分がそうあってほしいと思い込んでいるものです。きっと相手は自分にこういう対応をするはずだと信じたり、きっと相手はこう思っているはずだと自分の先入観に照らしてその物事を判断しようとするからです。
自分の妄想ともいえる自分の迷妄想をいくら照会したとしても、相手は自分ではないのだから思っているような反応とは限りません。相手を思いやることをせずに、相手の反応を見てはどのような評価をされるのだろうと気にしてばかりいたら萎縮してしまって本音を出せなくなるものです。
人は相手のことをきっとこう思っているだろうと思い込んでしまうと、それを気にして対話が正しくできなくなるものです。これは自分自身との対話でも同じことを言えるように思います。
自分の持つ先入観、言い換えればセルフイメージが先行し、「自分はこう思われているから、自分には向いていないからとか、カラーではないとか」等々、自分の今まで生きてきた思い込みの価値観でしか物事が見れなくなると誰とも本心や本音での対話ができなくなるのです。
本来は他人との対話でも同じですが、先入観を持たずに素直に聴いて謙虚に学び修正していけばいいことですが自分の先入観や価値観のメガネを外せなければ出会って出会わず、気づいて気づかずということを永遠に繰り返してしまうものです。
先入観を取り払うほどの体験ができたり、先入観は間違いだったと信じられるような経験が得られるとそこも変化しますが普段は言い訳をしたり避けたり逃げたりしながら停滞を続けてしまうものです。
私は停滞を抜ける方法は「思いやり」ではないかと感じています。自分のことを気にしなくなるほどに相手のことを大事に思いやったり、自分がどう思われていようが構わずに相手を大切にできる方に勇気をもって行動し実践するとき自分自身のとらわれがなくなっていくからです。
相手を思いやっていると自分の苦労が気にならなくなります。具体的に思いやりを一つ一つ形にしていたら自分の先入観が間違っていたことに次第に気づきメガネが外れていきます。実際に私が仕事で行う人事問題の解決も思いやりをもって誤解を溶かしているだけだからです。
己に克つというのは、思いやりに生きるという意味と同じ定義なのでしょう。
相手が変わってほしいときや周囲に不平不満が出ているときは、自分を変えるチャンスということです。そういうときこそ、素直になることですが素直も分からないくらいモヤモヤするのなら相手を思いやり、自分を忘れるほどに自分を使い切っていくことがいいのかもしれません。頭で迷妄想をする暇を与えず、頭でっかちに素直とか思いやりとかを考える余裕すらも与えないほどに思いやりに生きるといいのでしょう。
変わる前は苦しいものですが、変わると愉しくなるのは真心を優先できた自分のことが誇らしくそして好きになっていくからでしょう。変化のタイミングは自分の方を転じていくタイミングだとし、新しい挑戦を已めないで強めていきたいと思います。
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同じように「相手のこと」を考えていても、「自分のために、相手のことを考えている人」と「相手のために、相手のことを考えている人」はまったくやっていることが違います。「自分のために、自分のことを考える人」と「相手のために、自分のことを考える人」も違うでしょう。「克己の工夫」も、似たようなことが言えるかもしれません。すなわち、「自分のために、己に克つ」のか「相手のために、己に克つ」のかということです。目的が「自分のため」では、「己を正当化したい心」に克ち、「己の身を守りたい心」に克ち、「己の怠けたい心」に打ち克つことはかなり難しいでしょう。「求める心」が強すぎて、「自分のこと」が優先されてしまう間は、なかなか克己の工夫はできないのではないでしょうか。
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すべてを人のせいにせず、自分のせいにもせず、自分自身の成長のチャンスと捉えることに、以前はあからさまに距離を置いている自分が居ました。頭では分かっているけど、大変だろう、疲れるだろう、自分には無理だろう、と思っていた自分も今ではその価値観の入れ替わりが始まりました。きっかけを振り返ると、自分を気にすることや、自分自身が プライド と読んでいた価値観(変わらなくていい理由)を辞めたことでした。
今もまだまだ変革の最中ですが、あの頃の様に頑なに自分が自分を守ろうとはしなくなり、苦しみがなくなっていることに気付きます。
これから、思いやりの本質を味わい、自分自身の心を澄ませて行きたいと思います。
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土用の丑の日を前に一足お先にうなぎを頂きました。ただ、高い。そう思いながらも自分を納得させるのは都合のいいことを並べたからかもしれません。たまにする贅沢は自分をどっちに働かせているのかと疑問が湧いてきます。ただ、「お腹いっぱい、もういらない」とはいかないからこそ、次の機会に期待を持ちます。一年に一度大量にいなくなるうなぎにも思いを馳せ、おいしく頂いたことに感謝を伝えたいと思います。【●】
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相手との関係が近ければ近いほど思いやることが却って難しいと感じることがありますが、それは相手のことを分かった気になりやすいからなのかもしれません。身近な人からこそどれだけ素直に聴くことが出来るか、思いやることが出来るか。思いやりも自分の正しいという価値観からでは本当ではないように思えますので、相手を受け入れるというところから大切にしていきたいと思います。