時代の価値観もあり、豊かさにもいろいろな価値基準があります。
例えば、人は持っているかもっていないか、多いか少ないか、早いか遅いか、高いや安いか、ある基準をもとに損か得かというように何かと比較することで物事を評価します。自分がどのように評価されているか、誰かをどのように評価するかはその人の自覚している価値観によるものです。
間違った豊かさを一度持ってしまうと、いつまでも自分に自信を持つことができなくなります。逆に真の豊かさと持つ人は、常に謙虚で確固とした自信を持っています。
つまりは豊かさには豊かさの観念(モノサシ)があるのです。その本人が豊かさの観念がどうなっているかで実は貧しかどうかが決まるのです。たった一人の自分の人生ですから周りと比べる自分ではなく、誰しも真の自分を持つ必要があるのです。
例えば貧しさというのは、もしも物質的なものだけになればお金持ちよりもずっとお金持ちがいますし、自分よりも多くのものを持っている人はいっぱいいます。それにそういうものさしで持ってしまうと一度得たものを失うことの怖さを持たなければなりません。ないものねだりをしているとそこには常に貧しさがつきまといます。足るを知るではないですが十分いただいているという実感を持つには謙虚さが必要です。
またそれとは別のモノサシで真の豊かさがあります。それは精を出せることが有難いと実感していたり、誰かと一緒に働ける幸せを噛みしめたり、体験をさせていただけることの尊さに感謝していたりと、自分が豊かであることに気づいているのです。まるで道楽をしているかのように無尽蔵の豊かさを味わっているのです。
つまりここで言いたいのは、「自分が豊かであることに気づかない人、自分が豊かであることに気づいている人」、そこには真の豊かな生き方があるかどうかがあるのです。
真の豊かさとは単に物質的なものでは得られない歓びを持つ人、言い換えればみんなが幸せになることを祈りながら自分が活かされることに喜びを持つ人、「みんなと一緒に」生きることを愉しめる人が真に豊かな人ではないかと私は思います。
そのみんなをどれだけ”丸ごとのみんな”にするかが豊かさの観念(ものさし)だと思います。マザーテレサにしてもガンジーにしても、清貧のところばかりが評価されますが実際は清富であったとはあまり人に言われることはありません。かの二宮尊徳も同じく終生で集まった報徳金は藩の財政を大きく超えるほどのものだったといいます。しかし本人の生き方は大変豊かであったと思います。
そしてその二宮尊徳が遺した言葉に「心田を耕す」というものがあります。
心が豊かであれば、精を出せる幸せに生きれるならばその無尽蔵の心の田んぼから多くの実り(御法)が顕現してくるといいました。心の豊かな人とは、貧しさがないのです。
心を豊かにするには、徳を積んでいかなければなりません。それは全体のために丸ごと信じて自分を活かすような実践を積み重ねていくことのように思います。生き方がそのままの働き方と仕事になるような大転換が必要です。
本来、私たちがいただいている結びが真の豊酬ですから私たちの「結豊酬」とはそういう天からすべにいただいているものに感謝していますかという意味で実践をしているのです。感謝を忘れればそこにもう真の豊かさなど存在しません。常に謙虚に素直に道を歩んでいきたいと思います。
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同じように与えられても、「足りないとこを見て、もっと欲しい」という人は貧しく、「あるものを生かして、その喜びを他の人にも分け与えよう」とする人は豊かです。これは、「受け取っているもの」がぜんぜん違うのでしょう。特に、貧しい人は、「ものやかたち、あるいは内容」ばかりを見ているのかもしれません。与えられているものをきちんと心で受け取り、心で味わうことができれば、与えられている価値に気づき、支えられていることがわかり、守られていることを感じ、愛されていることを確信できるでしょう。「徳積み」を通して、もっと「受け取る感性」を高めたいと思います。
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「心田を耕す」という言葉を見た時、そんな考え方があるのかと驚いたのを思い出しました。ご飯を毎日食べるように毎日少しでも本を手に取る事や内省することも、少しでも耕すための一つの方法なのだと感じています。ブレても戻れたり励まされたりもしますが、自分の心を耕すのも容易なことではありません。人においては尚更難しい事ですが、それを金次郎は自身を持って示していたことを思うと、まだまだ及びません。豊かさに気付ける心を大事にしていきたいと思います。【●】
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ここに来て感じるのは、頭の理解の限界です。
豊かさも、自分1人で感じられるものや、誰か一部と感じられるものは、分けた世界の豊かさだと感じます。分けずにみんなで感じられる為には、もっと全体を見なくてはなりませんし、行動がそこから来ている必要を感じています。今日も頂いている機会を有難く受け取りたいと思います。
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昔のお百姓さんは飢饉の時以外は皆楽しそうで幸せそうだったと言われますが、田畑を通して人々が一緒に働き、生き物や自然との繋がりを感じていたからではないかとも思えました。日本人にとって稲作とは何なのか、ただ機械で独り稲を育て食べていても、そこに大切な文化は無いのだと感じます。豊かさの価値観がブレないよう実践を楽しんでいきたいと思います。