上下の刷り込み

人は組織の刷り込みの一つに、上下関係があります。

体育会系の組織になどによく見られるものですが、上と下とを分けては立場を与えてその関係を築きます。上は下の世話をし下は上に従うという関係です。これは評価の中に上下という物差しを入れて管理するからそうなるとも言えます。

ピラミッド型の組織にし、上下を設けて管理すれば自ずから組織の中に上とか下とかいった評価が発生します。自分がどのように評価されるか、人はそれを気にして動くようになりますし何をすれば評価されるのかを求めるようになってきます。

しかしこれが行き過ぎると、上の人たちは下の人たちのためにとても苦しむことになります。また下の人たちも上の人たちに苦しくなります。それは互いに助け合うよりも立場が優先されるようになってくるからです。

本来、自分でやれるところは自分でやるのが当たり前です。なぜならそれが組織である理由、集団である理由、つまり一人でやるよりも集まって助け合った方が大きなことができるからです。主体的に誰かが誰かに従ったり従わされたりするよりも、お互いに協力して力を合わせて取り組んだ方が効果効率も善いしさらには楽しいのです。

立場の違いを超えて力を合わせるのは役割分担です。立場で人を配置するのではなく、適材適所に人は配置された方がいいはずです。

リーダーだからや幹部だから、先輩だからなどといった立場による管理は主体的な組織を目指す場合には邪魔になるように思います。それはまるで子どもに長男だからとか、長女だからとか評価を押し付けるのと同じです。

長男長女だからでもなく、幹部やマネージャー、先輩やベテランだからではなく、信頼が篤く認められていると思う人を配置していくといいと思います。そしてその評価の基準は、人間関係の絆の深さと信頼関係の厚さ、つまりは人格であるということでしょう。

能力だけで人を使うと信頼は別になります、信頼するから人はお互いに助け合うことができます。組織の価値観に何をもっとも優先するかはそのリーダーの理念に由るところです。

上下の刷り込みで苦しんでいる組織が多いからこそ、子どもたちの社會に安心して適材適所の集団を築き上げていけるように大人たちの中に見守る環境を広げていきたいと思います。

  1. コメント

    以前の組織では、上司と部下はお互いに「役割の期待」を持っていましたし、そこが「評価」の対象でした。「力を合わせる」というよりは、「指示・命令に基づいて一体となり、管理によって成果を上げる」ということが中心でした。また、「成果主義」が導入されてからは、人間関係も変わってしまいました。この刷り込みから脱却するのは、なかなか至難の業です。「人事と給与のしくみ」が課題でしょう。新しい「仕事と人間の評価基準」の確立が必要だと思います。

  2. コメント

    小中学校の頃、学級員ということを一度もやったことがありません。先生から求められることはクラスをまとめること、みんなを引っ張ること、責任感が強いことと担任が変わってもいつも同じことを言われた覚えがあります。求められる期待像に変なプレッシャーがあり、積極的に手を挙げていた友人の姿もあまり記憶にありません。学校で教わったリーダー像はいつも同じでしたが、今はその条件だけあればいい訳ではないことを感じています。学級員を決める時、その中にだいたい名前が挙り、それでもいつも拒み続けていましたが今思うと一度くらい体験しておいてもよかったかもと思います。【●】

  3. コメント

    子どもの頃から家庭の中では兄がいて妹がいて適切な立場を考えていましたし、学生時代も上下関係がハッキリしていましたから、それに違和感が無いどころか寧ろ受け入れている自分の方が強いように感じます。まずは刷り込みに気付くことから始めたいと思います。

  4. コメント

    能力を磨かないと、、、という焦りがベテランやリーダーにはありがちですが、人格を磨かないと、、、とは気付かずにいてしまうところだと感じました。保育と同じで、能力を磨くではなく、人格を磨くという事を大切にしていかないと、
    本当の意味で後々に人生に困るのだと感じます。
    能力を見せつけるより、真心を見せる方が難しく感じるのも、自分が生きてきたのがどちらだったかがわかります。リハビリを続けたいと思います。

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