和の家

先日、和の部屋について相談があり色々と深める機会になりました。和の部屋といえば、通常では畳があり押入れや襖があるものを和室だと思っていることがあります。

しかし畳も昔はなかったもので、押し入れや襖もわりと歴史的には古いものではありません。実際の日本はじまりの住まいは何か、それは古事記に書かれています。

「伊弉諾命、伊弉冉命の二柱の神はおの馭盧島に天降りして其處に先ず天の御柱を御作り、倶に御住ひになった。八尋とは一尋、二尋と數える八尋にあらずして八は彌と同じく數多きをたたえ唱うる言の葉なれば即ち幾十尋の御殿の意なり。彌栄なる館なるにして我が國初めての御殿なりせば家屋建築の始めなり。我が國の神々達は穴に宿る神に非ず、木の枝に巣造るに非ず、程高き営みの神なり。」

イザナギとイザナミが、はじめて高天原に降りてきて造営した住まいが私たちの祖親のはじめての住居「八尋殿」です。一尋とは、人が手を拡げたときの寸法を言います。これを八尋とするとちょうど畳二畳分くらいのサイズになります。この八は、末広がりの八を意味しますからここの住居から無限に広がりはじめたということです。

私たちの祖親の家屋建築の原点はここです。私たちの親は穴に住んだのでもなく、木の上に巣をつくったのでもない、天に向かって真っすぐに伸びた柱を地に立て、床を建て住んだということです。

今の時代は、高層ビルや広大な豪邸が価値があるかのように売り買いされていますが本来の住居はとてもシンプルなものです。

例えば生き物によっては、泥を固めて巣にしたり、草を丸めて家にしたり、石を積んで塒にしたりと、それぞれに住まいのカタチは異なります。私たちの先祖が、何をもって住まいしたかを知ることはとても大切なことだと思います。住まいの出発点を和合生活にしたこともまた私たちの先祖たちの真心だと思います。

そして和とは何かと考えるに、如何に本来の先祖たちが伝承してきた暮らしに親しみとけ合うかということではないかと思います。それは例えば、共に暮らすものたちと如何に親しみを持っているか、そして心安らぎ仕合わせを感じるか、そこには余裕と真の豊かさがあるように思います。

豪華絢爛で贅を究めた芸術作品のようなところを住まいというのではなく、人々の暮らしや生活が息づく場所、そこがまさに家庭であり、たとえ独り身であったとしても共に暮らしているいのちの暖かさに触れ、深く味わいながら日々を豊かに過ごしていることが本来の住居であり家であるように思います。

そういう住居を持つ人は、和の心を持つ人とも言えます。秋になれば秋をしつらえ、冬には冬をしつらえる。まさに、小さな四季の変化をも愉しみ、部屋の中の花一輪にいたるまで愛でる澄んだ心があります。心の手入れというものは、日々の暮らしを愉しむ真心にあるように思います。

和室というものの本来の姿の本質は、「暮らし」の中にこそあるということが私が考える和の家です。和をもって尊しとなすとといったのは、聖徳太子ですがその聖徳太子は家屋を大切に手入れするように寺院を建築したといいます。法隆寺をふくめて、奈良のあちこちにはその暮らしが遺っているようにも感じました。

子ども達に本当に譲っていきたい伝承したいものを、自分たちが忘れないように生きていきたいと感じます。改めて日々の暮らしから、生き方を見つめ直していきたいと思います。

  1. コメント

    十五夜のお月さまを部屋から見ているとじっと眺めてしまいます。「借景」という言葉がありますが、自然美を取り入れ季節を味わう心に日本人として誇りを感じます。そう感じることに自分も受け継いでいるものがあると思うと、日々忙しく空を見上げる余裕すらないような状況は避けたいと感じます。月のことを調べ詳しくなることよりも、月を眺め綺麗だな、美しいなと感じる暮らしを飾る心の余裕を大事にしていきたいと思います。

  2. コメント

    和の心の背景には、日本人の「情緒」があるのではないでしょうか。それは、風や雲の変化、花の移り変わり、旬の野菜や魚といった「季節を味わう」という楽しみや、行事の準備に入る、種まきなどの農作業の時季を知る、寒さに供えるなどの「季節を生きる」という現実として生かされてきたのでしょう。日本人の家庭には、掛け軸や衝立を季節ごとに変えたり、お月見をしたり、旬の料理を味わったり、野の花を生けたりという「時を生きる」生活があります。四季があることに感謝しながら、時を味わって生きたいと思います。

  3. コメント

    何度も何度も月を見ては、楽しむという事を昨日は子ども達としました。大人は中秋の名月だからという頭で見てしまいますが、子ども達は久高島だ!とあの日月が無かったのに興奮し、月に掛かる虹をいとも容易く見つけ出し、楽しんでいました。子ども達の遊び心と感性は感じたままに生きる豊かさを教えてくれました。考えているのか、感じているのか。これは寄り添いや見守りの実践のベースに何が入るのかということで、全く違うものになるからこそ、感じる事を大切にして行きたいと思います。

  4. コメント

    藤崎農場さんから頂いたメダカの水槽に炭を入れ環境を変えてみると、気のせいか今までよりもイキイキとして見えました。それは物質的な環境が変わったからではなく、メダカを通して自分自身の心が少し磨かれたからなのかもしれません。自分の家のことを同じように省みると、古来からの行事や環境をなくしたのが先ではなく、先に失ったのは心の方なのだと感じました。小さな一歩から始めていきたいと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です