包丁の文化一つとっても西洋と日本とは異なる考え方があります。切れ味を重視する和包丁に対して、西洋は柔らかくて耐久性があるものが重視されます。切り方においても、日本は肘を使ってすっと引きながら切るのに対して、西洋の包丁は肩の力を使って上から下に押し切るという具合です。その特徴に、日本ではりんごを切るのに薄く切ることができますが西洋ではりんごを割る様に切るのです。昔、りんごは切った直後の酸味が美味しいと言われていたそうですが、あれは日本の包丁の切れ味が如実に表れたものだと言われているそうです。
それにもしもまな板に対して、上から下に押し切る、引き裂くのであれば包丁はまな板とぶつかり対峙してしまいます。それではまな板も包丁もすぐに傷んでしまいます。しかし日本の包丁はまな板を傷つけず、肘をひいて切るだけですから最短距離でそのものを切っていきます。
食文化としてももともと肉を中心に食べて、叩き割り切り裂くという使い方をしていた文化圏と魚を中心に野菜など切れ味を重視してきた民族の違いにもよります。特に日本は日本刀があり、西洋の剣サーベルとは違って力で押し切るよりも、切れ味で切るという考え方です。押すチカラではなく、引くチカラを用いるのが日本人とも言えます。
これは自然に対しても同じく、自然に対して押して勝とうとするのではなく自らの方が引いて克つ、つまりは応じて従い、準じて委ねて、自然を畏敬し自然を優先しつつも、分相応に分けてもらうという発想です。
永く持つということの定義も、西洋の耐久性はとにかく固く強いものということでセラミックやダイアモンドセラミックの方へと包丁も発展を遂げています。決して刃が欠けない包丁というものも今では市場では人気があるようです。
しかし日本人の包丁は、切れ味重視ですから砥石で研いで最後まで使い切ることが長く持つという定義になっています。
文化というのは、包丁一つに顕れてきますから先祖たちがどのような道具の使い方をしていたかは包丁一つから観えてくるものです。子ども達のためにも、先祖たちが大切にして来た真心を伝承していきたいと思います。
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日本には、元々「力技」という発想がありません。ものの道理を自然に学び、すべてを生かして使い、生かし切るための繊細な技術と知恵が昔からありました。また、ものには魂が宿るとして、「ものの扱い」には、ものすごく気をつけていました。ものをまたぐとよく叱られたものです。そして、使い切ったものは必ず供養するという心も持っていました。こういった文化はまだ健在ですが、「効率主義」等によって発想の根本を見失ってしまっていることを残念に思います。
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これまでも包丁を遣っていましたが、その奥深さを感じます。食と一言で言っても、何を食べるかだけでなく何を使うかによってまた食そのものの意識も深まっていくことを思います。単に寝に家へ帰るだけなら、何でもいいのかもしれません。ただ、暮らしから考えると色々なものが目に付きます。食べ物だけでなくその周辺も見直していきたいと思います。
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押すチカラではなく引くチカラという言葉から料理の味つけのことを同時に思いました。味を足していくのではなくそもそもの素材の味を引き出していくということ、和包丁から和食からいろいろと深いものがあるように感じます。今年もまた味噌の仕込みの時期が来ましたが、今年は食や食材だけでなく作る方にも深めていけたらと思います。
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昨日は帰ってから一番だし、二番だし、ふりかけ作りを行いました。鰹節を削るにも方向があり、中々上手く行かず、学びの真っ最中ですが、改めて一番だしをとってみると、今までのだしはなんだったのかと言うくらいに、味が引き出されています。買ってきたイワシを捌き、刺身にして、梅干作りの時に出来た梅酢にくぐらせると何とも言えない豊かな味となりました。素材の味が引き出されていく道具達に囲まれて、合わせて引き立たせる暮らしの一端を昨日は学びました。継続して深めてみたいと思います。