素から直す~陽明学~

日本に影響を与えた人物に中国の王陽明がいます。王陽明の生き方や思想、その生き様は日本では中江藤樹や吉田松陰をはじめ様々な人たちが影響を受けてその学問を深めていきます。

王陽明の思想は、「心即理」であり私の解釈では心とは知良致であり、明徳であり、直毘霊であり、大和魂であり、現代の解釈では素直であるということです。王陽明は、「抜本塞源」という言葉があります。これは「根本から誤りを是正しなければ意味がない」ということです。「素直」という字も、「素から直す」と書きます。そもそもの中心になっているものを見直し、原点回帰しなければ直るものも直らないということです。そしてそれは素直になることであり、素直の能力を磨くことでしか本来の心は出てこないと言い切るのです。

そのために必要なのは、「事上練磨」という日々の実践をどう磨き己に克ち続けるかと言います。素直を磨くために境遇に一喜一憂せずに只管に真心を練磨していくための実践を行うことだと言います。学問のための学問ではなく、まさに自分の真心を盡すために生きることを言います。それを吉田松陰は「至誠」と解釈し、環境や状況に有無を言わずただ一心に真心を盡すのみと人生を生き切ります。この生き方こそが王陽明と同じであり、陽明学の真髄はこの至誠に尽きるようにも思います。

王陽明という人物は、文人としても武人としても立派な人であり荒廃した村に学校をつくり人々を導き徳のある村にしたり、戦では一滴の血を流さずに戦争を終結させたり、政治がとても乱れて賄賂も横行していた慾に乱れた世の中においても私財をなげうって貧しい人たちに寄り添い続け義を貫いた生き方を実践しました。

陽明を慕う人々は、何よりその純粋な生き方をみて感じ入るものがあり素直に生きること、心のままに行動し実践することの美しさを感じるように思います。今の時代、美しく生きるということが難しくなってきていますが本来の先祖たちが目指した生き方はこの「心即理」に適っていたように思います。

ではその心が理から離れるのはなぜか、それを王陽明は山中の賊になぞらえてこう例えます。

「山中の賊を破るは易く、心中の賊を破るは難し」

自他の中に賊あり、その賊が邪魔をして素直な心はかきけされていきます。たとえ山にいるような山賊を倒すのは容易でも、心の中にある賊を倒すのは難しいということです。実践を通じて自分がブレていることに気づきそのたびに根本に回帰し、素から直すことを繰り返しながら、本来の心のままでいるための克己の工夫をどう磨いていくか、日々は事上練磨ですから今日も真心を盡して素直のままの心を育てていきたいと思います。

 

  1. コメント

    高校生が自分はどうしたいか、はっきり伝えている姿に自分はどうだったろうと思います。子どもと大人の狭間の時期。今よりはるかに悩みも焦りも多く、乗り越えてしまうと何で悩んでいたのだろうと思ってしまいますが、どうしたらいいかも分からない感情もまた、素直さなのだと今なら感じられます。多感な時期とはまた一味違う今を考えるよりも楽しみ、実践を積んでいきたいと思います。

  2. コメント

    人生には、「学んで身につけていく過程」と「その身につけたものを手放していく過程」があるように思います。保身のためにいっぱい身にまとい、かえって身動きがとれなくなっているのに、まだ何かを得ようとしている自分がいます。「素直な心」を身につけるのではなく、余計なものを脱いで「本来の素直さ」を発揮する。この「脱ぐための修行」は「得るための修行」よりも大変ですが、「純真さ」を取り戻し心のままに行動できるように「原点回帰」を目指したいと思います。

  3. コメント

    実践や生き方を貫く事の大切さと、ありがたさを思う時、心が素直になっていくような実感を得ます。実践が続かないのは能力がないからと感じる人もいますが、能力とは何なのか、自分の中で深めたことがありません。今日から学び深めていきたいと思います。

  4. コメント

    日頃、子どもと接している時もそう、昨日の高校生の一人ひとりのリアルな声を聴いている時もそう、純粋な心にふれると自然と感動を覚えます。そのような心が自分自身の中にもあることを感じつつ、そうはいられない自分もまたいることを感じます。心中の賊も悪と捉えず、心を澄ます為に居てくれている師として、敵視せずにそれをも活かしていきたいと思います。

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