真心の犬

昨日は、家族で一緒に犬のお墓をつくりみんなで天国へ送り出しました。ちょうど正月明けでみんなが集まっていてもっとも善いタイミングを選んでくれたようでした。もともと賢い犬で、家族の方が鈍くいつも気が付くのが早いのでよく吠えては知らせてくれました。

なかなか通じないからとよく怒って吠えていたのが今でも印象的です。思い出はたくさんありますが、特に印象深いのが失踪した事件です。鎖でつないでいても、それを切って出て行ったり、首輪をつけていても無理に取りはらっていったりと滅多にないのですがその時に失踪します。

急いで追いかけるのですが、追いつかずいつも散歩をしているのにその時だけは走って逃げていきます。散歩の量が物足りなかったのか、でも確かな意思でどこかにいこうとします。

今回の最期も、数日前から吠え続けて何かを知らせているようでまた何処かにいこうと強い力で鎖や網などを乗り越えていこうとし続けていました。チャンスの時は逃さない、そういうタイミングをよく観て判断するタイプだったように思います。

このタイミングというのは真心と密接に繋がっています。我がないほどに真心は発動します。そう考えてみると、うちのサスケは真心の犬でした。

たくさんの思い出や仕合せ、記憶はいつまでも心に一緒にいきています。

また来世あるいは、今世で生まれ変わって魂の再会をする日を心から楽しみにしています。ご冥福を心からお祈りします。

ありがとうございました。

寿全う

昨日の深夜に約16年生きた我が家の犬が亡くなりました。真っ白い柴犬で日本的で凛とした佇まいの気の強い寂しがり屋の犬でした。思い返せば、小さいころからよく噛みつき、しつけもなかなか大変でよく怪我をさせられました。家族のみんなから深く愛され、一緒にいつも居たがっていました。旅行の時などは、なぜ連れていかないのかと吠え続けてお土産を持って帰ってきてもいつもふてくされていました。不思議ですが、旅行に行くことや出張にいくことを隠していてもなぜかバレていて出発まじかになるとかなり怒って吠えていたのが懐かしく思います。

山に登山にいけば、迷子になったり、あと首輪をとっては脱走して探し回った記憶がたくさんあります。その中でも印象深かったのは、保健所で保護されたときと、高齢になって迷子になり溝で発見されたときです。飼い主の監督不行き届きだといわれるかもしれまんが、犬はどれだけ頑丈なものでつなぎとめたとしても時折想像をつかないような本当に大きな力で首輪をとったり、鎖を切ったりします。探す方も、必死で事故にあっていないか、何か辛い目にあっていないかと、心配で眠れず、見つかったときは神様に感謝して涙を流します。

今回は天寿を全うしてどうしようもありませんでした。人間の年齢であれば75歳くらいです。最後は眼も見えなくなり、耳もほとんど聞こえず、後ろ足も立たなくなりよぼよぼでご飯は食べていましたが最期を悟っていたのか、この数日だけは何かに呼ばれているかのように深夜にずっと吠えては必死に何処かに行こうとしていました。

もう犬が先に寿命が尽きて亡くなるのを3回ほど観てきました。どの犬も長生きで亡くなるときはあまりにも悲しくてもう飼わないと涙するのですが一緒に過ごした期間の仕合せで豊かな思い出が幾度となく思い出されまた犬を飼ってしまうのです。うちに来る犬はどの犬もとても忠実で正直で真心と愛情があるものばかりでした。家族の一員として、いつも人数に数えるほどに親しい存在がいなくなるのはとても辛く寂しいものです。残った犬小屋や残置物の余韻が、数か月ほどは残像が宿ります。

すべての生き物は必ず死にます。輪廻転生してはまた別の身体を得て、新たな生を全うします。寿命が全うできるということはそのお役目を生きたということでもあります。大切な存在が増えていくというのは、それだけ大切な存在と別れることもあるということです。しかし、その存在があった御蔭で自分が形成されいつまでもその存在と一緒に生き続けている自分にも新たに出会い続けます。

感情は愛情を伝えてきますが、記憶の中でいつまでも生き続けている彼と共にこれからの先の人生を私も見倣って全うしていきたいと思います。

ありがとうございました。またあの世での再会を楽しみにしています。

古代の技術

色々と仙人を深めていると、古代インドのヨガに辿り着きます。古代インドのヨガは、現代の一般的な身体を調えていくヨガ教室などのヨガとは異なり仙人に達する一つの道です。

有名な人物には、「パタンジャリ」という方がいます。この方はインドの古典哲学者で紀元前200~400年頃に生きていたとされている伝説的な方です。ヨガの経典「ヨーガ・スートラ」の著者として知られていて、今でもこの経典はヨガの実践と哲学を統一的に解説したものとして大切にされています。

これらの時代の仕組みは2400年以上経た今でも、まったく古びれずに真理や本質、智慧を語っています。私たちは、新しい知識を増やしていきさも時代が新しくなったように錯覚していますが便利になっていくことを新しいといっているだけで特に新しいものはほとんど何も誕生していません。

仏陀の智慧をはじめ、覚者たちが目覚めて気づいた智慧、あるいは人類が誕生する原初、もっと以前からある叡智や智慧の存在に気づいたことが最初の新しさの始まりであり、そのあとは単にそれを工夫して便利にしてきただけです。

かつての仙人たちはその叡智や智慧を実践を通して活かしていました。シンプルで洗練されたその実践は、人々を驚かせました。私たちは便利な道具をたくさん発明することによって、かつてもっていたであろう叡智や智慧、古代の技術を捨てていきました。誰でもが便利に、特定の修行をしなくても手に入るものの方が確かに欲望をかりたたせられます。しかしその代償として、かつての叡智や智慧や技術を使えなくなりました。

現代でもその叡智や智慧や技術を持っている人が仙人であり、それは便利さを手放し、真理や神秘を体現して古代からの技術を伝承している人たちです。

スリランカに訪問しますが、数千年も前から同じような生活を森のなかで行っている人たちはきっと仙人の技術を暮らしの中で維持しているように思います。子どもたちに叡智や智慧や真の技術を伝承していくためにも、私自身の色々な刷り込みを取り払い、学びの削除をしてきたいと思います。

仙人とは何か

仏陀は釈迦牟尼とも呼ばれます。この牟尼(MUNI)とは仙人のことです。つまり釈迦仙人ということでしょう。その後は、munirāja 牟尼王やmahāmuni 大牟尼などとも呼ばれているそうです。

もともと仏陀の生涯の中で、最初の仙人はアシタという仙人が登場します。この方は、仏陀の父のスッドーダナ王(浄飯王)の父であるシンハヌ王(師子頬王)の宮廷僧でした。スッドーダナ王がまだ王位に即いていない時にはアシタ仙人は技芸の師だったともいいます。このアシタ仙人は、いずれはブッダ(真理に目覚めた人)、または転輪王となることを予言します。

このアシタ(Asita)とは「黒色」という意味で、仏典には同じく黒色の意味である「カンハ(kanha)」に続けて敬称の「シリ(sri)」を合わせた呼称「カンハシリ」とも呼ぶそうです。「結髪の仙人」と表現されているので、頭髪を束ねて縛っている螺髻(らけい)もしくは螺髪(らほつ)という、ほら貝のような形をした髪形で、当時の行者そのもののを現わしていたのではないかと思います。

よく考えてみると、仏陀が誕生する以前より仙人たちはいてそれぞれに修行をしていました。古代インドでは、「学生期(がくしょうき)、家住期(かじゅうき)、林住期(りんじゅうき)、遊行期(ゆぎょうき)」といって人生のなかで四つに季節を区切った思想があったといいます。學生期は、善い師、メンターの下で真摯に學ぶ。そして家長として立派に家族を養って一族の祭祀を執り行いよく家を纏める。そして子どもたちや後人に引き継いで引退したあとは森、林などに住み瞑想修行などを行い静かに自分と丁寧に向き合い悟る。そして遊行の旅に出て道を死ぬまで歩き出家乞食の暮らしする。これを四住期といって古代インドでは理想の生き方としていました。

仙人のように暮らす人たちが当時もたくさんいたように思います。その中の一人が、アシタ仙人ということです。このアシタ仙人は仏陀にお会いした時、自分が先に老いてなくなり仏陀の説法が聴けないことを嘆いて涙したといいます。そして甥のナーナカに将来仏陀の弟子になるようにと託します。そのナーナカはそれから将来の仏陀に出会うために出家して沈黙行という修行に明け暮れます。そして35年以上の歳月が経ってから仏陀に会いにいき沈黙行とは何かと質問して悟りを開いたといいます。

このアシタ仙人と甥ナーナカと仏陀を関係を観ると、道の中の物語であることがわかります。アシタ仙人が甥に話したのは志の話、そしてそれを受けて出家し道を歩むのも志、仏陀が覚者になりその覚者と道で触れあい魂を通じ合わせたのもまた志。ナーナカは仙人となりその一生一度の仏陀との出会い以降は、二度と仏陀と再会することもなかったといいます。

覚者の志を生きる仙人たちは、普遍的な道を歩む人たちです。その普遍的な道とは何か、それが仙人の生き方の中にあるように私は感じます。

仙人とは何か、原初の仏陀を辿るうえてとても重要なキーワードであることは間違いありません。スリランカのマヒヤンガナで、答えを生きる人々から学び直してきたいと思います。

仏陀という人

スリランカの訪問を控え、仏陀のことを調べていると今まであまり考えてこなかったことに気づき舞う。日本で生まれたら一般的には身近にお寺や仏壇があり葬式や法事があるため仏陀の教えに接してきたものです。しかし当たり前すぎて疑問に思わないで刷り込まれたものも多く、ちゃんと自分で現地で確かめたものはほとんどありません。改めて、そもそも仏陀とは何かということを少し深めてみようと思います。

この仏陀(悟った人)の本名はガウタマ・シッダールタ、パーリ語ではゴータマ・シッダッタは紀元前5〜6世紀頃の人物で現在のインドとネパールの国境付近にあった小国ルンビニーに生まれた人でした。父は釈迦族の国王であるシュッドーダナ、母は隣国コーリヤの執政アヌシャーキャの娘、マーヤーです。

王子として誕生した仏陀ですが色々と後で神格化されているのか、伝説ではお母さんの脇の下から産まれてすぐに天上天下唯我独尊と天を指さして語ったといいます。これはそう誰かが思ったということで赤ちゃんがまず脇から産まれませんし、言葉もしゃべりません。ただお母さんは出産後した翌週に高熱で亡くなります。仏教に関係する名僧などは、みんな幼い頃に親を亡くしている人が多いです。もしかすると、この辺の心の共感や深い悲しみが仏道に導くのかもしれません。

その後は、とても裕福で優雅で何不自由ない生活を楽しみ19歳でいとこのヤショーダラーと結婚し、息子ラーフラが誕生します。順風満帆だった仏陀ですが、ある時、四門出遊という体験をします。これは簡単に言えば、生老病死の苦しみがあることに気づいてしまったということです。そしてその苦しみを取り除く方法があるのかと、王位を捨てて出家してしまいます。

そうして瞑想をはじめても悟れず、数々の苦行を増やして最期はギリギリの状態まで自分を追い込んでいきました。苦しみを乗り越えようとすればするほどに苦しみが膨大になっていく、その苦しみの連鎖のなかでついに苦しみを諦める機会が訪れます。それは今にも死にそうな仏陀をみて、村娘のスジャータが与えてくれた乳粥を食べさせてもらうときに気づきます。それから菩提樹の木の下で瞑想をし、35歳の時についに中道、悟りを開きます。ある意味で、極端な修行によって中間を修養したのかもしれません。そして諸行無常の真理を解きます。つまり、あらゆる物事は常に変化し続けているものでり、変わらないものなどないということを悟ったといいます。

これは自分の人生を振り返っても誰でもが共感するところです。つまり永遠に同じ状態でいられるということは宇宙においてはありえないことで、人は変化するから苦しみが増え、変化するから苦しみを諦めることができる。もっと突き詰めると、変わり続けることがもっともちょうどいいことだということ。そして仏陀は亡くなる最期の言葉の一つに「諸行は滅びゆく、怠らず努めよ」といいます。変化するから精進せよと。常に今を生き切ることの大切さを語ります。そして、それがもっともちょうどいいことだとも。

何を仏陀が悩んだのか、何を苦しみと思ったのか、その人生から洞察することができます。私たちはずっと変わらないでほしいと願うような願望を持っています。このままがいつまでも続きますようにとも祈るような思いをするときがあります。それは人それぞれに異なるでしょう。それを執着ともいいます。あまりにも辛いことは早く過ぎてほしいと思うし、人によっては手に入れた財産、栄光や幸福はいつまでもこのまま時を止めたいなどとも思うものです。しかしそれもいつかは消え失せます。まず自分の肉体が先に消えうせます。健康だって一生そのままであることもありません。だからこそ、どうするかと向き合ったのでしょう。

人間というものの存在をここまで真剣に向き合った人がかつていたかというと、やっぱり最初は仏陀だったのではないかと思います。その人間としての道、生きる道を探して歩いた道はその後も同じように人間を生きる後人たちが続いていき今に至ります。

原初の仏陀は、大変失礼な言い方かもしれませんがとても人間臭い存在です。だからこそ、その言葉は多くの人たちの心の中で生き続けているようにも思います。

その後の仏教がどのように現代にいたるのか、その辺もまた深めてみたいと思います。

愛の意味

あと5日後にはスリランカ民主社会主義共和国に訪問します。このスリランカという国名はシンハラ語で「スリ=光り輝く」と「ランカ=島」で「光り輝く島」と呼びます。漢字では「錫蘭」と表記しています。かつて「セイロン」と呼ばれていました。これはサンスクリット語で「ライオンの島」という意味です。その名残が今でも国旗に表れています。

気候が日本とは異なり、最高気温が現在でも30度近く最低気温も24度くらいで平均湿度も75パーセント近くあります。人口は約2000万人ほど、日本との時差は3.5時間、また面積はは65,610平方キロメートルと九州の2割ほど大きいイメージです。国民人口の7割が仏教徒(上座部仏教)です。また国の花はスイレンの花、国の宝石はブルーサファイア、国技はバレーボールが有名です。

私がスリランカのことを深めるのに最初に知ったのが、世界一の親日家ともいわれるスリランカの二代目大統領ジャヤワルダナ氏の存在です。

本来、今の日本は韓国や北朝鮮のように戦後に列強国などによって分割統治される予定でした。それをすべて覆したのはその当時、スリランカの44歳の大蔵大臣だった人のたった一つの15分の演説でした。今の日本を救ってくれた本物の大恩人です。この演説がなければ、今頃私たちは日本国内で争いあい憎しみあっていたかもしれません。

そのサンフランシスコ講和会議での演説の映像が遺っています。

そこでは「私は2つの立場からお話します。1つはスリランカを代表して、もう1つはアジアを代表しての立場です」と言い釈迦の「憎悪は憎悪によってではなく慈愛によってのみ止む」を引用して会場の人たちに語りました。

そして「戦時中、スリランカは日本によって空爆を受け多大な損害を受けている、補償を受ける権利はあるが、私たちは賠償請求を放棄する。なぜかと言うと、私たちはブッダによって目には目、歯には歯という教育を受けていない。私たちは許す。他の国々もそうしませんか?」と呼びかけてくれました。

その言葉に会場の人たちも賛同して分割が免れたのです。

たった一人の言葉で、大きな決断が変わっていく。その人の心の言葉は、その後の子孫たちにも偉大な影響を残してくれました。これは釈迦の言葉が数千年を経ても、その子孫たちの生きる道に結ばれていることがわかります。

私たちは釈迦の言葉に今でも救われている存在です。 

「人はただ愛によってのみ憎しみを越えられる人は憎しみによっては憎しみを越えられない」「Hatred ceases not by hatred but by love」

そのジャヤワルダナ氏は90歳で逝去されますが、形に遺るものは残してならぬといい何も残っていません。しかし、その生き方や生きざまは釈迦と同じく徳として私たちと生き続けています。

その釈迦の歩みと思想が遺る場所に足を踏み入れることは大変光栄なことと思います。色々な歴史を学び直して、改めて愛の意味を結んでいきたいと思います。

2025年のテーマ

今朝も素晴らしい太陽の光が差し込み、2025年の新しい年を迎えました。昨年より正月は冬至に行っており、この1月1日の元旦は二度正月を楽しむ機会にしています。夜中の年越し蕎麦も年々、滋味深くなり、家族と参拝する初詣も子どもの成長を感謝する大切な機会になります。

昨年は、いのちの対話をテーマにしていましたが大切な人たちが天に還られますます私も残りの人生の使命を強く覚悟することができました。この世にいなくなるのは寂しいですが、生前の雰囲気や声はいつもイキイキと心に響いています。いのちと対話するのに昨年は自分自身の体と対話することをとても大切に過ごした一年になりました。内臓もこれだけいのちを支えているのに普段はあまり配慮せずに反省もありました。いつも偉大な働きをしてくださっているその内臓と対話するような暮らしをはじめています。また自分の普段の意識にも目を向け、波動を調える美しい暮らしを心がけました。また無機物の発する音や風や水や火という精霊のような存在のゆらぎからもその深い徳と偉大な叡智を学びました。

その上で今年のテーマは、「謙」を一文字として設定しています。この謙は謙虚の謙からの言葉です。言うは兼ねると書きます。今から29年前、当時のメンターから謙虚であれとたくさんご指導をいただきました。もうこの歳になりまたなぜ改めて謙なのかと考えてみると、そもそもこれは一生涯の生き方に関係する言葉だからだとわかります。

私は謙虚を想像するとすぐに素直という言葉が出てきます。これは常に一対です。つまり素直を実践するとそれが謙虚になります。至誠も正直も同様に、私たちは言行一致、真心のままに行動するということが一番の徳積みです。あれこれと考えを巡らせては自分の置き所を間違っていくのが人間でもあります。私は35歳になったときから来たご縁を選ばずにすべて受け容れると決心して、それからは栃の実が川に流されるようにすべてお任せにするようにして生きてきました。

しかしご縁は不思議で自分の思ってもみないことの連続に心を痛めたり、あるいは判断を迷い苦悶することも多々あります。同時に、自分の想像を超えるような偉大なご縁であったり、一期一会の大感動に魂が震えることもたくさんあります。

まだまだ未熟で私が知らないことばかりの膨大な宇宙や世界がこの世にはあります。悟ることやわかることは大した意味はなく、それよりも自他一体になることや全体快適であること、あるいは神人合一するような体験や修行のプロセスの中に永遠普遍の喜びや豊かさは生きています。畢竟、自分の人生にちょうどいいことしか自分にはやってこないということでしょう。そうやって手放した数だけ自分自身との一人の対話が成り立ちました。

今年はまさかのスリランカのワニアヤ・アエット長老とのご縁からスタートです。ナーガ族とヤタ族、マヒヤンガナのもりの民。人類が原初に何処からきてそしてこれから何処にいこうとするのか。子どもたちの平安や真の幸福のために最善を盡していきたいと思います。

本年もよろしくお願いします。

波動を調える

今年一年を振り返って見ると御蔭様で新たなご縁に恵まれてとても充実した一年になりました。その「新たな」というのは、「新たな意識で出会ったご縁」ということです。ご縁は自分の波動や意識が大きな影響を与えています。日頃の暮らしで何を観て何を考えて何を食べてというように、自分が日々に調えている波動や意識によって出会うご縁も変化します。

例えば、霊峰英彦山の宿坊に棲み静かに光や水の音に耳を傾け空気を深く吸い込み静かに座禅をしているとお山の気配を感じます。お山の気配とは、お山の呼吸のことです。その呼吸に自分も一緒に包まれていると、そのお山の波動になっていきます。

すると、それまで見えていた景色が変わり今まで観えなかったものが観えてきます。同時にあらゆる感覚が変わり、刻の流れや場の雰囲気すら変わります。場がその波動を調えて変えていくのです。

何だかスピリチュアルな話だと思われそうですが、実際に人間の身体感覚というのはどこまででも鋭敏になります。直観というものもまた、鋭敏な神経が見事に波動と調和して事前に洞察させたり感得させるように思います。シンクロニシティやテレパシーなど超能力のように閃きが迸ります。

話をご縁に戻せば、それだけご縁というのは次元を超えてあらゆる波動と巡り会っているということでしょう。そうして暮らしていると、似たような波動の人たちが集まってきます。さらに深く言えば、同じ身体感覚や神経を研ぎ澄ませて鋭敏にしているような仙人のような人たちと出会うのです。

仙人というのは、単なる能力が秀でた俗世から距離を置いた人として解脱したような存在と思われていますが実際にはそうではありません。当然、波動を高め徳を磨いていますから人間として深い魅力があり思いやりを持ちます。同時に、生き方を見つめ、生き方を優先していますから道を一人歩んでいます。

有難いことに仙人苦楽部を続けていると、よく仙人に出会います。そして私も仙人のような暮らしに近づいていきました。私たちは誰もが仙人としてのポテンシャルを秘めています。それが開花するかどうかは自分の波動をどうするかに由ります。そしてその波動を調えるのに暮らしの改革が必要です。別に仙人になったら何かいいことがあるのか、便利な何かがあるのかと思われるかもしれませんがそんなものはありません。

ただ仙人は、お山であればお山がどう生きて自然を守り豊かないのちを育んでいるのかを察知でき喜びを深く味わえます。また伝統的な先人たちの智慧に包まれ仕合せを深く味わえます。つまり永遠に豊かな心で生きていくことができるように思うのです。

好奇心というものもまた、仙人たる由縁の一つです。来年も、好奇心を存分に発揮して原初の道を求道し丁寧な暮らしを実践し波動を調え、新たな出会いを大切にしていく一年にしていきたいと思います。

今年も本当にお世話になりました。改めて感謝申し上げます。

原初の仏陀

スリランカの訪問にあわせて改めて仏教伝来のことを深めています。もともと仏教には、南伝仏教と北伝仏教というものがあります。

南伝仏教は、アショーカ王 の子(一説には弟)のマヒンダが前3紀頃にセイロン(スリランカ)に伝えた仏教であるといわれます。この仏教を上座部仏教ともいいセイロンから東南アジア諸国へと広まり発展したものです。仏陀が亡くなってすぐからの伝来なので初期仏教とも言われます。それに対して、北伝仏教は西北インドからシルクロードに沿って、中央アジア、中国、朝鮮半島、日本へと伝来した仏教のことです。これを大乗仏教とも呼ばれます。紀元前1世紀ころにガンダーラからパミール高原をこえて紀元前後頃には中国西部に伝えられました。有名なのはこの経典を漢訳した5世紀の鳩摩羅什 (くまらじゅう)、また7世紀の玄奘 (げんじょう)です。言い換えればこの2人の仏教が今の日本の仏教の原初かもしれません。

仏陀は本来は名前ではなく「悟りをひらいた人」を意味する称号です。今の日本では仏像になったり神様になったりと人ではないものになっています。しかし原初の仏陀は、ゴータマ・シッダルタさんとして己を磨き修行をして執着を手放し人としてどう生きることが仕合せかということをあらゆる角度から究め盡した人物のようです。人間が持っているすべての感覚や欲望、感情などを見つめ、それが何であるか、どうあることがいいかを解きました。好奇心の塊のような実践者です。

現代では仏教は相当数の派閥や部にわかれてそれぞれに解釈が異なり、時には争いの原因ともなっています。また政治にも密接に関わっており、それぞれの権力者たちが採用して治世の役に立てました。私たち日本でも、聖徳太子の時代に仏教を取り入れ、その頃の神道や儒教などとぶつかった歴史があります。

教えというものは、言葉と似ていて二元論を持ちます。善か悪か、正しいか間違いかと、常に言葉が二つに分けていきます。もともと口伝を採用していた初期仏教はその言葉の性質を知っていたのかもしれません。私たちは、言葉という便利な道具によってあらゆる知識を便利に理解でき、そして新しいものを発明するための道具にしていきましたがそこには長所もありますが短所もあります。バランスを保つというのは、形にすればするほどに難しくなるものです。

本来、聖徳太子が理解した時のように分かれる前に回帰するというのがいいように私も思います。聖徳太子は、神儒仏習合や神儒仏混淆ともしました。そもそも一本の木が、根と幹と枝葉に分かれたように丸ごとを観ると一つの木であるというのです。

私もこれは全くの同感でそもそもが一つの木でできていると捉えると分かれていることでそれと敵対することがありません。また、一本の木が成長と捉えたら全体最適であることが分かります。

先ほどの上座部仏教と大乗仏教の違いであれば己自身が悟ることと、大勢の人々を救い助ける利他に生きることは一本の木が成長する過程と同じです。新芽が出て、真摯に生きていけば周囲を活かします。そしていつか花を咲かしたくさんの実をつけ種になれば周囲を救います。別々のものではないということでしょう。

スリランカには、ゴータマシッダルタさんが生身で生きていたころと同じ暮らしをし、具体的にその人物に会った人たちの子孫がいます。その子孫が、何を感じ、何を学び、何を守ってきたのかを感じることが私にとっては原初の仏陀の痕跡になります。

因果の法則を解いた仏陀の御蔭さまで、一期一会の氣づきとご縁でスリランカと結んでくださいました。丁寧に原因と結果の間を辿りつつ、未来の子どもたちのために学び直してきたいと思います。

人類の大先達

スリランカのヴェッダ族のことを深めていると、驚くことが次々と出てきます。このヴェッダ族は人類の起源にまで遡るほどの歴史を持っている奇跡の民族です。ヴェッダ族に触れることは、人類の起源に触れることにもなります。人類のルーツが何か、これは私は保育の仕事に取り組んできたからこそずっと追い求めていたテーマの一つでした。今回の訪問では、これからの未来の子孫たちの行く末のためにも人類の深淵に出会ってきたいと思います。

もともとこのヴェッダ族は、古代、中石器時代に生きた最古の人類であるバランゴダ人 (ホモ・サピエンス・バランゴデンシス)の直系だといわれます。これはスリランカの大多数のシンハラ人とは異なります。洞窟の遺跡から発見されたバランゴダマンは少なくても紀元前 38,000 年前には定住していたともいわれます。別の科学者によれば、50万年紀元前からこのスリランカの地にいたともいわています。

人類の原初の暮らしを今でも持続し保ち続ける奇跡の民族、このヴェッダ族は地球と共生してきた人類の原型です。今でも狩猟採集民としてスリランカの森や自然環境と密接に結びついた暮らしを続けています。

もともとこのヴェッダという言葉の語源は、ウェッダー(Vedda)です。弓矢を持った狩人を意味するサンスクリット語の「ヴィヤダ」に由来します。実際のヴェッダ族は自らを「ワンニヤレット(Wanniyalaeto)」(森の民)と自称します。

日本の古神道の杜と同様に自然崇拝で、あらゆる自然の叡智と共に場を守り暮らします。自然や森の精霊を尊び、いのちの循環する宇宙の真理と共に生きます。私たちが文字や映像などで見聞きした何よりも神聖な空間と結界を守り続けて今でも真実を生きています。

私たち現代の人類は、あらゆる欲望の成れの果てに今の人類のみの世の中を好き放題に席巻してきました。もはや教えというものも何が正しくて間違っているのかも、あらゆる宗教派閥紛争や権利権力の集中や歪んだ知識の上書きの連続でもはや原型すらとどめていません。時折、自然災害に遭遇し目覚めるかと思えばまた同じことの繰り返し、人類は歴史から学びません。

しかし現代のようにいよいよ人類の成熟期で文明の末期症状が出ているからこそ、私たちは原点回帰し今一度、真実に目覚める必要があるのではないかと私は感じます。その真実は、誰かの専門家や権威の知識ではなく、大多数が信じる何かではなく、説得力のある本質的な正論でも教えでも記録でもなく、「真実を生きてきた人たちの背中」から學び直すことだと思います。

人類は、過去に何度も滅びそうな目にあってもいざという時のために種を遺してきたから今も持続しているともいえます。種は改良してどうしようもないほどに改悪されても、もしも最初の種が残ってあればそこからちゃんと生まれ変わり甦生することができるのです。

その種とは単なるDNA的なものではなく、意識や精神、生き方や暮らし方などを保つ人々の生活様式などが統合された今も遺り生きる人々の叡智のことです。

私は暮らしを変え場を創ることで、人類は変わると信じている一人の人間でもありますが暮らしの根源を持つ人たちはまさに私にとって人類の大先達です。

大先達から人類とは何かを真摯に學び直し、子どもたちのために真実の道を結んでいきたいと思います。