元氣の根源

「志を立てて以て万事の源と為す。」これは、吉田松陰の言葉です。これはすべての根源は志を立てることだという意味です。この文章はいとこが元服するときに贈った言葉だと言われます。またその続きには、「士の行は質実、欺かざるを以て要と為し、巧詐、過ちを文るを以て恥と為す。」とあります。これは立派な大人として、誠実で素直、決して自他を欺かず、騙したり嘘をつくことは恥ずかしいという意味です。

この志という字は、そもそもどのような成り立ちかを考えるとその心が向かうところという意味です。そしてこの心とは何か、これは氣であると孟子はいいます。孟子は、その言葉の中で「志は気の帥なり。」といいます。

これは万物全ては氣で満ちており、志が立つのならばその氣はこれに従うとあります。つまり志こそがすべての氣の源泉であるという意味です。志とは、心が向かうところと書きましたが心が目指すところがしっかりと定まり醸成されているのなら氣は満ち溢れてくるという意味でしょう。

吉田松陰はこうもいいます。

志専らならずんば、業盛なること能はず」

これは志に集中していないのならば、どのような事業も学問も大成することはありえないと。ここでもすべては志だといいます。また「己に真の志あれば、無志はおのずから引き去る。恐るるにたらず」ともいいます。これは、自分の中に志が立っているのならそうではない人はみんな自然にいなくなっていくもので怖がったり不安になる必要は全くないという意味です。

志こそ氣の正体ですから、立志の人物は元氣に充ちているということでしょう。この元氣があればどのようなことも実現できると信じるのです。できるかできないかを悩む前に、志はどうなっているのかと初心を確認することが吉田松陰の學問の真髄で姿勢だったのでしょう。

最後にこういいます。

「志定まれば氣ますます盛んなり」と。

志さえあるのなら、どのような環境下や状況下でも氣は常に充実しているのだと。まさに、志を実践することこそが第一義でありそれ以外はないという生き方。もう逝去されだいぶ経ちますが吉田松陰の志は後世を生きる私たちの心にも元氣を分けてくれているように思います。

よくよく元氣の根源を振り返り、その志を磨き上げていきたいと思います。

 

丁寧な意識

私たちは常に意識というものを持ってその物事に取り組んでいくものです。その意識の差が仕事の差になり、成果の差にもなるものです。どれだけの意識の境地を持っているかで、偉大な差が出てきます。

例えば、仕事でも単なるお金や指示命令に従っているものか、あるいは全生命を懸けるほどの情熱と熱意と努力で取り組んでいるのかで意識は違うことは誰でもわかります。自分の意識がどのようになっているのか、そこには人生の目的や生き方、あるいは信念などが影響を与えるものです。

何のために取り組むのかが変わると、意識もまた変わります。自分の意識というものをどの境地でいるのかは、実は何をするのにもとても大切なことであるのは間違いありません。

私が尊敬している人たちの意識には、ある共通点があります。それは物事から学ぶ意識、尊敬する意識、改善する意識、好奇心や情熱の意識などが徹底して磨かれていることです。それを表現するのは、「丁寧」であること、あるいは雑ではないということです。

この雑さというのは、意識からするととても残念なことです。雑な意識、雑な生き方、雑な行動のなかには先ほどの共通意識でしたような尊敬も改善も学も好奇心もありません。

非効率であり、手間暇がかかりまた努力も苦労もたくさんあったとしても丁寧さを失うことがありません。この丁寧さというのは、意識の境地があるということです。

丁寧な暮らし、丁寧な接客、丁寧なお手入れ、丁寧な言葉、丁寧なあいさつ、丁寧な生き方、丁寧な作業、丁寧な食事、どれにしても意識がある境地にいつも入っている実践です。

こういう意識の境地を調えていくことが、徳を磨くことにもなり、人格を高めることにもなり、いい仕事、いい人生、いい関係、いい影響、いい環境を創造していく人になるということでしょう。

子どもたちに見せられる大人の背中であるように、丁寧な意識を磨いていきたいと思います。

冬至の伝承

いよいよ今週末は冬至祭です。昨年も、みんなで夕陽を眺め拝みながら一年の最期の太陽が沈むゆくのを感謝で見守りました。一年でもっとも日照時間が短くなり、夜が長い日がこの冬至です。

冬至に向けて太陽の光が次第に弱まり冬至を境に再び強くなっていく様子に「太陽の生まれ変わる日」として世界各地で冬至祭が行われます。

昨日は古民家たちの家祈祷の日でしたが、雲が多く時折雨が降りましたがその雲の切れ間からの太陽の光に何度も手を合わせていました。このころの光の有難さは格別で、光が差し込むだけで感謝の気持ちが何度も湧いてきます。動物たちも光が差し込むと、その光の近くに移動したり感じようとしているのがわかります。

寒さや暑さなどを感じる太陽とは異なり、太陽から発せられる光そのものを深く味わうことができるのもこの冬至のころの素晴らしさではないかと思います。

日本に冬至が伝来してきたのは遣唐使の僧侶からだともいわれています。しかしきっとその遣唐使の前からこの太陽が一年でもっとも短い日をむかしの人たちは知っていてその光を感謝で拝んでいたように感じます。

当たり前の存在、水や空気や光はそれなくしては私たちは一瞬足りともこの地球で今のように生きていくことはできません。お金はなくてもこれらのものはなかったら存在すらできません。この当たり前で最も尊い存在にどれだけ感謝しているか、それを一年に一度でもその初心を忘れないように一日を過ごすかはその一年の過ごし方を決めていくようにも思います。

もっとも光が弱くなるからこそ、邪気払いや浄化を丁寧にむかしの人たちはこの冬至に行ってきました。そして新しい光が再来することの奇跡を祈りました。自然と共に生きていくというのは、自然のリズムと共に歩んでいくということです。その安心感や感謝の源泉は、常にこの見守られている偉大な存在に気づくところからかもしれません。

子孫へとこの冬至の有難さや豊かさを暮らしフルネスを通して伝承していきたいと思います。

家祈祷の意味

家運というものがあります。私は古民家甦生をして家には運というものがあることに気づきました。最初は、見た目だけの雰囲気や場所などを意識していましたが実際に手掛けてお手入れを続けているとそこには確かに家運というものを感じます。

家は末代までと祈祷するのが、家祈祷です。それぞれの初代が棟上げのときに大工棟梁や家人らと共に家の行く末を祈りました。そこにはその家の子孫たちの家運長久を祈る人たちの祈りや願いがあります。そして一家の平安と無事を祈り続けてきた家人たちの暮らしがありました。

それが代々を重ねることで豪壮になり、時には衰退していきました。栄枯盛衰を繰り返しながらも、家は続き、次の人へとそのいのちのバトンを渡していきます。一家というものは、どこの範囲までを一家とするのか。血筋の集まりもあれば、同じ目的で生きる仲間の時もあれば、その家の飯を食べた人というものまであります。

家運を高め磨くことで、その家は力をいつまでも貯え力を発揮するのです。

ではそのように家運を高めるのか、それは日々の暮らしをどのようにその家で行うのか、そして祈るのか、味わうのかに関係してきます。

一つには、お手入れという掃除があります。これは感謝することです。感謝を具体的な行動にするとき、人はお手入れやお掃除をします。そのものや場所、道具に深く感謝して時には修繕し、時には調えて、丁寧に磨きあげていきます。玄関や床の間など、また厨房の煤払いをします。

そしてもう一つの祈りは、日々にそこに何か偉大な存在がいるかのように尊敬しながら手を合わせて暮らします。主人の生き方がその場に投影していきます。味わうのは、その家が喜ぶように暮らし味わうことです。一緒にその時代を生きる思い出を彩る家庭として、家での思い出を深く味わい盡すことで元氣が出てきます。家は喜ぶことで、イキイキするのです。

こうやって家運を高めていくことで、私たちはその恩恵も御蔭様もいただき仕合せや豊かさを味わえます。そして、その大切な節目を一家で大切に過ごすことが家祈祷です。

今日明日は、一年の感謝を家祈祷をしながら過ごします。日本人のやまと心ややまと魂を結ぶ暮らしフルネスの実践を子どもたちや子孫へと伝承していきたいと思います。

井戸の豊かさ

昨日は、井戸の無事を祈願した神龍八大龍王神社に御礼参りに伺ってきました。今回の井戸は、最初から困難続きで不可能とも思え何度も諦めそうになることの連続でした。何度も絶体絶命で神様頼みをするなかで、何とか最期まで掘り抜くことができお水も申し分ないほどに湧き出るところまでになりました。

振り返ると、元々その場所は酒蔵で大量のお水が出ていたこと。そしてかつては家が繁栄していたのを井戸仕舞いをして衰退してしまったこと。室内に井戸があったといってもどこに埋まっているのかまったくわからなかったこと。また霊視できるある方から偉大な龍神がいて命の危険があること、傲慢さに気を付けるようにとご連絡をいただいたこと。何度も井戸を甦生するかどうかをギリギリまで議論し、最終的には何のためにやるのかと何度も吟味して決心し井戸掘りを費用度外視、歳月度外視で覚悟して取り組むことになったこと、他にも色々とありました。

気が付けば一年二か月という歳月を経て、約17メートルほど掘り下げた見事な井戸になりました。そしてこれをすべて手掘りで完成させました。今の時代、機械ボーリングで簡単便利に井戸は掘りますがむかしはみんなで井戸はいのちある存在として神事のように手掘りで掘り下げていきました。途中に岩盤があればそれを何とかしなければなりませんし、もしも作業中に井戸の周囲の土が崩壊すれば窒息死してしまいます。あらゆるリスクを想定して慎重に進めていましたが、保険にも加入しいざとなったらと私自身も後かたずけの覚悟を決めていました。井戸掘り職人の方は、天涯孤独の身であり心配ないと言われましたが常に心は井戸に置きいのちの安全を祈願し続けました。

井戸職人からは時には、落雷で停電して井戸内のワイヤーが宙ぶらりになったこと、また急激に水量が増して危険だったこと、ポンプが泥水を吸い上げられなくなったこと、その他にも井戸掘り道具が壊れたり梯子が使えなくなったりとありとあらゆることが発生し困難を極めたことなどを聴き、昨日は祝杯を酌み交わし、ずっと泣き笑いしながら苦労を分かち合い、労い合いました。

畢竟すべてが終わってみると、最期までみんなで諦めなかったこと、だからこそ今、この瞬間があると感動してそこには不思議な多くの御蔭様があったことに深く感謝しました。

自然を相手に何かをするというのは、常に謙虚な気持ちで真摯に取り組んでいくことの連続です。思い通りにはならず、思った以上のご縁に巡り会い続けます。振り返ると、とても豊かなことであり一生涯の人生においてこのような仕合せはありません。

ある独りは、いいものを提供したいと願い、またある独りは、頼まれた以上は無欲に信頼に応えるといい、またある独りは丸ごと全てを最期まで信じ切るといい、その三人が独立自尊して力を合わせたからこそこの井戸は完成しました。まさにお水の神様、辰年に相応しい目出度い最幸の一年になりました。

さあ、ここからがいよいよ本番で家の甦生に入ります。

この井戸とお水に見守られながら建築や修繕に取り組めることは有難く、この上ない喜びもあります。そのお水が活かされるように、隅々まで心を運びながら来夏ころの老舗開業に向けて真心を貫ていきたいと思います。

心から井戸の豊かさとすべてのご縁に感謝しています。

素晴らしい井處

浮羽で甦生中の古民家の井戸がようやくほぼ終了しました。あとはポンプと井戸わくを設置すれば完成します。思えば、約1年以上ずっとこの井戸掘りのことをやってきました。古民家甦生も井戸が終わってからと決めていましたからほとんど進まず、焦る気持ちもありましたがこればかりは水神様を先にという周囲の声もたくさんいただき無事にやり遂げることができました。

この井戸を最期まで諦めずに取り組んだ主人と井戸職人の方の想い、そして数々のトラブルがあってもみんなで協力しあってここまでこれたという感謝。決して忘れることはできません。今日はそんな苦労を分かち合い振り返る大切な一日にしようと、願掛けをした神社にみんなでお礼参りに伺います。

私たちのすべてはお水ではじまりお水で終わります。私たちのいのちはお水があってはじめてカタチになりますから、そのお水をいただく處、つまり井處をどれだけ大切にお祀りするかでこの先の年月の安心長久が決まります。

中国のことわざに「飲水不忘挖井人(水を飲むときには井戸を掘った人を忘れない)」というものがあります。今では、蛇口をひねればすぐに水道水が流れてきます。ほとんど当たり前になって感謝もせず、水道が壊れるとクレームの嵐です。

しかし井戸は、そういう感じがありません。地下から滾々と流れ込んでくるお水の存在に自然に感謝する気持ちが湧いてきます。井戸がある御蔭でと井戸のことをいつも考えます。井戸のことを考えるとき、お水があることの仕合せや有難さを感じます。

少し前までは、私たちの先祖は山の近くで流れてくるお水の周辺で生活をしていました。海の近くは、下流域で川の水も汚れているし井戸も塩が強かったりします。特に都市部は埋め立て地ですから水の確保は難しかったといいます。

田舎にいくとよく観察すると、日当たりや安全などのこともありますがお水をどこから引いてくるかで建物が設置されていることがわかります。お山から流れてくる沢のお水を使って、生活用水を工夫していたといいます。ただ、少ない水量での生活では大変だと時代が進むとともに井戸を掘っていったように思います。

井戸のお水は、使えば使うほどに水の道がととのい安定していくともいいます。火を使い、お水を用いて日々の暮らしをととのえていくのは、とても豊かなものです。

この一年以上信じ続けて湧き出してきた美しいお水を、浮羽でこれから出会うであろう人たちにこのお水をみなさんが飲んで何かを感じていただけるのではないかと感じています。

今日は、改めてこの素晴らしい井處の完成報告の節目の一日として感謝で過ごしていきたいと思います。

注ぎ方~お水の主人~

私たちは当たり前にあるものの可能性というものをどれくらい深めているかで、その意識の高さや生き方の磨き方がわかります。この当たり前というものは、普段あるものをどれくらいちゃんと活かしきっているか、どれくらい本気で一期一会に向き合っているかで変わってきます。これは自分の実体験をどこまで昇華できているか、そしてそこから本来は何かという真実や真髄を學ぶ境地に入っているかで変わってきます。

昨日は、ある方の紹介でお水をはじめすべての液体の注ぎ方を究めておられる人にお会いするご縁がありました。今年は辰年とのこともあり、お水に関係することに多く触れる機会になりましたが最も深い感銘と気づきをいただくご縁になりました。

そもそも私たちに元来具わっている感覚というものはどこから来ているのか、これは心の在処と結ばれています。私たちは感覚というものを通してあらゆるものを察知します。しかしそれはどのようにしているのか、知識では理解できるものではなく自分の中にある感覚が感受するときにはじめて感得するものです。つまりは最初からそれは存在している感覚があるということです。

その感覚のほとんどは、使う必要がなければ日頃は眠っているものです。つまりは使わないからそのまま使わないように自動調整されています。しかしある修練を積み、その感覚があることに気づき目覚めてしまうとその感覚が日常使いができるようになります。そしてその感覚を持っている人が、自分の指先や手を通して意識を投影させるとそれが他の人にもその感覚があったことを思い出させるのです。もちろん思い出すだけでそれを使うか磨くかはそのあとの練磨や修養次第ですがそれでも感覚が目覚める体験はその人の人生を大きく変えてしまいます。

人が究める、極まるというのはある一線を超えたところにあります。これは、感覚が研ぎ澄まされ感覚を活かせるということではないかと私は思います。感覚は、無限であり、感覚そのものは偉大な心の顕現する姿です。心を使えることや、心を使いこなすことは形を創ることです。私たちが象るものは心の現象が顕現するのです。

色々と昨日は今までのお水に関わる自らの関わり方や生き方、活かし方において深い反省があったことと、改めて学び直したことでその奥深さや美しさ、深い愛に感動しました。

職業や内容が異なっても、目指している生き方が同質の同志に邂逅できることほど仕合せなことはありません。心が躍動し感覚が鋭敏になるのもまた、ご縁と御蔭様のなず神業です。子どもたちや子孫へ、この古来からの智慧や大和心の生き方を伝承していきたいと思います。

元氣になる

今年は、親戚の叔父さんが開発した笑みたわわという品種のお米の可能性を深める一年にもなりました。お米作りの方は、ご縁あって無肥料無農薬で13年目になり色々と学んできたことはありましたがその元氣な田んぼで元氣になる元氣なお米をどう日本人の子どもたちに食べてもらうことができるのかを考える一年でもありました。

現代は、便利さを追求し飽食の時代でその素材に元氣があろうがなかろうがすぐに食べれて口に美味しいものばかりが追及されていきましたから本来の滋味深い食べ物が食卓にあがらなくなってきました。病気も薬も病院も増える一方で免疫機能は下がるばかりです。

そんな中で、本来の元氣とは何かということに原点回帰するとそこには医食同源という本質に気づきます。病気の気は、病は気からとあるように気が病みます。その反対に、気が活き活きとしていることを元氣ともいいます。その気の字は、〆るではなく氣にあるように米が入ります。そう考えると、病氣であるとなんだか氣が快復していくような氣もします。

この氣というものの存在は、空氣、大氣とあるように地球には満ち溢れています。その中でいのちは活き活きと躍動しています。その元氣が循環するからこそ私たちは地球と一緒一体になっていのちを豊かに愉快に仕合せを味わうことができるように思います。

その本来の元氣がなぜなくなっていくのか、そこには地球の循環から離れるような生き方、食べ方、暮らし方になっているというのが私が洞察するところです。どんな自然物も、草一本であっても人間には創り出すことはできません。それを創造するのは自然です。そして自然は地球そのものでありこの元が元氣ということでしょう。元氣があるものを取り入れることは、私たちが元氣になっていくということです。

元氣がないものといえば、田んぼであれば農薬や化学肥料などをいれている田んぼのことです。自然の生き物たちを殺し、土を傷め、人間の都合を優先すると元氣から離れます。自然の生き物がいっぱいの田んぼには元氣が溢れています。その元氣を私たちは食べて元氣をいただきます。毎日、私たちが「いただく」ものは「元氣といのち」です。

その元氣といのちを循環するのが、一生を生きるということでしょう。

子どもたちは生まれながらに何を今食べているでしょうか、元氣があるものを食べることができているのでしょうか。色々と考えてみると、今はお金があっても大切なものが失われている大変な時代であることはすぐにわかります。

丁寧な暮らしの中で、本当に大切なものを守り徳を伝承していきたいと思います。

仙薬の木 松

いにしえから仙人が食べてきたという植物に松があります。ご縁あって、松葉を今年から食事に取り入れるようにして体験を深めています。これは、英彦山豊前六峰の一つ、松尾山での出会いからです。

この松尾山は、白雉3(652)年に行徳という修行僧が山頂に草庵を結び、仏道修行したのが始まりと伝えられ、神亀5(725)年、能行という僧が松尾山に寺院を建立、山号を松尾山とし寺号を医王寺と名付け勅許を得た修験の山です。

松尾山の由来は、僧侶の能行が山頂にある大松の根元を掘っていると薬の入った壺が出土しその薬を使い人々の病を癒したことから松の字をとったと言います。

この松尾山とのご縁から松の薬効にとても興味が湧き、昨年からの伝統医療や薬草研究と結ばれ本格的に松を取り入れる暮らしに入ったことが理由です。

この松というのは、世界各地でその医薬的な価値の高さは証明されています。古来の古文書から近代の科学的な効果をみても見事な植物です。今回は効能まで書いているととてもブログに収まりませんので少しだけにします。

古代中国の本草書である神農本草経には「松葉は悪瘡を治し、毛髪を生やし、五臓(心臓、肝臓、腎臓、肺臓、脾臓)を安んじ、胃腸を守り、気を益す。久しく服すれば、穀を断って饑えず、渇かず、則ち身軽く、不老延年す」とあります。また血流促進、血管強化、心臓強化、抗高血圧、強壮強精、育毛、胃腸虚弱にも効果があります。

松葉軍医という話があります。これは、戦時中に壊血病にかかった兵士たち5000名以上を松葉によって救ったともあります。他にも戦国時代などもお城で籠城するときもこの松葉を食べて健康を維持したとも。修験道でも、修行中に松葉をかじりあるいは、煎じて健康と元氣を保ったとあります。そして松は捨てるところが一切ありません。すべてが薬になる仙薬の木ということでしょう。

松こそ私たちの健康をずっと守る大切な存在であるのは間違いありません。

最後に禅語に、「松樹千年翠」(しょうじゅせんねんのみどり)があります。これから正月に向けて、松を中心に室礼していきますが深い尊敬の心で取り組んでいきたいと思います。

暮らしの煤払い

今週はずっとそれぞれの古民家の煤払いをしています。よく年末の大掃除には早いと思われるかもしれませんが、ギリギリになって歳神様や祖霊を迎えるというのは失礼なるため早めの準備を始めています。また陰陽五行の土の行事でもありますから、丁寧に祓い清めていきます。

もともと日本人は、清め祓うことを日々の暮らしで大切にしてきた民族です。その証拠に、行き届いている古民家はどこも清々しく凛としています。特に正月のしんしんと冷えた空気の中で、千両や万両、あるいは松などの植物を室礼するととても澄み渡る場に心が洗われます。そこにはまるで、何か神聖な存在がたくさん集まっておられるような気配もあります。

英彦山の宿坊などは、正月の間の気配はまるで山頂のような清々しさで静かに手をあわせ祈りを捧げていると歳神様が鎮座している気配です。またお山の山伏たちや祖霊のお接待もするため、御餅をはじめお酒、榊などご用意していきます。

そもそもこれは宗教だから取り組むのではなく、暮らしとして私は取り組みます。暮らしは、単なる行事をすることではなく暮らしそのものが行事のように暮らしていくということです。煤払いであれば、これは煤払いの行事をするのではなく歳神様や祖霊をお迎えするために煤払いという暮らしをしているということです。

そもそもこの目的が先か、方法が先かというのは現代でもどの仕事でも向き合うテーマになっています。生き方が先か、やり方が先かというものもあります。しかし本来は、順番があり心が先で行動が後であるようにまず暮らしが先で行事が後ではないかは私は思います。そうすることが、丸ごと実践で本質で包むようになるからです。

先祖代々、数百年、あるいは千年以上ずっと同じように暮らしてきました。それを今でも丁寧に思い出し磨く直していくことで、懐かしい未来を譲っていけます。未来の子孫たちのためにも暮らしフルネスを実践していきたいと思います。