智慧と験力

人間は、何か一つのことを専念し磨き上げることで一線を越えることがあります。それは智慧を感得し、特別な技能に達するということです。そこには科学では証明できないようなことも多数発生してきます。

そもそも科学で証明できることなど、宇宙全体のたったの数パーセントです。この世のほとんどは科学では証明できないものばかりで溢れています。そういう特別な科学で証明できない能力を持つひったちのことを超能力者とも呼びます。少しむかしには、それを仙人とも呼びました。

そもそも仙人は、色々な種類の仙人があります。それぞれの道でそれぞれの技がある、それを達人の域に入っているからそれぞれに仙人もいるということでしょう。

この仙人の仙という字は、中国の甲骨文字にある歴史が古いものです。中国の道教では仙人は山に住み、不老不死の薬や、超自然的な力を持つとされていました。

山と一体になり、不思議な験力を感得した人たちということになります。山は自然の中でも特別な場所です。特に岩があり、その岩の窟や磐座などで仙人は修行しています。

この岩には、科学では証明できない不思議な力が宿っているのは間違いありません。英彦山にもかつて修験者たちが修行をしていた窟が49か所あったといわれます。窟で静かに座っていると、深い落ち着きが得られます。まさに不動の徳です。

私たちは、日々に動く存在ですが動かないことではじめて観えてくる境地もあります。それは何が動いているのかを感得できるということです。まだまだ科学では証明できないものばかりにワクワクします、先覚者たちが何を発見してきたのか。そしてそれを現代ではどう取り入れ活かすのか、やってみたことがたくさんあります。

仙人の智慧を学び直しながら、子どもたちにその智慧と験力を伝承していきたいと思います。

自然の徳、人間の道

時代というのは、それぞれにそれぞれの課題があるものです。この時代の課題というのは、人間の世界のことです。人間の世界は何度も失敗をして滅んでいます。かつての遺跡を見ていたら、大繁栄した時代もそのうち必ず終焉を迎えています。今もその当時の価値観で繁栄している世界はありません。遺っているのは、自然と共生してきた自然と一体になっている人間の世界だけです。それ以外は、栄枯盛衰を何度も何度も続けています。

現在の時代は、産業革命以降の資本主義が席巻しています。それを変えようなどと言ったら途方もないことをといわれて諦めることがほとんどです。確かに、消費文明を発展させてきたこの百年以上の歳月、もはや空気のように消費することが価値があることとして認識されて価値観が仕上がっています。消費しないことは悪のようにいわれ、消費に加担しない真の生産者たちはみんなお金を得る機会が失われていきました。そうすることで循環者たちもいなくなりました。まさに時代は、資本主義が成熟した繁栄発展の真っただ中です。

しかし、これもいつまでも続くことはありません。栄枯盛衰があるように必ず滅ぶ時がやってきます。問題はそれがいつなのかということです。今、急に変わるということはないでしょう。よほどの天変地異や世界大戦などの破壊、あるいは宇宙からの別の何かの襲来など期待するくらいしか考えられません。しかし、実際には長い年月を歴史の視点で眺めてみるとそのうちあと100年もしないほどにもうこの価値観は消えて別の何かになっているはずです。

その別の何かというのは何か、それは今の人たちが静かにそれを実現する準備をはじめているのです。世の中全部を丸ごと一気に換えるというのは必要ありません。自分の足元で自分のできることで理想を信じて実践していけばいいのです。

私はそれを暮らしフルネスと徳積循環という実践で続けています。現実には、アニメの物語のように今の体制を変えるほどの大それたことはありません。しかし、長い歳月をかけて先覚者や先達たちが普遍的な道を歩んできたように、いつの日かその時代が来ると信じて道を切り拓いていくのです。

自然がいつまでも地球から失われないように、決して自然の徳は失われることはありません。あらゆる姿に形を変えて道が続いていきます。人間の時代は、一つの一生ですから気づいて変わるかどうかが私たちが試されているということでしょう。

そういう意味で、気づいていく機会はこれからもたくさん訪れます。特に子どもたちはその機会に恵まれていくはずです。そんな時、一つの選択肢として一つの別の生き方があること、あったこと、今でもあることをどう遺していくかが私たちの世代の使命と責任になるように思います。

ある意味、どうしようもないことは無理しても仕方がないので気楽に愉快に全てを天にお任せして自らの道を予祝しながら歩んでいきたいと思います。

どの時代にも遠くを観て、今を生き切る同志に励まされます。ありがとうございます。

 

暢気に道を歩む

諸説ありという言葉があります。これはその一つを論じるのに色々な説があることをいいます。というかこの世には、後から続く者たちがそれぞれに説を語りますから諸説があります。すでに私が起業した会社でも、名前の由来とか起源とか、どのような経緯で今の事業を興したかも社員に聴くとそれぞれに諸説があります。それは一緒に取り組んでいた社員がそれぞれの視点や観点で語るとそこに諸説が誕生するからです。

他にも、以前ある人の遺言で生前よく話していた言葉を石盤に刻みましたがそれも周囲の人たちの間では諸説があって全く纏まりませんでした。結局は、英文にしてなんとなく響きや名前を文章に入れて刻んだことがあります。このように諸説というのは、周囲の人たちがそれぞれに語るからそうなります。

そう考えてみると、宗教などはその最たるもので仏陀が語ったことを周囲の弟子たちをはじめ後人たちがそれぞれに解釈して自分の方が間違いないと語りますから諸説は誕生し続けていきます。そしてその諸説が、派閥になり宗派になって今に至ります。

よく経典を観察してみると、似たようなことばかりを書いていますしそれがまた小さな違いがさも大きなもののように記されていたりします。他には茶道などの作法も派閥によって異なります。最初にはじめた本人はまさかそんなに分派して自分のやり方が諸説誕生するなど考えてなかったかもしれません。しかし実際には、そうやって分派し、よくないことに何百年もかけてどちらが正しいかといがみ合ったりしているのが人間です。

修験道というものも、本来は派閥ではなかったものが江戸時代以降に幕府の管理下に置かれるようになり派閥に属する必要が出てきて今でもその派閥で存在しています。しかしそもそもこの修験道は、一宗一法に執せずという教えもあったりして神仏混淆、もっと言えば何でもありの考え方ではじまったものです。今では袈裟を着てそれっぽくなれば、立派な宗教の人になります。しかし実際のはじまりは、縄文人のような姿で純粋な信仰心からはじまったのではないかと私は直感します。

お山や海、そして河川や岩など、自然物が如何に私たちに恩恵を授けてくださっているか。自然そのものを尊敬し崇拝するのです。自然に諸説はありません。諸説は人間がつくりあげるものです。

私は諸説にあまり興味がなく、始まりや原点などに興味があります。

引き続き、自然体でお山に学び、お山の暮らしから和合を楽しみ暢気に信仰を甦生させていきたいと思います。

自然の叡智、農の伝承

昨日は、下関にあるゆっくり小学校を見学するご縁がありました。ここは自然農の畑を作っており、川口由一先生との出会いからはじまったことをお聴きしとても嬉しい思いがしました。

取り組み始めた頃も同じぐらいの時期で、実践話にも花が咲きました。それぞれ、今の時代に持ち出さない持ち込まないなどの思想に取り組むと色々な課題が出てきます。実際の環境が、その真逆でそれが常識になっている世の中において本来の自然に沿った生き方、自然に合う方法などを選択すればすぐに課題に当たります。

その課題を見つめながら、自分はどこで折り合いをつけるか、そしてそれを逆手にとってどう今に活かすかと私は向き合ってきた20年でした。しかしこの20年で得てきた様々な智慧や経験や場数は今の私の意識を形成し、今の私の人生そのものをとても磨いてくださいました。

自然の中に入り、一人で立つということの覚悟や尊さは今でも私の宝になっています。自然から得られるものは、金銭で購入できるものとは全く異なります。その自然の智慧や叡智は、私そのものの根源の存在と結ばれています。

よく考えてみると、私たちはお水に包まれた地球に存在しています。そのお水は地球の意識そのものです。そのお水と一緒一体になっている肉体は、自然のお水を感じるたびに、地球の意識を感じ取ることができます。そして何が自然で何が不自然かということを学び直します。

長い時間をかけて不自然を増やして、人類はこの地球を人間球にしてきたつもりになりました。しかし実際は、地球はあくまで土とお水と火によって形成されいのちを生成しています。人間もその中の一部でしかありません。

自然農の素晴らしさは、本来どのように暮らしていくことが永続するのか、そして日本民族の心は何かということを伝承できることのようにも思います。

出会いは、色々な機会で訪れますが学び直しは常に今ここで連続していきます。ご縁に感謝して、実践を味わっていきたいと思います。

釣りの変遷

私の家の前にある鳥羽池では、朝早くからいつも釣り人たちが釣りをしています。ブラックバスの聖地などとも呼ばれるため、週末も人気です。ただゴミ拾いをするときに、釣りの道具やクーラーボックスなどが捨ててあったりするとがっかりします。そもそも娯楽というのは、マナーがなければ周囲が不快になるものです。特にここは、中学生たちが何度もみんなで自主的に場所を綺麗にして美しいふるさとを守る為に清掃を続けてくれている場所です。そういう人たちがいて、自分たちが娯楽ができることを忘れないでほしいと思います。私も掃除を続けてこの池の素晴らしさや美しさ、心地よさを見守っていきたいと思います。

というのはこの辺にして釣りについてちょうど関心があったので少し深めてみようと思います。私も学生の頃は友人たちと遠賀川でウナギ釣りをしたり海釣りをしたりと楽しんだことがあります。一時期は、夜の釣りにはまって夜通し朝まで釣りをしていました。夜の暗闇の水中は全く何も観えません、それに何が釣れたのかも引き上げてみないとわかりません。遠賀川では、ウナギだけではなくナマズをはじめフナや鯉や大きな川魚が釣れました。海では鯛をはじめフグなど色々と釣れました。

そもそも釣りのはじまりは旧石器時代からといわれます。縄文時代の遺跡からも釣りの道具が出てきています。その頃は、貝をはじめ海のものを狩猟して食べていたのがわかります。そして当時は、釣り針も今のようなものではなく骨や石から作っていたそうです。撒き餌のようなものもあったように思います。その頃は、生きるための狩猟として釣りをしていたといいます。海の神様に、恵比寿神がいますが釣竿をもって鯛を抱いているのが想像できます。海の恵みの象徴で、私たちがむかしから海と親しんできたのがわかります。

それが次第に娯楽になっていくのは、江戸時代だといわれます。江戸時代には、武士をはじめ女性が釣りを楽しんでいる様子が描かれています。時代劇などを見ていたら、よく魚籠(びく)をもって笑顔で出店の店主にさばいてくれとみんなで分け合って食べているシーンがありました。

その後は、ルアーが発明されたり西洋文化が流入して今の釣りのスタイルになっていきました。今では養殖した魚が大量に出回り、スーパーにいけばすぐに魚はいつでも手に入ります。むかしは冷蔵庫もありませんでしたから、魚はすぐに食べるないと腐りますから干すか漬けるか燻製にするのかなど工夫して保存したのでしょう。川や海の近くだからこそ食べられた有難い存在でした。

今の時代は釣りはどのようになっているのでしょうか、変遷を味わうことで釣りの醍醐味も変わっていくようにも思います。いつまでも自然が豊かにあって、その自然の有難さを忘れないように歴史を学び場に触れていきたいと思います。

天上の風と秋の慈雨

夜半から秋の雨が時折降り、今朝から澄んだ瑞々しい風が吹いてきます。この時期の雨は慈雨のように柔らかさを優しさを感じます。鳥の鳴き声もどこか、この秋風のようで存在自体に癒しを思います。

不思議なことですが、秋の風景はどれも癒しを感じます。これは深い悲しみや哀しみを恕すかのようです。

千峯雨霽露光冷(せんぽうあめはれて、ろこうすさまじ)君看双眼色(きみみよそうがんのいろ)不語似無憂(かたらざればうれいなきににたり)という禅語があります。

私にとっては、今朝のような澄んだ風景のなかにこれを感じます。春の天上に吹く風は、耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶことへの優しさやその有難さを感じます。しかし秋の天上に吹く風は、悲しみや哀しみを乗り越える美しさや喜びを感じます。あくまでこれは感覚の話ですが、澄み切った宇宙の中には何もないようで深い情緒があるように思います。

変化はすべてのいのちの中に宿ります。時として、そのいのちは自分を通してすべてを映します。そのものになって顕れてくるのです。それが心ともいいます。心を通して風景を映すとき、その人の眼にもその風景が宿ります。

もの言わぬその人の奥深い眼のさらに奥に、その人にだけ持っている心があります。同時に如何に愉快に楽しく明るくもの言う人の奥深い目のさらに奥にもまた深い悲しみがあるのです。

人はすべて単純のようで単純ではなく、誰もが悲しみや哀しみを宿しています。たくさんの人が、それぞれにたくさんの人生を宿し、それぞれの役割を全うしていきます。その全ては天上の風がいつも四季折々に姿かたちを換えて見守ってくださっているということでしょう。

毎日、ふとした時に見上げる空に心は深く通じています。そして風はそこから吹いてくることを思い出させます。

癒しはいつも天上の風から訪れます。

秋の慈雨に感謝しています。

ススキの生命

秋の七草の一つにススキがあります。七草は、姫部志、女郎花(オミナエシ)、尾花(ススキ)、桔梗(キキョウ)、瞿麦、撫子(ナデシコ)、藤袴(フジバカマ)、葛花(クズ)、萩(ハギ)です。

特にススキは、この時期は日本全国どこでも見つけることができます。お月見で活躍しますが、古民家では茅葺屋根などでも使われます。もともと茅葺のカヤという植物があるのではなく、ススキ・ヨシ・チガヤのことを総称してカヤといいます。

ススキに似た植物に、荻(オギ)があります。これはススキは乾燥地帯に生えますが、このオギは湿地帯に生えています。微妙に似ているのですが、ススキは株があってオギは湿地のなかで広がりますので生え方も異なります。ヨシも湿地帯です。チガヤなどは、世界最強の雑草ともいわれ繁茂していきます。

これらの植物は、みんな偉大な生命力を持っています。何千年も前から生き残り、いくら刈ってもまた甦生して繁茂します。私たちの先祖は、自然を壊さないようにしながらその自然からいただけるものを選んで暮らしの中に取り入れてきました。

もしもこれらのカヤが簡単に失われるような弱い生命力のものなら、それを敢えて使おうとはしなかったはずです。他にも竹などもですが、先人たちは自然に影響が出ないように配慮しながら暮らしを持続してきたのです。

そしてその生命力に肖り、その生命力を尊敬し真似していこうと生活の中で取り込んできました。自然をどう取り込んでいくかで、私たちは自然の持つ智慧を吸収して一緒に生き残ってきたのです。

現代では生き残っていくというのは、競争社会のなかでレールから外れないようにしていくことのようになっていますがむかしは自然界と同じように地球と共に生きて共に暮らしていくことができることをいいました。

植物たちがもつ四季折々の生き方や生命力は、私たち人間の模範の一つでもあります。風情を楽しみながら、一緒に生きてきたことを思い出し、その徳を共に伝承していきたいと思います。

心の交流

昨日、スリランカからアーユルベーダの国立大學の総長や秘書の方が来庵されました。色々とおもてなしをしましたが、日本のむかしながらの暮らしや和食こそが日本のアーユルベーダではないかと再認識できました。

特に秘書の方が興味をもっていただいたのが、先日の十三夜です。日本人は、月に祈り感謝するのかと大変驚かれていました。もともと、私たちの先祖たちは小さな自然の変化にも偉大な関心を寄せ、また日々の暮らしのなかで常に自然への感謝を忘れませんでした。

自然からいただいている恩恵のことを常に忘れず、自然の厳しさに対して謙虚に自分たちを反省していました。

現代では、自分の寿命を削り取るような生活をしているとスリランカの方々も嘆いておられました。時間を急ぎ、日々忙しくし、便利な食事をとり、結局はいのちが短くなっていくことをなぜみんなやるのかと。

私にしてみれば、消費経済の中で搾取構造の環境の中にいるから次第に環境の影響を受けて人々の生活様式も現代の便利なものになりました。日々の小さな心がけや暮らしを磨いていく努力や場数がなければなかなか意識を換えることは難しいものです。

私が暮らしの中でとても助けられているのは備長炭たちです。炭火を通して、丁寧にいのちに接して色々とぬくもりを味わう時間と場。そこに私は喜びを感じます。

昨日もおもてなしはほとんど炭火を使っていますが、そのどれもを私は心とセットに行います。この豊かさは、味にも顕れますし、終わったあとの余韻にも余熱が入ります。

むかしからの知恵や道具、あるいは精霊と呼ばれるものを如何に今の時代でも大切に感じていきていくか。意識した暮らしは、寿命を伸ばし、心の余裕や豊かさを増やします。

これからも心の交流を通して、伝統医療を現代に甦生していきたいと思います。

和を尊ぶ

歴史の一つには、人の間の紛争というものがあります。どの時代も、人は人と争います。その陰には様々な権力者たちの思惑があります。本来、自然にはそういうものはなくそこに関わる人の間に紛争が発生します。

以前、宇宙から観たら地球は国境の線はないとあり人間が地図で国境を分けたことで国境が産まれているのもわかります。他にも人肌の色の違いやそれまでの生活文化の違いで上下を分けるなども人の間での話です。

そもそも最初はどうだったかということに思いを馳せると、最初はこんなに分かれていたものはありません。よく言う神様という存在もまた分かれてはいなかったのでしょう。山は山として、川は川として名前もなくそのままあるがままの自然の一部として認識していたものです。

人間は分けてあるところから認識することで、分けていることによる紛争が起こることがあります。そんなことなら分けるのをやめればいいと思いますが、権利や権力が蔓延ることでそれは終わりを見せません。

先日、不動明王の徳をあるところでお聴きする機会がありました。人間の煩悩や欲望を縄で捕まえて剣で切り、炎で燃やし浄化するというのです。それぞれの山々には不動明王の信仰がありますがそのお山で宗教の紛争があった歴史を観るととても残念な思いがします。

そもそも渾沌として渾然一体になっているこの宇宙や自然において、分けるということが如何に真理に遠ざかっているのかを直感します。分けて考えるのではなく、お互いが大切にしているものをどう折り合いをつけて守っていくか、あるいはその渾沌とした中にある和をどれだけ大事にしてきたかということが紛争を已める切っ掛けになるようにも思います。

分けたことで和を学び直すのはいいのですが、分けたままで和にしようとするのは無理があるということでしょう。分かれているものをもう一度、最初から結び直すことが歴史の一つの役割かもしれません。

分けた本人たちはもうとっくに亡くなってしまい、子孫たちがその禍根をいつまでも継承しているところもあります。それはとても残念なことで、今だかららこそまた渾沌に回帰するチャンスだと和合し子孫へと恩徳を結んでいきたいものです。

自分にできることはどれだけあるかわかりませんが、和を尊び小さな実践を積み重ねていきたいと思います。

井戸の一年

浮羽にある老舗古民家甦生の井戸に関わりはじめて約1年近くなりました。当初はこんなに時間がかかるものとは考えておらず、1か月くらいで終わるものと思っていました。しかし実際には、次々と問題が出てきては終わらずまだまだお時間がかかります。

今時、人力の手彫りで18メートル近くも井戸を深く掘る人などはいません。採算が合わず機械であっという間にボーリングするのです。しかし今回の浮羽の古民家は、家の中に井戸があること、すぐ上に屋根があるので機械がまったく入りません。さらにはかつての井戸を甦生するのに井戸枠などもすでに失われており、内壁が壊れるので作業もゆっくりになります。そしてかなりの深さ故に、水中ポンプの揚力が足りずに中継地をつくるために足場を設け、その分、穴の大きさは通常の数倍に広げることになっています。

湧いてくる水分量も非常に多く、毎回の作業でトラブルがあると水位がすぐに戻ってしまい作業ができません。また家庭用電源しかなく、業務用の電源はレンタルしていますが音がうるさいため昼間しか作業できません。毎回、井戸の水を抜くのに半日かかり作業時間も短くなります。

家の中の作業はトラックも入らず、当然すべて手作業です。砂利や砕石、井戸枠などもコツコツと運ぶしかありません。これを私の尊敬する生粋の井戸職人が一人で行っています。すでに伝説的なお仕事をしてくださり、私もお手伝いできるだけ仕合せです。お手伝いしようにも、井戸職人が危険を伴うため自分一人ですべてを計算して取り組むためほとんど素人の出番がありません。出番があるのは、職人がピンチの時と、人手がいるとき、あとはお金の問題と大変なことの感情的な共有とお見舞いくらいです。ただ心を一緒に和して取り組まないと井戸は穏やかになりません。

そろそろ終わりがようやく見え出したからこそ、ここからもうひと踏ん張りです。秋の長雨などが来れば、井戸がまた水位が上昇して色々と大変になります。

自然を相手にするお仕事は、大変なことや問題があることばかりです。人間の謙虚さが問われ、人間の知恵が求められます。しかし有難いことは、とても澄んだお水がたくさん湧いてくださっていることです。こんなに大変なことだったからこそ、お水が如何に有難い存在かが身に沁みて入ってきます。

先人たちの偉大な生き方や知恵を深く学び直した一年でした。私たちがどうあることが最も自然と共生できるのか、改めて終わりまで真摯に正対していきたいと思います。