暮らし=生き方

昨日は、千葉県神崎市にあるカグヤのむかしの田んぼで視察研修を行いました。この田んぼは、取り組みだした13年前から一度も肥料も農薬も入れたことはありません。しかしある研究機関がお米を分析調査していただくと、非常に抗酸化力が高いと驚かれました。また味も美味しく、お米好きな人や本物好きな方にとても好評です。

何か特別な農法をしているのかとよく聞かれますが、実際にやっていることといえば、社員みんなでお田植祭や新嘗祭などをしご縁に感謝して楽しく取り組んでいるくらいなものです。

福岡県飯塚市でも伝統の在来種の高菜を自然農法で育てていますがここもまた同じく肥料や農薬を一切使っていません。しかし市販の高菜と比べたら、味も複雑で濃く、同時にピリリとした辛みと野性味があります。虫にもほとんど食べられることなく、見た目の元氣さも特別です。

ここも特別な栽培方法をしているわけではなく、家族で多少の草取りと作業しながら美味しいご飯を畑で食べたり、音楽を聴いたり歌ったりしながら楽しみ有難い時間を過ごしているくらいです。

現代は、すぐに収量を余計に気にします。それは儲からないからです。大量につくれば多く稼げます。しかしその大量を優先すれば、大量になるような農法をしなければなりません。そこから様々な欲望が芽生えていきます。一緒に育つ大切なパートナーを儲けのためだけに利用するようになるのです。

これは養鶏も養豚も養殖なども同じです。餌に何かを足し、抗生物質などの薬を投与し、大量に育てては安く販売していきます。世の中の経済の在り方が、そもそも安く大量にを推奨してきましたからみんなそのことには疑問にも思いません。いいものを安く買えるのは正義のようになっています。それが現代では、人間にも同様なことが発生して安くて大量な人材ばかりをつくろうとします。

そもそも私たちのご先祖様たちが取り組んできた理想の姿を見つめていると損か得かとか、利益があるかないかではなく、常に「生き方」というものを大切にしてきたことがわかります。

今でも見事な風土や貴重な在来種の種が大切に残っているのは、その種を守るために自分の生き方を磨いてこられた人たちがいたからです。特に何百年や千年を超える老舗を見学するとその磨かれてきた生き方が随所に垣間見ることができます。彼らは、単に儲けのために材料を利用するのではなく、今でも生き方を守り感謝して代々の願いや祈りを伝承して味わって暮らしているのです。

私が「暮らしフルネス」にこだわるのは、生き方にこだわるからです。暮らしをどう定義するのかは色々とあるでしょうが、私にとっての暮らしは生き方です。暮らしを換えるというのは、生き方を換えるということでそれは人生を換えるという選択です。

どのような人生を歩んでいくかは、その人が決めることができます。何を大切にするのかを判断するかは、まさに日々の生き方が決めていきます。時代が変わっても、生き方はそれを伝承していく人たちによって結ばれ繋がり永遠です。

いい土を遺してくださった存在や、いい種を繋いでくださった先人、そういう有難く温かい真心をいつまでも継いでいきたいと思うものです。現在、お米のことを深めてお米を甦生していますがお米には何かそういう先人たちのいのりを感じます。

子どもたちの未来のためにも、暮らしや生き方を見つめ直していきたいと思います。

子ども第一義の実践

私たちは住む場所を換えたり暮らしが変わると古くなり、新しくなるものです。むかしの常識だったものが別のものになり、意識が変化することで記憶が修正されていきます。何が同じで何が違っているかを脳と記憶が補正していきます。これは身体のことも同じです。

若い頃にできていたことが、老いと共にできなくなってきます。それは知識や経験ができてできなくなることもありますが、体力や気力が衰退することでできなくなることもあります。つまりいつまでも同じことはできないのです。

なので、体も微調整しながら同じことを続けます。同じことをやるには、同じことをしていてはできず同じようにするために絶えず創意工夫や修正を続けているということです。

自分のいる環境が変わるというのは、その置かれた環境の中でどう取り組むかということが試されていきます。例えば都市でやっていることと田舎でやっていることは変わります。同じことをやっているようでも、環境が異なりますから大きな修正が必要になります。

目的が同じであれば、本来は同じことが起きるように観えますが見た目もやっていることも変わっているように見えてしまいます。しかしよくよく観察すると、やっていることは異なっても目指している目的や本質が同質であるということはよくあることです。

それくらい人は環境と実践は結ばれているということです。

人生は自分が望もうが望んでいまいが運命のお導きによって場を換えられるものです。それでも目的や志を変えずに同じ夢や希望に生きるのなら自分を変えていくことでそれを保つことができます。

諦めないからこそ自分が変わり、同じ目的を成就するために挑戦していくのです。

一期一会の人生の中で、なぜ今、ここに居てこれをやるのかはお導きによるものです。そしてそこには至純の思いや、至誠の実践が織りなしているのは経過を観察することで思い出します。

記憶を補正しながら気づくのは、自分が変わっていったという足跡と実感です。

変わることは変わらないこと。

大切なもののために変わること。

引き続き、日々の挑戦を味わいながら子ども第一義の実践に努めていきたいと思います。

汚染の本質

私の幼い頃に故郷にとても水が澄んで綺麗な場所がありました。そこは人が集まり癒される場所で、小さなエビや蟹やカワハゼなどがたくさんいました。それが現在では濁り、汚れ、黒い藻や泡などがでています。生きものはまだいますが、むかしを知っているからかとても残念な気持ちになるものです。ここが濁った原因は、上流に砂防ダムなどを設けたことによります。

最近は特に過去にないほどの水害に見舞われることがありますから仕方がないのかもしれません。しかし、滅多にないことのために人工的に何かを設けてしまいそのことで最も自然が自然に織りなした清浄さや豊かさがなくなってしまうのはどうしたものかと思います。

以前、東北の津波のあと巨大な堤防を設けたことでその地域の海の生き物や豊かな自然が失われたことをききました。長崎では諫早湾の問題なども有名です。人間は色々なことを分けて考えることに長けましたが、本来は分けられるものではなく結ばれているものです。その結ばれているものを切ってしまえばそこに問題が生じるのは自然の理です。

汚染というものの本質は何か、そこに答えがあるように思います。

私たちが何かを破壊するとき、それはそれまでの結びを断ち切ることで完成します。これは歴史でも同じく、遺伝子でも免疫でも、人間の持つ結びつきなどもそうです。破壊することで得られるメリットは、分断による便利さや個人の利益です。みんなのものだったものを自分のものにできるという利点です。

しかしそのために破壊して分断したことが、その時だけせき止めてみてもいつかそれがあふれ出しまた崩れていきます。それが濁り汚れる原因にもなっています。自然が起こす洪水や災害は、実は自然全体に対しての調和の意味もあります。台風なども空気を拡散してくれて気候を調えています。

人間がやった場合は、単なる破壊になることがほとんどです。元の欲望がそもそも不自然でやっていますから自然が壊れ続けるのです。この先、100年のことを思うと工業廃水や空気汚染、様々なことがさらに困難になるように思います。

今から何ができるか、それはまず身近なところからの改善であるのは間違いありません。大きいからできないではなく、地味でも小さなところからそれぞれで取り組むことでもう一度自然と結び始められるはずです。

私は私ができることで、甦生から取り組み自然と調和していきたいと思います。

一期一会の言葉

私たちの使っている言葉は道具です。何の道具かといえば、思いを伝えるための手段です。最近は便利に情報の一つになっていますが本来は何か伝えたいことがあるから用いているものです。これは心と直結しているものです。

人は感情で言葉を用います。その言葉は時には激しく誰かを傷つけます。或いは、周囲を不快にさせるものがあります。怖い言葉から、優しい言葉まで様々です。ある人は、言葉を使って周囲を仕合せにし、思いやり助け合い居心地のよいものにします。

つまり言葉は道具ですが、単なる道具ではなく生き方そのものということになります。その人の生き方が言葉になり、周囲を変えていくからです。

そう思うと、美しい音色を奏でる鳥たちや自然が放ってくる様々な音も言葉ともいえます。特にこの新緑の季節は、瑞々しい風に吹かれて爽やかで透明な光や空気に心が癒されます。春の清々しいゆらぎは言葉にも影響が出てきます。

私たちの心は優しい言葉に包まれるとき、優しい言葉に心が緩んでいくものです。

何を伝えたいのか、何のために伝えるのか、私たちは自分の言葉でそれを常に確認しています。自分の言葉は鏡のように自分に帰ってくるものです。放ったその人に巡り巡って回帰するのです。時に人の間を通り、時にこの世界の空気を通り、自分に帰ってきます。自分が一番望んでいることや、自分に一番必要なことが回帰するのです。

人に言っているようで自分に言っているというのが言葉の本質だとも言えます。わからせようではなく、気づこうとしているのです。だからこそ言葉を大切にしていく必要を感じています。

自分がなぜそれを思うのか、何のためにこれを言葉にするのかと正対するのです。

残りの人生もあとどれくらいの言葉を語りそして綴れるのかというと、そこまで多くはないことがわかります。思いを載せて、大切な人へ大切な思いを伝えてそして受け止めて受け容れて一期一会の言葉を磨いていきたいと思います。

いつもありがとうございます。

みずから

現在、浮羽の古民家の井戸を甦生していますが困難が続いています。毎回、試練というか自然に指導されるように物事が動きます。心身も削られますし、自分の中にある常識が毀されていきます。むかしの人たちの生き方や意識や考え方と、自分たち現代人があまりにも乖離していることを痛感して謙虚さを思い出させられます。

便利な世の中で今では水は当たり前に蛇口をひねったら出てきます。コンビニに行けば、ペットボトルで買えますしトイレなども水洗で大量の水が流されます。田んぼも干ばつなどは少なくなり、むしろ大雨や洪水に悩まされる方が多いものです。

しかしよく考えてみるとすぐにわかりますが、この水は何よりも尊いものです。水が出るということ、水が来るということがどれだけ有難いことだったかと感じます。むかしは毎日、丁寧に樽や柄杓のようなものでくみ上げていました。最初の水を神棚に祀り、感謝をして感謝を忘れずに一日を過ごしました。

美味しい水が毎日飲めることなど、とても仕合せなことだったように思います。水があることで家族の健康が保たれ、農耕も安産も工芸も商売繁盛もすべて成り立っていたのです。水があるかないかで日々に一喜一憂したように思います。私たちが呼んでいるカミ様も、火と水でカミともいうといいます。火と水がなければ私たちは生かされません。なのでそれが大前提ということでしょう。

平和な時代、何でも物が便利に溢れる時代はカミ様の存在も次第に忘れられていくのでしょう。

井戸の神様の名前は、弥都波能売神(みづはのめ)、日本書紀では罔象女神(みづはのめ)と書きます。これは和久産巣日神(わくむすび)と共にイザナミから産まれた神様です。

このみずはのめの「みづは」は「水つ早(みつは)」と解釈して「水の出始め」、つまり水源や泉、井戸などを指すという意味や「水走(みつは・みずばしり)」として灌漑の引水を指すという意味もあるそうです。

私たちが日ごろ使う「みず」という言霊は、水が自ら出るところを指している言葉なのかもしれません。井戸はそのみずが集まる場所を意味します。お水が集まるところへの井戸の神様に対する気持ちが失礼になっていないか、色々と反省することばかりです。

今回の古民家甦生でも、自分の無知と先人や目に観えない存在への尊敬と配慮のなさに情けない気持ちになります。刷り込みがまだまだたくさんあることを知り、刷り込みを一つずつ削り落としていきたいと思います。

みずからの学び直しを心を籠めて取り組んでいきたいと思います。

蕎麦の文化

蕎麦打ちをはじめて蕎麦を食べ続けていますが、お米と同じように飽きることはありません。特によい蕎麦はとても美味しく、こんな素晴らしい食べ物をなぜ今まで知らなかったのかという感動が何度も押し寄せます。

私は十割で打っていますが、世の中の蕎麦屋さんでは小麦や山芋を入れているところが多くあります。最近のチェーン店では麺に蕎麦も入っていないのに蕎麦といっているところもあります。

蕎麦は日本の大切な文化なのでその尊厳を守ってほしいと願うばかりです。

蕎麦は、中国が原産とも言われていますが実は日本でソバの栽培が始まった時期はそれよりももっと前からあったといわれます。高知県内で9000年以上前の遺跡からソバの花粉が見つかり、当時からソバが栽培されていたことが発見されました。またさいたま市岩槻区でも3000年前の遺跡からソバの種子が見つかっています。つまり縄文時代からすでに私たちの先祖は蕎麦を栽培し食べていたということになります。

お米はというと、縄文時代の後期(約2800年前)とされていますので蕎麦は日本人の食のルーツの一つであるのは間違いありません。

もともと「蕎麦」という字の由来を調べると、蕎麦の「蕎」という字は、「とがったもの」とか「物のかど」を意味する「稜」のことです。蕎麦の実が三角卵形で突起物になっているのが理由でそれでその角がある形状から、「稜麦(そばむぎ)」と呼ばれていたといいます。

この稜という字を重ねると「稜稜」といって「稜稜し(そばそばし)」とい言葉がありました。これは「かど立っていて、よそよそしい」という意味だそうです。そこから「高層建築物の上の草」を意味する「蕎」という漢字が使われるようになり蕎の字になり「そば」と呼ばれています。そして麦は、小麦や大麦と区別するために蕎麦となりました。

蕎麦の麺だけをみていたらとがったものというイメージがないかもしれません。私はそば殻の枕を使っていますから頭の高さを調整するときに中身をみるととがっているのがすぐにイメージできます。

今は機械がありますが、むかしの人たちはこれを石臼で丁寧に脱穀して大変だっただろうと思います。さらに石臼が入ってくる前は、どうやって脱穀したのだろうかと。きっと煮込んでスープにしたり、小さく砕いてパンのようにしたりして食べていたのかなと想像できます。

今では信じられないかもしれませんが、ずっと以前の私たちのご先祖様たちはそうやって食べ物として大切に栽培してくださったことを思うと頭が下がります。蕎麦は今でも日本人に人気ですから、これからも大切に初心を忘れずに食べていきたいと思います。

重さのハタラキ

この世には重力というものがあります。これは簡単に言えば「重さ」です。そのものの重量とも言っていいものと思います。私が小さい頃から虫や動物を飼うことが多かったのですが、それらの生き物は死んだら軽くなります。この時、実際のグラム数ではほとんど感じないものですが軽くなる感じがするのです。

それとは別によく幼い子どもたちを連れて山登りしていたのですが、おんぶや抱っこをしていて子どもが起きているときはいいのですが眠ると重くなります。これは重心の問題があるといいますが、重さは生き物が生きているバランスと影響しあっていることに気づきます。

また或いは体調を崩したり疲れたり寝不足になると体が重たく感じます。他にも意識として嫌なことや心で思ってもいないことは重たく感じます。これらを観察してみると、この重さには重心があり重力がありそこには確かに単なる物質的な重さだけではないものが働いていることを直観するのです。

水というものにも重さがあります。これは氷や液体、そして気体でも変わります。しかし、低気圧の厚い雲の下や膨大な水量を持つ湖や海だと重みを感じます。逆に秋晴の空や山の上などにいくと軽く感じるものです。

つまりこの「重さ」というものを私たちが感じるときには、物質を超えた何かと触れ合っているということになります。これは熱を感じるときに似ています。私はガスの火や炭の火や太陽の火などでは火の感じ方が異なります。熱もまた重さと同様に、単なる物質的ではない火がありその影響をとても深く体で感じていきます。

私たちはいのちというものを直感し、感得するのに五感や六感、あらゆる感覚を駆使して稼働させていきます。思想や思念もまた、先ほどの重さや暑さを伝道しているのです。

私たちは小さく生まれそれが大きく重たくなりまた小さくなり軽くなります。それが人間の一生です。次第に気楽になって気軽になり、体も軽くなって極楽にいくのでしょう。重くなくなり軽くなることが自然の循環だとすれば、私たちの重さの源は一体何かということを思うのです。

重力や重心には、まだまだ深めていく面白さがあります。新しい修行を追及していくなかで、様々な智慧を顕現させていきたいと思います。

 

不易=流行

不易流行という言葉があります。これは松尾芭蕉の俳諧の理念の一つだといわれます。芭蕉は「不易を知らざれば基立ちがたく、流行を知らざれば風新たならず」とあります。これは「不変の真理を知らなければ基礎が確立せず、変化を知らなければ新たな進展がない」という意味です。

私の解釈では、自然は普遍ですが人間の価値観は変化していきます。自然の真理を深く理解している人だけが、何が不自然かがわかるというものです。そして不自然が理解できるからこそ変化がわかるということでしょう。

例えば、過去の歴史を省みると近代はあらゆるものが新しくなっています。建物をはじめ食料、生活用品、お金などその時代に発明されたものが進展して今があります。しかし元々何だったのかを見極めていくと何が本来の自然の姿であったかに気づきます。そしてそれがどう複雑化してきたのかもわかります。特に現代は何でも簡略化して合理化して大量生産し大量消費する価値観へと人類が移動してきたからそういう進展を経ているということです。

これは決して物だけではなく意識の変化も同様です。人間は時を体験することでそれまでのことを新しくします。この時の新しくというのは、変わっていくということです。同じことを繰り返していくうちに、同じではなくなっていくといった方がいいのかもしれません。

本質的に同じように取り組むのなら変化に対して変化に応じていかなければ本質が維持できません。これをしなくなると形骸化していきます。現在の文化財保護などもよく眺めていたら、一昔前に文化財が破壊されまくっていた時代には必要な保護でしたが現代ではその保護がかえって破壊を進めています。ショーケースにいれてただ見学するような文化財はすでに終わったものです。

本当は歴史や文化は不易流行があってこそ成り立つものです。それをしないで、文化財の保護や活用をいくら専門家が集まって議論してもそれが新たになることはありません。特に今の時代は、流行が真理のようになっていて不易を知る人はほとんどいません。それくらい何が自然で何が不自然か、もっといえば何が常識で何が非常識かもわからなくなっているちぐはぐな時代だからです。

だからこそ、不易流行の原点回帰が必要になってきているように思います。そのためには、不易=流行にする精進が必要です。意味のなくなってしまったものを甦生し、形骸化されたものを根源的に実践する。

道のりは長いですが、私なりに暮らしフルネスに取り組む中で一生をかけて精進していきたいと思います。

剣聖や医聖の生き方

塚原卜伝という人物がいます。のちに剣聖と呼ばれる人物です。戦国時代に戦わずして勝つという思想を持ち、その極意である一之太刀は「国に平和をもたらす剣」であるとされ尊敬されたといいます。

よく考えてみると、戦国時代はまさに戦いの世の中です。戦いを終わらせるために新たな戦いをしては戦国時代は終わりを見せません。仮初の平和というのは、強いものが出て仕方なく戦わないでいるだけで弱くなればまた争いの世の中です。人類史の歴史は、いつまでもこの戦いを続けています。戦いというのは、ある意味で人類にインプットされた必然なのかもしれません。

だからこそ、どう戦いを終わらせるのかというのが勝つということかなのかもしれません。この剣聖の塚原卜伝は、無手勝流といって戦わないための仕組みを考案しました。その一つは、戦わないということを極めることで未然に戦いを防ぐ意識であったり、あるいは敢えてそれを避けるために行動するということです。侍であれば非常に憶病にみえますが、実際の戦いでも一度も負けたことがありません。この負けるということの定義が、一般的な勝ち負けではないことはすぐにわかります。

そういえば以前、似た話で扁鵲のことを書いたことがありました。これは中国の同じく春秋戦国時代の伝説の医者のことです。この扁鵲はその時の皇帝から認められた真の名医ですが兄弟の中ではもっとも自分の医術が低いといいます。それは長兄は発病する前に未然に防ぐ人で、次兄は病気が軽いうちに少ない薬と施術で治す人で、扁鵲は病気なってから人を治す人だからだといいます。

発生する前に決着が着いているというのが、まさに戦わずして勝つということなのでしょう。

今の時代の有名人や評価されている人たちは、果たしてどれが一番でしょうか。私は塚原卜伝や扁鵲の長兄のような人物こそがこの世を平和に導く真の聖者ではないかと感じます。もちろん、それぞれに役割がありますがだからこそそういう市井の隠者のような人物を探し求める必要があるのではないかと思います。

世の中の変革は、決して目立つような派手なところ、権力があり膨大な財力や名声があるところで発生しているのではありません。塚原卜伝や扁鵲の長兄のような人物が裏で支えているのでしょう。私もそうありたいと思います。

子孫のためにも、人類の未来のためにも徳を磨いて徳の循環する世の中に貢献していきたいと思います。

一生の自分

昨日から宿坊に来客があり共に過ごしています。どの方も、一つの人生をやりきっておられる方で好きなことをして成功されている方々です。人生は会社が終わり仕事が終わったら終了というわけではありません。人生は続く限り、私たちは最後の日までどのように生きるのかが試されています。

思っていたものとは異なるのは、周囲と比較してこういうものだと思い込むことが多いように思います。一般的には、誕生してから学校に入り勉強し社会人になり成功し余生を孫たちに囲まれて送るというものです。その間は、無病息災に大きな事故もなくと、これが平均だと思い込むのでしょう。

しかしそんな人生であっても、紆余曲折を繰り返して思った通りにはいかないものです。大体、思ってもいないことに遭遇して人生は大きく変化していきます。思ってもないことの方が人生ともいえるように思います。

だからこそ、思ってもいないことに挑戦したり導かれたりすることに意味があるように思うのです。そしてそれは出会いによって、養われていくものです。

誰と出会うか、何と出会うか、そしてどの自分に出会い直すのか、すべて出会いが人を変えてくものです。

人生を終わりにできないのは、出会いがあるからです。そして出会おうとする気持ち、もっと別の自分に出会いたいという好奇心や志があると人は青春を続けていけるように思います。

一生青春というのは、一生の自分との出会いということでしょう。

新しい門出に相応しい見守りができるように真心を盡していきたいとおもいます。