道を辿る

昨日は、英彦山の守静坊で暮らしの遊行と巡礼の安全祈願をし霊泉寺、鷹巣観音堂といった日本最古の観音霊場の一番札所に御祈祷をして歩きはじめました。

銅の鳥居の横には、鎮西上人の像がありここでも初心を確認して祈りました。もともと、この鎮西上人は若い頃、飯塚の明星寺から英彦山までの千日回峰行を実行されてます。また、浄土宗の開祖である法然上人の供養を英彦山権現とともに行ったともあります。

もう八百年も前の話ですが、今でも像が建立され語り継がれているものです。

観音霊場巡りでは、今から千三百年前、宇佐の仁聞菩薩と法蓮上人により開創されたとされます。今、こうやってまた歩いていたら先人の遺徳を感じて仕合わせな気持ちになります。

私たちの道というのは、普通に歩いていますが自分たちよりもずっと前に歩いていた人たちがいる道を同じく歩いているともいえます。

山間の古道を歩いてみても、誰もいませんが懐かしい気配は思いを馳せると実感します。こうやって懐かしい道を辿ることで道は途絶えません。

歩くという行為は単に、ウォーキングをしているのではありません。

道を守り、道を創るのです。

これから国東の六郷満山までの道のりは、道の旅です。

先人の歩いた道を三昧したいと思います。

暮らしの中の遊行 1

念仏という言葉があります。この念という字は、今の心と書きます。もともとのこの「念」は、心に思うことを意味するサンスクリット語「smŗti」の漢訳だといわれます。仏という字は、サンスクリットのbuddhaに「佛」という字を新たに作成して音写したともあります。これは「人」+「弗」(音符)の形成文字であり、この「弗」は、「勿」「忽」「没」「非」などと同系の言葉でもあると。そして仏という字は簡略化されたものとも言われますが、古来からあったともいいます。

つまり意訳ですが、この念仏というのは今に集中しすべてを捨て去るという意味にもとれるように私は思います。つまりは、自然にあるすべてと一体になり自然そのものと結ばれる境地に入るようにも思います。

自然というものは、宇宙でもいいし地球でもいいです。人間の妄念や妄想を取り払ったものです。人間は妄念や妄想に執着すると、鳥の鳴き声もきこえず、季節の変化にも気づきません。人間の妄念や妄執に振り回されていると、毎日はただ忙しさに呑まれて流されていきます。気が付くと、保身や心配事ばかりで今に集中することができず、未来と過去を行き来するばかりです。

苦しみは今ではないこと、どうにもならないことに時間を使い、そのために不安や心配ばかりが増えていきます。特に今の時代は、情報化社会で仮想空間までつくりあげその妄執や妄想を発展させていきました。頭でっかちになっていると、本来の自分という心と自然と一体になったような感覚が失われまるで何かにとりつかれたように生気を失ってしまうものです。

900年代の遊行僧に空也上人という方がいます。この方の言葉で私はとても尊敬しているものがあります。

「山川の末(さき)に流るる橡殻(とちがら)も 身を捨ててこそ浮かむ瀬もあれ」

これは栃の実が川に流されてどこにいくのかわからなくても、身を捨ててこそはじめてどこかにたどりつくだろうという様子を詩にしています。今にも溺れそうな執着の渦の中であっても、思い切って来たものを選ばずに身を捨ててしまえば溺れずにどこかの瀬にたどりつくこともあるだろうという境地です。

人は、あれこれと自分の思い通りになる人生を歩もうとするものです。それがもっとも争いや苦しみを生むとわかっていてもやめることができません。しかし、思い通りにならない人生の中にこそ、本当の自分らしい人生があると身を捨ててしまえばそこに自然に道が開けるというものがあるように思います。

私のこのブログのかんながらの道というのもまたそういう道のことをいいます。私は何かをブログで教えたり知識を得たものを忘れないためにだけ書いているのではなく、こういう生き方をした人がいることで誰かの元氣や仕合せに結ばれていけばとも願って綴っています。

ご縁と結ばれるものを丸ごと信じて選ばない生き方こそが、阿弥陀如来さまの達した境地なのかもしれません。私はお経のことはまだ調べてないし読んだことはありませんが、小さいときから南無阿弥陀仏とは唱えたものです。気が付けばその結縁をいただき、暮らしの遊行の道が開かれました。

本当にありがたいことす。

本日から、人生で初めて英彦山から国東までの「暮らしの中の遊行」を開始します。共に歩いてくれる無二の友と同行二人で歩いていきます。多くの方々に見守られ、この時代でも徳が循環しあう経世済民の世の中を祈り、そして大切な子どもたちを守るために実践をはじめます。

この時がはじまりだったといわれるようなものになるかもしれませんが、今の心、念仏と共に祈り歩いていきたいと思います。

暮らしフルネスの秋

暮らしフルネスで暮らしを調えることは、病気にならない生き方に似ています。そもそも病気は、病気になってからでは間に合わず病気にならないような日々の暮らしを調えることに軸足を置くことからはじまります。

例えば、当たり前のことですが季節を感じながら五感を調える。生活リズムを自然に合わせる。旬なもの、またいのちが豊富にあるものを丁寧に食べて調える。呼吸を整え、今ここに集中して心身を調える。またよく歩き、重力や自らの身体の動きによって身体を調えるなど色々と暮らしを調えることができます。

医者にも、色々な医者がいます。今は緊急事態で応急処置ができる人がよい医者といわれますが、本来は病気にならないように見守って日頃から病気の根源や原因を防ぐような人がよい医者ともいわれました。今のような保険診療や補助金のようなシステムになってからは、診察や薬を出さなければ生計が成り立ちませんから名医はみんな治療する医者になってしまいました。本来は、病気にならないようにする生き方の模範が名医だったように思います。僧侶やむかしの医師はきっと、健康で長生き、そして精神も心身も調えることを日頃から実践されていた方だったように思います。そしてそういう生き方を目指して取り組まれていたのでしょう。

私も暮らしフルネスを実践していますが、自分が完璧にそれができるから提唱者というわけではありません。自分もそうありたいと挑戦をし、一進一退しながら七転び八起きをしながら日々に取り組んでいます。心も精神も体も調えるというのは、暮らし方を磨き続けていかなればできません。

今日は、昨日よりも少しできた、またはできなかったと反省しながら感覚を磨き、徳を積んでいくのです。しかしそうやって実践していくなかで本当の自分、本来の自分というものを忘れなかった一日はとても豊かで幸せです。

できた人がすごいのではなく、できない人がダメなのではない。大事なのは、先人の生き方を尊敬して自らも暮らし方を見倣って子孫のために精進していこうとする思いや行動にこそあるように私は思います。

引き続き、秋のこの静かで澄み切った月夜や空気に包まれながら晩秋の暮らしを味わっていきたいと思います。

心が美味しいと思うもの

言葉というのは不思議なものです。そこには深さというものがあります。例えば、美味しいという言葉一つであってもその深さは計り知れません。人は使っている言葉が同じであっても、使い手の心や思いによって意味が完全に逆転してしまうことがあります。よくよく気を付けないと、勘違いが生まれそのうちその言葉の意味も勘違いして理解してしまう可能性もあるからです。

先ほどの美味しいという言葉でも、見た目が美味しそうな美味しいという意味と、心を籠めて美味しいというものでは言葉も異なるはずです。一般的に現代では、見た目ばかりをよくして舌をあまり重宝せずに目で見て食べるような食べ方をしています。お洒落な店で、美しいデザインのお皿で、綺麗に盛り付けされた清潔なものであれば美味しいと思い込むものです。実際には、機械で大量生産されたものでも見た目重視で購入することがほとんどです。

しかしその逆に、見た目があまりよくなくても心を籠めて一期一会に調理されたものに深い美味しさを感じるものがあります。私たちが使う言葉、感じる言葉には深さがあるということがわかります。思い返してみると、思い出深い美味しいものは心と重なったものです。あの時のあの味というのは、見た目だけ胡麻化したような美味しさではなく、心が美味しいと感じたものでそれは全身全霊で味わったものです。

表面上のもの、深層的なものとあるなかで今の時代は、表面だけを取り繕うものが増えていて頭でそれを認識しては判断して購買しています。そのうち、どういうものが深層のものかも気づきにくくなっていくものです。だからこそ、私たちはこの心の感覚というもの、深い味わい、美味しいものを食べることで元来の心を保ち続ける必要を感じます。

この美味しいものを食べるという行為は、自分の心を保つ実践の一つです。お寺の精進料理もですが、いのちを大切にいただくことで心が離れない仕組みもあるように思います。今のように飽食で廃棄しているような時代、改めて心が美味しいと思うものを食べ続ける修行が必要のように思います。

子孫のためにも、色々と試行錯誤していきたいと思います。

遊行の妙

遊行を実践してみると、一人ではなく二人でいることがわかります。もともと四国巡礼では同行二人という言葉があr、常に弘法大師と一緒に巡っているという意味で用いられます。しかし、実際には自分の中のもう一人の自分、自我と真我という言い方もしますがこの二人が常に対話しながら歩んでいるともいえます。

瞑想も同じく、この二人が次第に静かになって一つに纏まっていきます。すると、次第に静かになり穏やかになります。他にも、五感を調え六根清浄をするときにも一つになっていきます。

つまり歩くことで、別々のものが融和して一つになっていくということかもしれません。

そもそもこの世のすべては、二つが一つになっています。その最小単位は、火や水や風など五元素をはじめあらゆる一文字で語られるものが二つから形成されているからです。

火というものも、二種類のものでできています。熱いものと温かいものです。水もまた固まるものと固まらないものです。これらがバランスよく一つになっているものをみて私たちは火や水を認識しています。

そして二つが一つになるのは、静止しているときではありません。動いている時にはじめて一つになっている様を感じることができます。地球が太陽系をめぐり、自転しているとき私たちは地球を丸く感じられるものです。同様に、動的なときにこそ静止しているように感じられます。

道を歩くというのはその行為に似ています。そしてこの遊行は自らを知り自らになる道でもあります。

子孫のためにも、道を歩んだ人たちのあとを学んで伝承を味わっていきたいと思います。

遊行の歩み

現代は車社会でどこに行くのも車を使います。また都市部では電車などの公共交通機関が発達していて、終始遠くの距離を歩いていくことはほとんどありません。しかし思い返してみたら、むかしは歩くことが当たり前で一部、馬や船があったかもしれませんがそのほとんどは自分の足で歩いていきました。

改めて歩いてみると色々と見える景色だけではなく意識が変わっていくのを感じるものです。

例えば、歩きだすとある程度のリズムが必要になります。一歩ずつ歩いていくなかで、一定のリズムで歩きます。また休憩をいれるタイミング、そしてその場所など様々です。他にも時間帯によっての太陽の位置や風向きなども影響がでます。

特に今は、道路がアスファルトになっているので足も腰も疲れが出てきます。水分補給のタイミングや、トイレなどのこともあります。また歩く目的が巡礼であれば、時々に拝みつつ心を落ち着かせ供養をします。休みも休む場所によって色々と振り返り、また残りの道を歩んでいきます。

歩くときに、歩くことに集中すると人はそこで古からの道に出会います。乗り物にはない、自分の身体にしかない感覚を呼び覚ましていきます。

かつて、西行法師や一遍上人、良寛和尚や木喰五行上人なども遊行僧といって全国各地を巡り歩きながら修行僧が説法教化と自己修行を目的として諸国を遍歴し修行されました。これは行脚修行ともいい、本来の意義は歩き回ったり、経巡ったりすることだともいわれます。

歩き回ることで、その土地との地縁が生まれます。地縁を辿ると、不思議な邂逅があるものです。先人たちも歩いたであろう道、そしてその道すがらに見えてくる景色から影響を受けて懐かしい気持ちになります。歩いている中でしか観えない心の景色があり、その心の景色に心が揺さぶられます。

特に舗道ではなく、むかしの古道はより一層その情景を鮮明にしていきます。人生の旅路も似たようなものですが、自分の足で歩くということに集中してこそ本来の人間の道が観えるのかもしれません。

引き続き、遊行を深めていきたいと思います。

十三夜の仕合せ

昨日は、徳積堂で十三夜祭を行いました。この十三夜というのは、日本で生まれた風習です。通常の十五夜では月の神様に豊作を願いますが、十三夜は稲作の収穫を終える時期で感謝しつつ美しい月を愛でるのです。十五夜が芋名月(いもめいげつ)といわれ、芋をお供えしますがこの十三夜は栗や豆が収穫できる時期で豆名月(まめめいげつ)栗名月(くりめいげつ)と呼ばれています。

夜はみんなで秋刀魚を備長炭でじっくりを焼き、焼き栗、そして酵素玄米の小豆ご飯、たくさんのきのこを使ったきのこ汁を外で月に見守られながら感謝を味わいました。そして、みんなで場所を換えて、雨上がりで澄み切った秋の空の月光と、月の雫を浴び、雲のグラデーションに感嘆しながら語り合いました。そして息子たちと東京にいる姪っ子も参加してみんなでギターの音と歌を唄いあいました。

懐かしい暮らし、まさに暮らしフルネスです。

気が付くと、昭和のころまであった当たり前の団欒や穏やかに自然を愛で感謝するゆったりと流れる時間、そして旬のものの美味しさや素晴らしさを深く味わうような場、心も体も満ち足りた繋がりや思いやりを分け合う結びつき、人間らしいことが次第に失われているように思います。

都市化され経済のみを優先してお金にならないものは価値がないとまでされた環境の中で次第に、私たちは先人や伝統、そして伝承といった文化の源泉を忘れてしまってきているように思うのです。

そしてこれは頭でわかるものではなく、暮らしを実践するなかでこそ思い出すものであることはわかります。体験を通してしか実感できないものは、やはり体験を通して伝承するからです。これを徳ともいい、恩ともいえます。

しかし今の時代、恩徳をはじめ、他にも目に見えないものを語る言葉は次第に死語のようになっています。すべてなんでも目に見える言葉に換えないと怪しいと毛嫌いされたり不快感を持たれたりします。

もちろん目に見えないものを科学で探求して明らかにすることも大切かもしれません。そうやって自然の叡智や知恵を引き出して科学にすることで便利な世の中にしてきました。しかしそれは、あくまで全体のほんの一部を抽出しただけでそのバランスのツケは必ず後世にまわっていきます。後世とは何か、それは自分たちの子孫のことです。

子孫にツケを遺さない生き方とは何か、もっと真摯にみんなで考える必要があると私は感じています。今だけ自分だけお金だけというのはあまりにも本来の自分を見失った生き方になるように感じます。1000年先、どのような世の中になっていてほしいか。そして今、自分たちが何をすることが1000年先の未来を真に豊かにできるか。

先人たちも考えて考え抜いたその答えを、今の私たちも生きることが大切ではないかと私は思いこれらの活動をしているのです。気づかせるなどというとおこがましく思います、自分たちがまず実践してみることで気づく人が増えていくことが純粋な伝承になっていくように思います。

月夜に魂を磨かれて、透明になっていく喜びは格別です。

これからも徳が循環する経世済民にむけて、一歩ずつ歩んでいきたいと思います。

 

 

目的と天命

人は生まれてきた環境で目的を命じられることがあります。それは時代の命令であったり、大切な死別であったり、あるいは身体的な問題であったりと理由は様々です。しかし、その時その場所でその人が何かに目覚め、目的を持ち使命を生きます。するとそこに偉大な何か、普遍的なものを遺します。それは生き方であり、その伝承によって後世の人たちはその道を学び何かを感じることができます。

しかし、それが何かの教義になりさらに正解や不正解をつくり頭でっかちに組織的に理解をしては資格を得られるようなものにするとき、その目的が答えになりそれ以外は間違いとなっていきます。そこに生き方のことはなく、ただ教えというものに対してどれだけ正確無比かが競われるだけのものになります。

学問の恐ろしさというのは、それ自体が目的になってしまうことかもしれません。本来は、それぞれに人は生を受け、命があり、目的を与えられていますからそれを達するために生き方を知り、道を歩むというのが学問の有難さのように思います。

それぞれの役割ではありますが、どの時代も真摯な求道者たちによって道は伝承されていくように思います。厳しい修行がいいのでもなく、膨大な知識がいいのでもなく、かといって感覚だけでいいのでもなく、無為自然だけでいいのでもない。目的に対してどれだけ本気かどうかというのがこの世で道を往くものたちの本義だと私は思います。

不思議なことですが、これだけの情報が氾濫し、なんでも知識が手に入る世の中になったのに目的についてはほとんど聴かれることがありません。私も、色々なところで話を聞かれますが目的を聞いてくる人はほとんどおられません。何をしている人かというのは関心があっても、あなたの目的は何かということは尋ねられません。

しかし二宮尊徳、空海、法然、道元、あるいは三浦梅園、それぞれに生き方を遺した人たちはみんな目的に対して真摯だったことは明らかです。その目的は、今も達成されていないから我々子孫が伝承するのです。

如何に争いがない世の中にしていくか、深い悲しみや苦しみを癒せる世の中にしていくか、誰もが不平等ではなくいのちが尊重される世の中にしていくか、などの目的から結ばれて今に至るのです。

目的が定まらないままに、目標だけを追いかけていたら何のためにこれをやるのかという生き方が遠ざかってしまいます。気が付くと、教義や一般的な価値観や形式や作法という便利なものに呑まれて本来の目的を見失うこともあります。

だからこそ、目的を見失わないために初心があり、実践を続けていくのでしょう。私も子ども第一義という理念があり、子どもが憧れた世の中を実現するために道を磨いています。

大切な節目に、先人や先達の方々の背中を今一度見直し、目的を定めて取り組んでいきたいと思います。

金剛鈴三昧

巡礼の準備をしていますが、その一つに持鈴として金剛鈴(こんごうりん)というものがあります。これは、密教の方具でチベットから到来したものです。この金剛鈴は、独鈷鈴、三鈷鈴、五鈷鈴、宝珠鈴、宝塔鈴の五種鈴の一つです。それぞれの金剛鈴は五智如来を象徴しているといわれます。

金剛鈴は持ち歩けば澄んだ音が遠くまで響くことから巡礼の際の魔除けや動物除けにもなります。また金剛鈴には、驚覚・歓喜・説法の三つの義があるとされていてこれを鳴らしていろいろな仏様や神様を供養できるといいます。この鳴らして供養することを振鈴(しんれい)というそうです。振鈴は、仏様や神様にこれからお参りしますという合図となり、仏様の説法であり、お参りする人の心を戒め、眠れる仏心を呼び起こす意味があるといいます。

またチベット密教では金剛鈴のことをガンターと言い、五鈷杵のことをヴァジュラと言うそうです。ガンターは智慧を表す女性原理として、ヴァジュラは方便を表す男性原理として用いられます。ヴァジュラとガンターはチベット密教では組み合わせで使われているといいます。

これらの音による目覚めの仕組みは法螺貝にも同様に通じるものがありますが、音の響きというのは常に今此処で全身全霊があることに気づかせるものです。その音を身体や感覚で響かせることで三昧意識をととのえることができるように思います。

特に高音で澄んだ響きを聴くと、心身は研ぎ澄まされていきます。法螺貝は、吹くことで法華経を詠む功徳があるともいわれます。金剛鈴には、金剛鈴菩薩というものがあります。これはサンスクリット語でヴァジュラ・アーヴェーシャと言い、「堅固に召入する者」という意味で一切如来たちを召入する引摂の三昧耶として現われて、鈴の音が響き渡るように全ての衆生を曼荼羅世界に導く菩薩だといいます。

音はまさに三昧の境地を開くものです。

子孫のためにも、知恵を伝承し、豊かな暮らしを三昧できるように実践と仕組みを甦生させていきたいと思います。

錫錫と歩む

近く、托鉢をするのに色々と準備をととのえています。錫杖はすでに3年前にご縁があり、手元にありました。この錫杖はこの日が来るのを先に知っていて私のところに伝来してきたのかもしれないと感じています。

この錫杖というものは、比丘十八物の一つで修行僧が野山を巡業する時、猛禽や毒虫などの害から逃れるためにこれをゆすって音を立てながら歩いたものだといわれます。一般的には、銅や鉄などで造られた頭部の輪形に遊環(ゆかん)が4個または6個または12個通してあり、音が出る仕組みになっています。このシャクシャク(錫々)という音がなるので錫杖の名がつけられたともいわれています。

錫杖の長さは一般的には170センチメートル前後といわれますが、私の手元のものは180センチメートルほどあります。これは前の持ち主が長身だったのかもしれません。また法会、儀礼の場で使われる柄の短い手錫杖というものもあります。また錫杖は常に浄手(右手)に持ち不浄手(左手)に持つことを禁止されています。

この錫杖の功徳の意味は、仏教の錫杖経というものの中に記されています。具体的には錫杖のその清らかな錫の音によってあらゆる衆生の厄災をも祓い、108の煩悩からと人々を解き放ち、人々を悟りに導くそうです。

錫杖をもって各地を歩くことを巡錫ともいいます。これは他にも飛錫ともいわれていて平安時代には山野を抖擻(とそう)する聖があらわれ、修験道では遊行が重要な修行とあります。

この錫杖は、共に旅をし道を歩むときの大切な杖です。地蔵菩薩や千手観音がこの錫杖をもっているのを見ることができますが、この錫杖で道を歩み人々を救ってきたことを実感します。

どのような歩みになるのかわかりませんが、錫杖と共に新たな道を踏み出せることに有難さを感じます。英彦山から国東までの徳積循環する経世済民の世の中になることを祈り錫錫と音を響かせながら歩んでいきたいと思います。