おにぎりとおむすび

おにぎりとおむすびというものがあります。これを感じで書くと、お結びとお握りです。一般的に、おむすびが三角形で山型のもの。おにぎりが丸や多様な形のものとなっています。握りずしはあっても握り寿司とはいいません。つまり握るの方が自由なもので、お結びというと祈りや信仰が入っている感じがするものです。

また古事記に握飯(にぎりいい)という言葉があり、ここからお握りや握り飯という言葉が今でも使われていることがわかり、お結びにおいては日本の神産巣日神(かみむすびのかみ)が稲に宿ると信じられていたことから「おむすび」という名前がついたといわれています。

このように、お握りとお結びを比較してみると信仰や祈りと暮らしの中の言葉であることがわかります。形というよりも、どのような意識でどのような心で握るかで結びとなるといった方がいいかもしれません。

この神産巣日神は、日本の造化三神の一柱です。他には、天之御中主神、高御産巣日神があります。古事記では神産巣日神と書きますが、日本書紀では神皇産霊尊、そして出雲国風土記では神魂命と書かれます。このカムムスビの意味を分解すると、カムは神々しく、ムスは生じる、生成するとし、ビは霊力があるとなります。つまりは生成、創造をするということです。

結びというのは、生成や創造の霊力が具わっているという意味です。お結びというのは、それだけの霊力が入ったものという認識になります。いきなり握るのと、きちんと調えて祈りおむすびするのとでは異なるということがわかると思います。

また他の言い伝えではおにぎりは、鬼を切(斬)ると書いて「鬼切(斬)り」からきたというものもあります。地方の民話に鬼退治に握り飯を投げつけたもありおにぎりという言葉ができたとも。鬼をおにぎりにして、福をおむすびにしたのかもしれません。

私たちが何気なく食べているおにぎりやおむすびには、日本古来より今に至るまでの伝統や伝承、そして物語があります。今の時代でも、大切な本質は失われないままに、如何に新しく磨いていくかはこの世代の使命と役割でもあります。
有難いことに故郷の土となり稲やお米に関わることができ、仕合せを感じています。子孫のために徳の循環に貢献していきたいと思います。

お水の知性

色々な水がありますが、水は同じ水はありません。どの水もあらゆるものが溶け込んでおり、目には見えないもの、さらにはその場所にしかないものが入っていますからそれぞれに個性があります。

現代では、ミネラルウォーターや水道水など同じもののように販売されています。どの水も同じように扱われますが、塩素が入って配管を通ってきたものや工場で機械でペットボトルに入っているものと山の湧水や汲みたての伏流水などはまったくその水の持つ性質や効能も変わってきます。

そもそも私たちは土や空気や太陽の光、その他のあらゆる自然物は感覚的には同じに感じてもまったくその性質は異なります。そして人がそこに関わることで変化します。自然は関係性において成り立っており、人が水とどうかかわるかでその水の性質も次第に変化するからです。

私は滝行をしますが、そのお滝場もお手入れをしてくださっている修験者の方の御蔭で滝の性質が保たれます。そこにはそのお滝を大切に思って調える人の何かが滝の水に影響を与えているからです。

また私は宿坊を調えていますがここにも同じように周辺のお山のお手入れをすると周囲の水の環境も変わります。水というのはそれだけ、人の影響を受けるのです。これは空気も同じく、水が含有していますから影響を受けます。そしてそれは土も同じです。

私たちは水というものに対しての認識がまだ低いようにおもいます。どれだけ科学が発展しても肝心なところは目には観えませんからそこが抜け落ちています。かつての人類の方が実は賢く知恵があったというのは水との接し方でよくわかります。

目に見えるもの、物質的なもので証拠があるものだけを信じる世の中というのは実は知性が衰えているのかもしれません。その辺は今後はAIが代わりを務めてくれますから私たちはもっと感性を磨く必要を感じます。

水はいのちのすべてです。そのお水を甦生して、子孫のために知恵を伝承していきたいと思います。

お水のお迎え

今年から浮羽にある古民家甦生に取り掛かりました。まずは井戸から甦生していますが、元々あった井戸の場所がわからずに元家主さんの記憶を辿って掘っています。

もともと井戸仕舞いをする際には、息抜きというものを行います。これは、「井戸に宿る神様・精霊が、呼吸できるようにするため」というものや、「井戸から発生するガスが抜ける経路を確保するため」というものがあります。他にも地盤沈下しないようになどの現実的な対策でもあります。

しかしよく考えてみると、今までずっと水が通っていたとこりには水脈も気脈もあります。その通りをふさぐのですから当然、水が澱みます。水が澱むと、その周囲にはさまざまな問題が起こります。そういうことも考えているのでしょう。

むかしは、暮らしの中で家はすべての中心でした。水道ができてからは、当たり前になっていますが水がなかったら暮らしは成り立ちません。必死で水がでるかどうかを祈祷して、そこから水が出たら一家総出でお祝いしたはずです。そのあとは、その水が枯れないように、一家を守ってくださるようにと大切にお祀りして使っていたはずです。

そういう地面から湧き出てくる存在を神様とし、土地の神様を丁寧にお祀りし尊敬することで一家が末永く保たれたように思います。

特にこの古民家はもともとは酒屋を営んでいたということで、それだけ水が善い場所であり、水を大切にしてきたところでした。古民家甦生の前にまずやるべきは、この井戸水をもう一度甦生してお祀りするということにしました。

まだまだ場所が見つかりませんが、時間をかけて時代を超えてお水をお迎えしていきたいと思います。

清々しい気持ち

昨日は、二十四節気の雨水に入りひな人形をお祀りしました。このひな人形は私のメンターの一人、佐藤貞三先生から継承したものです。もう6年目になるでしょうか。もともと男兄弟しかいなかったこともあり、ひな人形とはあまりご縁がなく育ってきたから最初に拝見したときは大きな衝撃を受けました。

私にとっての人形というのは、祖父から戴いた端午の節句の時の五月人形です。人形というのは、どこか魂が宿っているようで幼い頃から怖いものがありました。子どもたちは幼少期から様々な人形に触れていきます。不思議ですが、愛着のある人形はその人と一対になっているような感覚もあり関係性の中に繋がりが生きているような気がします。人形の歴史は先史時代からあり、古代エジプトなどでもたくさん出土しています。人間が人形と共に歩んできた文化は、長い歴史があり日本でも様々なところで文化と融合して祈りから遊び、そして暮らしに根付いてきました。

ひな人形をお祀りするのは、一年に一度です。しかもそんなに長い期間ではありません。むかしはどのような気持ちでお祀りしたのでしょうか。一つは、身代わりとして厄を引き受けてもらおうとしたこと。もう一つは、女の子の健やかな成長を祈るためともあります。

また上巳の節句は、本来は3月最初の巳の日に、水に入り禊(みそぎ)をして厄を祓う行事でした。そこで人形(ひとがた)あるいは形代(かたしろ)と呼ばれる、草木や紙で作った人形に自分の穢れを移して水に流すことで厄を祓い幸せを願ったともいわれます。平安期の陰陽道なども和合しているのかもしれません。

いつもこの時期にひな人形をお祀りすると清々しい気持ちになります。一つ一つを飾り、祈り、お神酒をいただくのは習慣になっていますが仕合せを感じる大切な時間です。

伝承というものは、徳が喜び合う中にこそ太くなります。人の出会いやご縁からはじまったものが花が咲き実になり種になるには長い時間を要しますし奇跡の連続に結ばれます。

子孫へ、豊かで知恵のある未来を伝承していきたいと思います。

 

 

土をつくる

昨日は、2年ぶりに来庵された友人たちと新たな仲間で立春の禊を行いました。この時期の空も清々しいですが、水もまた清らかです。清らかなものに接すると人は清々しくなります。私たちの先祖たちはその清々しい状態を保つ暮らしを知恵として連綿と継続しており、私たちは穢れるよりも先にいつもその初心を忘れないための工夫がありました。

その一つがお手入れであり、清掃でもあります。場を清め、自分を調えていくことはお互いの関係をクリアにしていけます。透過されていく関係の中にはそぎ落とし磨き直す関係でもあり心地よく人間の徳を高め合うものです。

よく考えてみると、私たちの生活する「土」というものとその関係は似ています。土というものは汚れていると小さい頃から教わってきました。何か土を触ったり土がつくと洗ってきなさいと言われました。つい土をよくないもののように認識してきます。

しかし土は私たちの様々な汚れを浄化する存在であり、動物に至っては土を身体に纏って衛生的に給ったり、直射日光などから守っていたりするものです。植物においては、いのちを支えてくれる大切な土壌であり土が保水し菌の住処をつくってくれるから循環しあう環境を創造することができます。

その土というものを如何に創るか、これはとても大切な取り組みになります。

土ができるまでは時間がかかります。それは何度も何度も同じものをつくり、土が馴染んでくれるまで丁寧に実践を続けるしかありません。しかし一度、土ができてしまえば土が私たちを支える大切なパートナーになります。それだけ私たちは土と一体化するのです。

郷土も同様に何をもって故郷と呼ぶのかといえば、この土が中心であることは間違いありません。どのような土で育ってきたか、そしてその土の中でどのような土を食べてきたか。植物も土からできていますし、その植物を食べる動物や虫もある意味で土を食べてきた土の化け物です。

その土に回帰するというのは、自分が産まれ育ってきた土に還るということでしょう。子どもたちのためにも、土を汚す農業や土を穢す生き方ではなく土に還る、土を喜ばせる生き方をしていきたいと思います。

日本の醸し文化

日本には古来から食文化というものがあります。その一つに酒があります。このお酒というものは、日本人は古来より家でつくり醸すのが当たり前でした。醤油や味噌などと同様に、発酵の文化と一つとしてそれぞれの家にそれぞれのお酒を醸していました。何かのお祝い事や、あるいは畑仕事の後などに呑み大切な食文化として継続してきたものです。

それが明治政府ができたころ明治32年(1899年)に、自家醸造が禁止されます。この理由は明治政府による富国強兵の方針に基づき税収の強化政策でした。実際に明治後期には国税に占める酒税の割合は3割を超え地租を上回る第1位の税収だった時期もあったそうです。

そこから容赦なく自家醸造が取り締まられ、高度経済成長期にはほとんどお酒を自分の家でつくる人とがいなくなりました。実際にはお酒以外にも酒以外にも、砂糖、醤油、酢、塩などの多数の品目にも課税されましたがこれらの課税はその後撤廃されていてなぜかお酒だけが今でも禁止のままです。

それに意を反して、昭和に前田俊彦氏がどぶろく裁判というものを起こしましたが敗訴しています。その時のことをきっかけに全国でも、おかしいではないかと声があがりましたがそれでも法律は変わっていません。先進国の中でもアルコール度が低いお酒でさえ醸造するのを禁止しているのは日本だけです。発酵食文化として暮らしの中で大切に醸してきたものが失われていくことはとても残念に思います。

ちなみにこのどぶろく(濁酒)というものは、材料は米こうじとお水を原料としたものでこさないで濾過しないものというお酒のことです。一般的な清酒はこすことを求めていますがどぶろくはこしません。しかしこのどぶろくを飲んだことがある人はわかりますが、生きたままの菌をそのまま飲めるというのは仕合せなことです。

以前、私も生きたままのものを飲んだことがありますがお腹の調子がよくなり仕合せな気持ちになりました。アルコールはただ酔うためのものではなく、菌が豊かに楽しく醸しているそのものをいただくことでそういう心持ちや気持ちになってきます。

つまりは生きたまま醸したものを呑む方がより一層、その喜びが感じられるのです。

現在、宿坊の甦生をしていて明治の山伏禁止令に憤りを感じましたがこの密造酒として禁止した法令にも同じように義憤を覚えます。

子どもたちが食文化としてのお酒が呑める日がくることを信じて、自家でやる醤油、味噌など日本の醸し文化を伝承していきたいと思います。

真心と至誠

節分から立春の間には、私たちは福茶というものを振舞います。これは無病息災を祈り、節分の豆を炒ったものと梅干と昆布を結んでつくったお茶です。梅干しは、英彦山の守静坊のものを使います。梅干は「しわが寄るまで元気に暮らせるように」と長寿と健康を願い、結び昆布は、「睦(むつ)みよろこぶ」といっていつまでも一家和合することを願います。

このお茶の由来は、もともと平安時代の空也上人だといわれます。「六波羅蜜寺が発行する大福茶の由来書には、空也上人が本尊前にお供えしたお茶を村上天皇が病気の際に飲んだら平癒したことや、京都で疫病が流行した時に病人に飲ませたら悉く(ことごとく)治ったことが書かれているらしい。空也上人がお茶の効能で伝染病を鎮めた伝承が基になっているのだが、当時はお茶は嗜好品ではなく主に薬用として飲まれていた。流通量が少なく上流階級しか飲むことができない貴重なお茶を、空也は疫病が流行した際に庶民にも振る舞ったという。大袈裟かもしれないが、空也は民衆にお茶の文化を広めたといっても過言ではないのかもしれない。当時は竹を割った茶筅のようなもので点てたお茶に、梅干しと茗荷(みょうが)を入れて配ったという。」(古寺巡礼 京都5 六波羅蜜寺より)とあります。

この当時、お茶というのは一般庶民では飲むことはできませんでした。冬至の天皇や公家などの階級の人たちが薬として服用していました。それを京都で疫病が流行したとき、観音様に祈りそのお茶の薬を飲ませることで疫病が治まったのです。

この空也上人という人は、空也(くうや )と呼び、平安時代の阿弥陀聖(あみだひじり) 、市聖(いちのひじり)、市上人(いちのしょうにん)とも称されます。この聖としての生き方が、その後の僧侶たちに多大な影響を与えた方です。私もとてもこの空也上人の遊行に憧れ尊敬しています。

空也上人の一首にこういうものがあります。

「極楽は遥けきほどと聞きしかど努めていたるところなりけり」(空也上人)

意訳ですが極楽とは遥かに遠いところにあるものだと聴いていたものの、真摯に仏道修行に努め励めば到達することができると。別の言い方では、真心や至誠を盡せば極楽に入るということかもしれません。

1000年以上経った今でも偉業が多くの人たちの祈りやいのちを支えています。真心や至誠は時を超えるものです。

私も先人に倣い、憧れた生き方を実践していきたいと思います。

利活用?

現在、古民家の利活用のことなどを色々と試されていますが私から見ると何をもって誰のための利活用というのかというのが気になるところです。私の場合は、誰がのところがまず家がになっていますし何を持ってのところが先人への配慮になっていますからその因果の帰結としてできてくるものが一般的な古民家の活用の仕方と異なってきます。そして主人として恥ずかしくないように生き方を磨くなかで自然に集まってくる一期一会に応じて暮らしを調えています。

現代は、経済優先の世の中ですから利活用とは稼ぐことになっています。単なる保存では負担なので活用しようという言葉が隠れています。そもそもそうなってしまっていることの理由を突き詰めずに、使っていないからもったいないとして別のものにしますが本来は連綿と改善を続けていたから活用が生まれているのであってそうではなくなっているものを別のものにしていてもそれは最初からやり直した別のものです。

歴史なども同様に、長い時間をかけて和合し文化として吸収していく過程の中でその時代の人たちが先人たちの取り組みを伝承してそれを改善してマイナーチェンジを続けてきました。シンプルなものを最初に創造したらあとはマイナーチェンジの連続です。

古民家というものなどその最たるもので、私はそれを日々の暮らしの中で実践し継続するなかで変化を味わい家と共に喜ぶ環境を発見しては磨き続けているだけです。

いくら古民家を利活用しようとしても、それでは家が本当の主役になったのではありません。その家にはその家の歴史もあれば個性もあります。そして物語もあります。その続きを担うのだからそれなりに主人がそれを理解してよく学びよくその境地に近づく必要があります。それも時間をかけて丁寧に行う必要があります。

私の経験では最低でも3年くらいは、マイナーチェンジを続けていきます。すると次第に馴染んできてそのものが働きはじめるのです。と文章にしても、伝わらないものなのでやはりその場で共に感じてもらいしかないのですが。

ご縁というものもとても似ています。

時間をかけて醸成された人間関係は不思議とタイミングを間違わないものです。誰と出会い何をするのか、ご縁が喜ぶかと生きているとそのご縁に導かれたその人らしい人生になっていきます。大切なのは、どの意識で過ごしているかということかもしれません。それは利活用という意識ではなく、ご縁を大切にするという意識である方が豊かさの質は異なります。

春の気配の薫るなかで今年の不思議の芽が出てきています。ありがとうございます。

自然の生き方

たまに鴨長明の方丈記を読み直すことがあります。800年前に書かれたものですが、今でも鮮明に想像でき共感できるものばかりです。あの有名な「 ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。 よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。 世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。」の文章です。

この川の話は、水の話でもあります。私は古民家甦生をはじめ、歴史に触れる機会が増えてから余計に水を感じるようになりました。水というものは、とても不思議な存在ですが時にも似ています。そして空でもあります。どんなものとも融和し、姿はありとあらゆるものへ変化し、永遠に存在し続けます。清濁あわせもち同じものは一つとしてありません。

いのちの水とも呼ばれるその水の本質は、他の知識や知恵を得るよりも偉大な真理を持っています。人間は当たり前すぎるものには気づかないものです。水や光、火や土などもですがそのどれもがとても偉大なものですが人間社会においてはそれほど意識されません。なぜなら水は意識そのものですから気が付かないのでしょう。

方丈記の中にこのような一文があります。

「魚は水に飽かず、魚にあらざれば、その心を知らず。鳥は林を願う、鳥にあらざれば、その心を知らず。」

これは人間も元々は何がもっとも飽かないで何を願っていたかということ、人間が人間らしくあるのはどういうときか、その心を知っているかという問いでもあります。

鴨長明は、山中に小さな庵をむすびそこで淋しくても慎まやかな暮らしを通して安心立命の境地を発見しました。仏陀のいう無の境地に近づき、人間であることの喜びや仕合せを見出したように思います。もちろんずっとではなく、この方丈記を記したとき、その瞬間にその喜びを表現するときに魚や鳥が自然そのままあるがままを味わうように自分もそう人間として感じたということです。

自然というものは水のようなものです。老子は、「上善(じょうぜん)は,水の如(ごと)し。水は善(よ)く萬物(ばんぶつ)を利して,而(しか)も争わず。衆人(しゅうじん)の悪(にく)む所(ところ)に處(よ)る。故(ゆえ)に道に幾(ちか)し。」といいました。

水の生き方こそ人間の生き方、つまり自然の生き方であると。何が自然で何が不自然かを800年前にも感じて自分の生き方を記された書物には智慧が詰まっています。

引き続き、時代を超えた普遍的な智慧を暮らしの実践として伝承していきたいと思います。

道歌の伝承

道歌というものがあります。ウィキペディアによれば、「道を教える道歌とは、随分古い時代からあった。最初から道歌として作ったものと、普通の短歌を道歌として借用する場合がある。借用する場合文句が変化することもある。短歌は日本人の口調に適し、暗誦しやすいので親しまれた。道歌そのものは以前から作られていたが、室町時代につくられた運歩色葉集いう辞典に道歌という字があったという。江戸時代の心学者が盛んに道歌を作った。その後道歌が盛んになった。」とあります。別の辞書を引くと、仏教の教えや禅僧が悟りや修業の要点をわかりやすく詠み込んだ短歌や和歌ともあります。

道徳的な教訓や心学といった道を歩んでいく上での普遍的な生き方を歌に詠みそれぞれが道しるべとしたものです。

私たちの人生は一つの道だといわれます。はじまりから終わりまで道を歩むのが人生で、その中で様々なことを体験し味わい私たちは人間であることを自覚します。これをよく読み直すと、人間がなぜ不安になるのか、欲に呑まれるのか、不幸になるのかなどが昔も今も変わっていないことに気づきます。いくつか集めてみると、

養生は 薬によらず 世の常の 身もち心の うちにこそあれ

孝行を したい時には 親はなし 考のしどきは 今とこそ知れ

めぐりくる 因果に遅き 早きあり 桃栗三年 柿八年

足ることを 知る心こそ 宝船 世をやすやすと 渡るなりけり

強き木は 吹き倒さるる こともあり 弱き柳に 雪折れはなし

日々の健康は日頃の養生、親孝行は今こそすぐやる、タイミングは因果次第、富は足るを知る中に、真の強さは柔軟性など色々とあります。

本当はわかっていても、そう思いたくないという人間の心理もあるでしょう。道歌はそういうことを諦めさせるためにも声に出して詠んだのかもしれません。

人々の長い年月で繰り返されてきた知恵は、今も何よりの徳や宝になり私たちを支えます。先人に倣い、伝承を大切に取り組んでいきたいと思います。