実践を磨く

今年は自然農の田んぼのお米はあまり収穫できませんでした。その理由は、収穫のタイミングを自分たちの都合に合わせたのが原因の一つです。雀や他の虫たちが一気に群がり、随分食べられてしまいました。これはお米だけではなく、野菜でもよく発生することです。

私たちのいる自然界では、タイミングというものを全ての生き物は感じて生きています。つまり旬というものがあります。その旬を逃さずに待っているのです。旬を過ぎれば食べられなくなるものもたくさんあります。そしてその旬は作物においても、その時期に種を蒔こうとするものです。お米も種を落として翌年のために土の中で眠ります。その種が落ちる前に収穫するから得られます。しかし種が土に落ちると食べられなくなるため、人間や鳥たちをはじめ虫たちはその前に収穫にきます。これは山の果樹や木の実などと同じく、そのタイミングをみんなで待って一斉に食べにくるというものです。

この仕組みは自然界ではとてもうまく成り立っており、長い年月を経てその生き物たちとの組み合わせを獲得していきました。お互いに共生していくための調和をそれぞれがタイミングというものを持ち、合わせていくのです。これが自然の仕組みであり智慧であるのは間違いありません。

この仕組みは、ご縁というものも同じです。タイミングに合わせて、共生する者たちが集まってくる。それはお互いに旬を待つことによって得られます。自分勝手な都合でご縁を合わせても先ほどの収穫と同じくそれはやってこないものです。

それぞれがお互いの旬を理解しあい、その時機を一期一会に暮らしていくなかで私たちは共生し、また助け合うことができるということなのでしょう。

自然から學ぶのは、智慧を學ぶことです。

収穫は少なくても、そこから自分のタイミングの間違いに気づき、丁寧に自己を調え時機を見間違わないように実践を磨いていきたいと思います。

場を調える意味

明治以降、日本人は様々な暮らしを大きく変化させていきました。特に大きく変化したのは、自然との関係です。自然をコントロールしようとし、自然と共生してきた智慧を捨てていきました。もう150年も経てば、ほとんど人は亡くなっていますからその当時がどうだったかのを語る人もいなくなります。

ではどのように変えられてきたかに気づくのか、それは暮らしを深く見つめると実感するものです。例えば、それまでに使われてきた道具をよく観察します。明治以前の人たちが、どのような道具を使ってきたか。包丁一つとっても、石臼一つとっても、いのちが壊れないように、自然が傷まないようにと配慮したものばかりです。現代は、錆びない研ぎもいらない包丁ですし全自動電動ミキサーなどになっています。

手間や暇や時間をかけないことが良しとする考え方に換えているのがわかります。それにいのちのようなものよりも、見た目だけ整えていればいいという考え方になっているのもわかります。自然物から人工物へと物との接し方も変わります。つまり自然との暮らしよりも、人工的な生活に転換してきたということです。

都会などまさに人工的な生活をする場所です。自然物はほとんどなく、すべて自然は人工的なコントロール下にあります。これはすべて金融経済を優先する仕組みで成り立っています。人類は金融経済を優先するために、あらゆる自然物からお金に転換し搾取をするという構造で世界のグローバリゼーションは進化させていきました。小さな範囲で行われていた時はまだしも、地球上のありとあらゆる場所でそれを進めてきましたからもはや地球に自然の共生していた場所はほとんど失われてきました。いつ終わりが来るのが誰にもわかりませんが、壮大な文明実験をしているということでしょう。

かつて、人類の文明は歴史を観ると何度も滅んでいます。その滅んだ理由も、様々ですが根本は人類の欲望との調整です。飽くなき欲望の果てに、人間はすぐに謙虚さを失います。自然災害が来ることも忘れて、気が付くと自然の猛威の前に立ち尽くすだけです。

自然災害というものは、実は人造の災害であるというのはわかります。もともとあると思っている人間は謙虚に暮らします。それがないと思ったところから問題が発生します。

映画でも地球滅亡などをテーマにしたものがたくさん出ていますが、どれもハッピーエンドで救われるものばかりです。実際に暗くなっても仕方がないということでしょう。しかし明るいか暗いかが重要なのではなく、やっぱり謙虚かどうかということが肝心ということでしょう。

謙虚さというのは、自然を身近に感じる暮らしをし続けていれば忘れないものです。自然のリズム、自然の持つ壮大な循環の中にいると、如何に自分がそのちっぽけで同時に偉大な一部であることを自覚できます。

その安心感と有難さを覚えるとき、人は欲望との調和が保たれます。欲望を助長していくだけの環境ではなく、調和が保たれる環境、つまり「場」をどれだけこの世に実現させていくかが子孫のためには大切になっていくだろうと私は思います。

子どもたちのためにも、今いる自分の場を調えて場からこの世界を改善していきたいと思います。

農業の本当の価値

現在、農業の本当の価値は正しく世の中には伝わっていないように思います。長い時間を経て、手間暇をかけてじっくりと育ててきたものが世の中のマーケットに出そうとすると、大変な安さで値決めをされてしまいます。その理由は、中国産や機械化やあるいは農薬化学肥料による量産化したものと比べられるからです。

本来、小さな農家が集まって市場に品物を出し、それぞれの善さを競い合っていた時代から大規模農家が独占しどれだけ安く出せるかを競い合う。これは家電製品なども同様に、値引きすることが当たり前というのは消費者側の市場原理と大衆の欲望を優先した結果でありそれを繰り返しているうち、本当に長い目で観て善いものをつくろうという考えは否定され、目先のもので安価で使い捨てられるような便利なものをつくる人が優先されていきました。そのため、ちゃんとした本物の価値を提供しようとしていたメーカーは倒産し、農家も正直に丁寧に小さくても在来種や固定種、その洗練された技術を持っていた篤農家たちもいなくなりました。

末路として、今、世界中で問題になっている現代の環境汚染や自然の破壊や富の格差や飢餓貧困などが多発しました。そういうものをいつまでも解決しようともせず、まだ今でもその浅はかな市場原理を優先した売り方や買い方を換えようとはしていきません。

私が取り組んでいる伝統在来種の高菜も、自然農で人が丁寧につくりそれをお漬物にするのもスパイスにするのも物凄い時間と技術と労力がかかります。作物を育てるだけでも、8か月以上時間がかかります。そしてそれを加工するのに半年以上かかります。また商品にするにも一つずつ手作業でかなりの手間暇をかけていきます。すると、その経費だけでも市場に販売されている添加物たっぷりの高菜の10倍以上の費用がかかります。それには利益はのっていません。そこに利益をのせようとすれば、農家さんが生活できる費用、継続できる費用、未来のために投資を続けるための費用があります。しかしそれをしたら値段が高いという理由で市場は取り扱ってもくれません。だから値引きしろと言われたら、赤字を出しながら農家を続けることになります。そうしているうちに、ちゃんと正直にむかしの大切な智慧と味を守ってきた農家が世の中からいなくなったという流れです。

これは、自然の動植物が絶滅していく仕組みにそっくりです。篤農家も自然と共生して、むかしながらの智慧の暮らしを継続していましたから動植物と似ています。だから絶滅していくのでしょう。気が付いた時には、漬物であれば発酵もしていないような添加物や防腐剤いりのものばかりが食卓にあがり、それを漬物と認知していざ、もし自然災害や戦争等で保存食が必要なときにはその智慧も失われて酷いことになるのは火を見るよりも明らかです。

結局は、私が取り組んでいる伝統在来種の懐かしい農産物や暮らしの智慧がその時には必ず役に立ちます。今の時代のように便利でお金で豊富に安いものを買っているうちは、保存食の智慧など価値がないとも思われます。

しかしそんなことをみんなでやっていたら、危機に対しでどう地域やみんなで乗り越えるのでしょうか。種でもF1などの改良のものを使っていたら、自家採取もできません。化学肥料や農薬がないとできない農法をしていたら、もしそれが海外から入ってこなくなったら作物はできないということでしょう。石油が止まり機械が使えなくなれば、作業すらできないとなったらどうするのでしょうか。

私がむかしの懐かしい味や伝統や知恵を守ろうとするのは、子孫のことを思うからでありみんなでその価値を守ることで美味しさも健康も、仕合せも徳も譲っていくためです。

何でも都市化して、グローバリゼーションの大合唱の名のもとに均一化してお金だけの価値を優先して軸足を単なる搾取経済の援助ばかりをしていたら社会もそういう未来になるばかりです。

そろそろ本気で目覚めて、自分たちの誇りや子どもたちや子孫のために一人一人が選択をしていく時代だと私は思います。そしてそういう人たちがきっと、本物の農産物や正直な加工をする人たちを支えていくことを信じています。引き続き、世の中の流れがどうあろうが、本質や根源を見失わないように丁寧に暮らしを紡いでいきたいと思います。

誇りを磨く

「地域の誇り」という言葉があります。そもそも自分の地域のことにどれだけ自分が誇りを感じているかということです。もっと言えば、地域とは人物環境を含めたすべての風土ですからその中には当然そこで生まれ育った人々の暮らしも入っています。

そこの地域で代々、受け継がれてきた生き方、生きざま、暮らし方などを深く尊敬し愛するからこそ地域の誇りは育ちます。私たちが誇りを感じるのは、その地域の本当の真価に気づくことができているからです。

私は、故郷の旧長崎街道筋の古民家を甦生し、藁ぶき古民家を甦生し、生れた場所に徳積財団を創設し活動しています。他には伝統在来種の高菜を育て、その種を継承しさらに農業技術を磨き上げ自然農を実践し、代々の中でもっとも元氣といのちの詰まった最高の高菜に仕上がるよう見守っています。

一般的には、私たちの地域はなぜか自分の地域のことをよく言わない人が多くいます。炭鉱でダメになったとか、気性が荒い人が多いとか、何も観光名所がないとか、ないものばかりの文句を言います。私はこの地域で生まれ育っていますが、まったくそうは思いません。むしろ炭鉱があったから明治の近代化が実現し、命を懸けた人たちがいたから人情味があり、その炭鉱夫の元氣を下支えした高菜の食文化があり、また古代まで遡ればこの土地が如何に日本のはじまりに深く関与していた素晴らしい場所だったかと思うと誇りで胸がいつも熱くなります。

そもそも文化というものに対して、自分もその文化の一部であるという考え方がある人は「自分の誇り=地域の誇り」になっています。つまりこの誇りの本質とは、外にあるものではなく自他一体になっているというものです。

自分を誇りに思える人は、当然地域も誇りに思えます。その逆に自分に誇りが持てない人は地域にも誇りは持てないのです。だからこそ、私たちは真摯に自分が誇りを持てるような生き方をし、その誇りを磨いて地域の誇りへと昇華していくことが大切ではないかと私は思います。

自分の子ども、自分の子孫たちに自分は誇りをもって言えるようなことをしてきたか。その集積こそが誇りを磨くことです。自分がその地域で生まれて最後に誇りをもって死ねるか。そしてその誇りを遺せるか、子どもが憧れる大人は誇りをもって生きた人たちです。

地域への誇りを持てないというのは、先人への冒涜であり今の自分への諦めです。私は誇りを磨いて、立派な先人たちに恥じないようにさらによい地域にして誇らしくこの世を去りたいと思います。

私は私らしく誇りをもって、私の好きな道を好きなように歩んでいきたいと思います。いつもありがとうございます。

美味しいご縁

今、私は故郷の伝統在来種の高菜をリブランドし「日子鷹菜」としてこれから世の中へと広げる活動をはじめています。最初に在来種の高菜の種とお漬物の菌を譲り受けて16年目になるでしょうか。そろそろ頃合いかなとも感じての今の活動です。

人とのご縁があるように、種とのご縁というものもあります。私たちは何かのご縁で結ばれ今があります。そのご縁は大切にしていると発展していくように、出会いも広がっていくものです。

例えば、種と出会うと畑との出会いが結ばれます、同時にその畑に関わる人との出会いが生れます。そして場になり、その場でたくさんの物語に出会います。その場の中には、虫たち、植物たち、あらゆる周辺の生態系、そして町の人々、自分の思いや実践、その熱量などすべてと結ばれます。16年も経つと、写真を見ないと思い出さないようなこともたくさん増えました。しかし、その歳月で得られた智慧や技術、経験などは決して忘れることはなく全て染み付いています。そしてこれが私の高菜への信頼であり、自信と誇りになりました。

今では、どこに出してもまったく恥ずかしくない正直に取り組んできた全てを丸ごと公開できます。当然、肥料も農薬も一切撒かず、塩も故郷の天然天日塩、お水も地下水のみで木樽で家の裏の杜の発酵場で見守っているものです。むかしから変わらない先人の智慧通りのお塩と樽と菌のみの熟成。あとは、定期的にお漬物と対話しながらお塩や石の重みの塩梅をきかすだけです。

それを自分が毎日食べ、色々なこの高菜にしかない魅力や味を引き出してきました。他とは比べず、この高菜にしかない長所、善さを暮らしの中で発見し続けてきました。そうして、いよいよ家族や仲間から他の人たちへ食べていただく段階に入ったということでしょう。そこまでで16年、お金儲けのためではなく純粋に高菜と共に暮らしてきた有難いご縁の歳月でした。

これから世の中に出ていけば、色々な人たちや評論家などにこの高菜の値打ちが語られるように思います。人は色々なことを言いますから、他と比べて酷い評価をつける人もいるかもしれません。今の民主主義は、大人数が正義ですから大勢言えば真実ともなり悪い評判を出されればあっという間にダメになります。いい評判も、本当に心の底から私たちが感じているような美味しさを感じて出したものではない便利なものも出てくるでしょう。

結局のところ、真の値打ちは自分で育てて、自分を育てて、畑を見守り、畑で見守られ、共に暮らしを磨き、食べて慈愛や滋養を循環しあう関係で得た味わいは唯一無二でそれはその人たちにしか感じられないものということでしょう。

世の中にこれから出ていく日子鷹菜は、この先にたとえどのような評価が出たとしてもその真の値打ちは私が一番誰よりもよく知っています。だからこそ世の中にその美味しいご縁をリブランドしたいと思ったのです。過去や他人の評価などはどこ吹く風だと、この場で誕生した新たなご縁を信じてさらにもう一歩広げていきたいと思います。

子孫や故郷の未来に、この美味しいご縁を丹誠を籠めて結んでいきたいと思います。

自然免疫

先日、久しぶりにコロナウイルスに2回目の感染をしました。いつどこでもらった来たのかが分かりませんが、コロナ感染者に接触したこともあったのであれかなとか色々と思い出します。しかし、どんなに気を付けていても感染症というものはいつどこでもらってくるのかわかりません。自分の自然免疫を丈夫にして、もらってもそんなに気にならないほどの逞しさは持ちたいと思います。

そう考えてみると、幼い頃から様々な感染症を経験してきました。病気のリストのほとんどは感染症でその人の人生の病歴は感染症の歴史ともいえます。特にコロナウイルス以降は、様々な感染症がまた流行り出しているといわれます。

これはパンデミック中の隔離生活や過剰な手指衛生、マスク生活、あるいはワクチンの副作用によって感染症への耐性が低くなったというものもあります。私たちは免疫を獲得できないことを免疫負債といい、その状態が続けば免疫が失われて弱くなっていくそうです。

これは例えてみれば、都会の生活に浸っていた人が突然田舎に来て不便な生活に入ったもののような具合でしょう。私も以前は2拠点生活をしていましたが、東京から故郷に帰ってきて畑に出た日は、ありとあらゆる虫に刺されます。疲れも酷く、すぐに熱中症のような症状がでます。汗も湯水のように流れ、怪我も多くします。それが数日、畑に出ていると虫にはまったく刺されなくなり、皮膚は活き活きして水分をよくはじき、体温調節も自然に行い暑さにも寒さにも慣れてしまいます。野生化するというのでしょうか、自然免疫がフル稼働状態になり元氣が出てきます。周りからも、肌艶がいいとか、眼が活き活きしているとか褒められます。

つまり私たちの免疫が周囲の環境に合わせて強く逞しく働いているということでしょう。そもそも自然界で生きていると、空気中の中には膨大な量のウイルスがあります。私たちは毎日、あらゆるウイルスを吸い込んではそれを免疫が対応しています。過剰にウイルスを怖がって、マスクに無菌室のような殺菌だらけの部屋で生活していたら自然免疫は働く必要がありません。免疫が元氣なくなれば、自分も元氣がなくなっていくということでしょう。

今こんなことをいうと怒られるかもしれませんが、水も少し菌が入っていた方が健全ですし、野菜などもそんなに潔癖に消毒しない方が美味しく食べれます。この世からリスクを全て取り除いたら元氣そのものがなくなったでは本末転倒でしょう。

大事なことは、普段から自然免疫が働くような生き方や環境を調えていくことではないかと思います。古民家などは最適ですし、井戸水や農的暮らしも最高です。土に触れていれば大量の菌やウイルスと毎日遭遇します。自然免疫がなければ、とてもではないけれど対応できません。だからこそ、土に触れるのがいいのでしょう。土も、殺菌している市販の売り物ではなく自然界の森や畑の土のことです。

何が当たり前で何が不自然か、ウイルスなどの世界でも見てもそもそもの本質は変わりません。何が自然で何が免疫なのか、今回のコロナの体験から学んだことを子孫へと伝承していきたいと思います。

教育の本質

私の人生を振り返って見ると最初に「教育」というものの本質に気づかせていただき、この道を教えていただいたのは吉田松陰先生だったように思います。もちろん、学校の先生には色々と教えていただきましたがはっきりと教育とは何かということを直観したのは松下村塾だったように思います。

17歳のころにその教育という愛に気づいてから、ずっと毎年欠かさず松下村塾へは参拝とご報告に伺っています。そもそも人を教えていくという道は、偉大な愛があります。愛を受けた生徒たちがその後もその愛に報いようと志を立て、己を磨き、學問に勤しみ修養し続けていきました。

肉体が滅んでも、心は燦然と輝き魂は永遠に生きているような至誠の生き方や後ろ姿に励まされ草莽崛起の立志の御旗は150年経っても色褪せません。まだ国防は終わってはおらず、何をもって国防とするのかということもまだ問の中です。

吉田松陰先生は、教育というものをこう定義しています。

「教えるの語源は「愛しむ」。誰にも得手不手がある、絶対に人を見捨てるようなことをしてはいけない。」

常に愛をもって人に接するというのが真の教育者ということでしょう。それは相手の徳性を深く厚く慈愛をもって見守っていく太陽やお水のような生き方をしていくということです。そしてこうもいいます。

「どんな人間でも、一つや二つは素晴らしい能力を持っているのである。その素晴らしいところを大切に育てていけば、一人前の人間になる。これこそが人を大切にするうえで、最も大事なことだ。」

「人間はみな、なにほどかの純金を持って生まれている。聖人の純金もわれわれの純金も、変わりはない。」

愛するというのは、条件をつけないということでしょう。大事なのは、自分が愛したかということであってそこに教育の本質があるように私は思います。

そして松下村塾というものの偉大さを感じるものにこの言葉があります。

「自分の価値観で人を責めない。一つの失敗で全て否定しない。長所を見て短所を見ない。心を見て結果を見ない。そうすれば人は必ず集まってくる。」

日本人の今まで伝承してきた教育のかたちは、「子どもたちを愛しむ」という真心にあるように私は思います。時代が変わっても、私たちの民族の中に脈々と流れているその伝家の宝刀を如何にこれからも大切に守っていくか。

これから日本がどのような状況に入っていくのかは混迷を深めていきますが、条件に左右されることなく子どもたちのために真心を実践していきたいと思います。

眼のバランス

私たち人間というのは、そのものの姿によって好悪の感情を抱くものです。毛虫の時は毛嫌いし、蝶になれば美しいと愛でようとする。その本体はどれも同じであっても、それを別物として認識しては好き嫌いを分けています。他にもイノシシなども売り坊の時は可愛いとなり、大人になったら気味悪いとなります。人間でも生きているときは美しいと思っても死んだら幽霊だと怖がります。

そんな当たり前のことをと思うかもしれませんが、これは本当に当たり前なことなのかということです。この世の中のあらゆるものは変化を已みません。その変化していく姿に私たちは思い込みで好悪感情を持ち評価しているものです。

先ほどの毛虫であれば、その毛虫が将来大変貴重で美しい蝶になると言われたら毛虫への感情も変わりその毛虫が好きになったりするものです。その逆に、醜い毒蛾になるといわれたらすぐに捨てるか遠ざけるでしょう。人によってはそれぞれに選り好みもありますからそれが好きな人もいるかもしれません。

何を言っているかというと、それは全てその人の偏見で観て感情も執着をもっているということです。

それが分かってくると、この好悪感情は一瞬にして変わってしまうものであることがわかります。例えば、銀杏の実が臭いと毛嫌いしていたものが一度炭火で焼いて食べて美味しいことが分かった瞬間から喜んで実を集めだすようになります。しかもそれまでの環境が反転して、臭いすらいい臭いに感じ、愛しく実が落ちるのを眺めるほどです。

結局何が言いたいかというと、好きか嫌いかというその人の偏見によってそれは裁かれますがそのものの価値はその人の好悪感情とは関係がないということです。

そうやって偏見を持たずに自然を見つめ直すとき、すべての自然にはそれぞれに尊い価値があり、お役目があり、徳があることに気づきます。小さな石ころであっても、鬱蒼と生えている蔓であっても、それぞれの本質がありいのちがあります。それをそのままに観えることができてはじめて人は、あるがままの味わいを感じることができるように思います。

そしてこの好悪感情というものがどれだけ現実に影響を与えているかを知ります。事実を歪め、本質を澱ませ、根源を忘れさせます。

好悪感情があることで、様々な感情の経験を体験でき私たちは臨場感をもってこの人生を謳歌していけることも確かです。しかし同時に、自然そのものの素晴らしさや不完全であることの美しさなども実感することでいのちが一体になって共生する豊かさを感じられ仕合せになることも確かです。

人間に眼が二つあるように、心の眼と情の眼をバランスよく重ねてそのどれもを丸ごと愛せるようになれたらいいなと思います。人間らしく自分らしくというのは、生きるうえで大切な羅針盤なのかもしれません。

引き続き、観るを省みて眼のバランスを調えていきたいと思います。

雨乞い

私の場の道場には、神社がお祀りされておりそのご神体に闇龗神がいます。これは八大龍王とも呼ばれ、私たちの先祖が代々お祀りしてきた神様です。特に私たちの住んでいる場所から一直線上に八木山の龍王山があり家の麓には八龍権現池があります。そして八大龍王神社がありその奥社には多田妙見神社があります。この神様が闇龗神です。

私たちの場所は、雨乞い神事を執り行うのに適しているところです。常に龍の気配を身近に感じて雨を祈ります。この雨乞いというのは、雨を降らす祈りです。

今では雨乞いなど遠い昔の過去の物語のようで誰も意識することはなくなっています。便利になった世の中で、各地には水道やため池が増え、治水もポンプなどで運営しています。雨に頼らなくてもある程度は人間の思い通りです。

しかし以前は、雨が降らなければどうにもなりませんでした。干ばつがくればすぐに食糧難、そして餓死です。また洪水が来れば同じく食糧難になり家もすべて破壊され疫病が蔓延し餓死です。雨の動向一つで私たちの暮らしは脅かされ、すぐに死が身近に訪れました。

そういう時、私たちは何をしていたかということです。現代は、地球の天候は極端になり世界各地で激しい自然災害が発生しています。一昨年の豪雨の体験では、私も英彦山で恐ろしいほどの川のような雨が降るのを体験しました。もはやこの規模になると、人智は及ばずただ祈るしかありません。

本来、雨乞いとは何かということを今一度思い出す必要を感じています。

雨乞いとは、雨を降ってもらおうとか雨を少量にしてもらおうと希ったものではありません。これは、適量適度に穏やかでいてくださいと祈ったものです。降らなければ問題であるし、降ってもも問題。だからこそ、ほどほどに降っていただきたいと願いました。少し足りないくらいでちょうどいいと願ったのです。

その真心は、穏やかで安らか、和やかに静かのままでという優しい祈りです。

私たちは自然災害を前にして、なぜこうなったのかを考えました。これは単に災害をスピリチュアル的に鎮めるという物質的な話だけではなく、心の在り方、心の持ち方のことも真摯に内省して自己を見つめる機会にしたのです。その証拠に、日本人は自然災害を前にするととても謙虚な心が出てきます。そしてみんなで助け合って道徳を実践します。

長い年月、自然と共に調和共生してきたからこそその心や生き方が自然に陶冶されてきたように思います。私は、毎朝、この闇龗神に御参りして祝詞を奏上しています。私は宗教には全く興味がなく、どこかの宗派に属する気もなければ入信するつもりも一切ありません。つまり無宗教です。

しかし信仰はあり、自然というものと調和したり畏怖を念を感じるとき深い反省といのりの気持ちが出てきます。そして先人たちが暮らしの中で大切にしてきた智慧としての祝詞や詩やお経、道具などは尊敬の念で勝手に使わせてもらっています。

他人に言わせると、数珠もって祝詞あげて法螺貝吹いてふざけるなと思う人もいるかもしれませんが、たまたまそれらの智慧にご縁で触れただけで、そのうち石もって水もって植物着て火を吹いてなど入ってくるとサーカスかと笑われるくらいになるはずです。でもこれは宗教ではなく、自然と人間の智慧と調和を暮らしで結ぼうとする私なりの「雨乞い」なのです。

雨乞いを今でもやっていくのは、いのちの根源に感謝しいつも穏やかで安らかに調和したいと願う生き方を実践していきたいからです。

子どもたちや子孫へ、自然との優しい関りがいつまでも継承されていくように私は私のやり方と生き方で真心を実践していきたいと思います。

場のハタラキ

場のハタラキというものがあります。これは自分が直接的に何かをしなくても、その場がその代わりにハタラキをするということです。これは別の言い方では、やるべきことは全てやってあとは運や天命に任せるというものにも似ています。

これは自分でやると小さな力でも、その小さな力で大きな力を引き出すということにもなります。テコの原理なども、小さな力で大きな力を使います。場のハタラキは、これにさらにもっと偉大な力を使うということです。

例えば、場には想いが宿ります。他にも時が宿ります。重力も宿り、引力も宿ります。他にはいのちが宿り精神が宿ります。つまりありとあらゆるものを器の中に容れて宿らせることができるのです。そしてその場は、目には観えませんが偉大な調和が生れその中で奇跡のようなハタラキをはじめます。これは、物事がなぜかうまくいったり、不思議なご縁を引き出したり、一期一会の見事なタイミングがあわせたりします。

なぜかその場にいけば、いつも物事が善いように運ばれる。なぜかこの場所に来ると心が落ち着き、不思議と話も仕事もうまくいくということが発生するのです。

それがそのようになるのは、その場を創っている人が中心にあるのは間違いありません。ではその場をつくる人は何をしているのか。それは日々に心のお手入れをして場を調えているのです。場を調えることで場のハタラキはさらに活性化していきます。そのためには、生き物に接するように、あるいは神仏に仕えるように謙虚に丁寧に実践していくしかありません。

私は場道家として、場の道場でこのような場のハタラキを研究し実践していますが次々に場のハタラキが可視化され、多くの人たちに感じてもらうようにもなってきました。私が取り組んでいるのは、単なる場所貸しではなく、場のハタラキを受けられる場を提供しているということでしょう。

1000年先の子孫たちに伝承されていくように、まだまだ長い時間をかけてじっくりと醸成していきたいと思います。