相手と自分とを分けない、これを自他一体ともいいます。これは単に二者関係のことをいうだけではなく、全体最適ともいい、また八百万の神々のようにすべて一体善になっている境地のことです。
今の社会は、個人主義が優先されまずは自分がというように自分のことから考えてしまうようになっています。そうなることで、自他が分かれより一層バラバラになっていき一体善というよりは善悪をはっきりと分けるような風潮になっています。
さらにこの自他一体を発展している言葉に「自他共栄」というものがあります。これは講道館柔道の創設者、嘉納治五郎氏の理念です。これは自分だけでなく他人と共に栄えある世の中にしようとするために作り出した理念であり、まず相手を敬い、感謝することで信頼し合い、助け合う心が育まれるとし、人間の歩むべき道であるとしています。
融和協調の大原則であるとも言っていますが、お互いが一緒に発展していくには自分か相手かと区別するのではなくお互いにどう折り合いをつけて協調していくか、そしてその時、自分が相手のことを思いやり、相手も自分を思いやるという共に生きていく中でどう発展させていくかと一緒に考えていく必要があります。
これは私たちが実践する聴福人の理念でもあり、お互いの意見をよく聴きそのうえでどのように皆で折り合いをつけていくかを対話していくことと同じです。誰かがよければ誰かが悪いとならないように、どうやってみんなで折り合いをつけていくかを話し合うのです。
個人主義というのは利己主義になりやすく、それぞれが正論をいい自分を貫けば人類は戦争に発展していきます。お互いに相手を思いやり一緒になって考えてお互いを尊重して折り合いをつけていくことが平和の維持です。
畢竟、平和というものは自他一体のことであり、そのうえで自他共栄を実践していくという社會を維持していこうという生き方を一人ひとりが意識して創造することをいいます。
この価値観の転換ができるとき、はじめて人生が本質的になり真実の姿が観えるように思います。最初は自分があればあるほど手放すことは苦しいですが、相手は自分だったかもしれないと信じることや、相手がもしも自分だったらと思いやることや、相手が生まれ変わった自分かもしれないと感じることで自他が折り重なりはじめ、一緒一体になっていきます。
自分だけがいいではなくどうやったらみんなが善くなるか、そしてみんなの仕合せは自分の仕合せになっているという共同体意識、そういう日々の暮らしを意識レベルで積み重ねていくことで自他共栄に近づいていくように思います。
折り合いをつけられる人は、一円観を持てる人です。禍福円満の和の精神を持つ日本人にだからこそこれからの世界でできることがあります。引き続き、子どもたちのためにもそのお手本となれるように自らを磨き精進していきたいと思います。
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一円対話を実践するにつれ、一円観の奥深さを感じます。比較や競争の評価の元、ずっと過ごして来ると、そもそも一円観という発想は浮かびません。二者択一であったとしても、消去法でどちらかを選択していては、選んでいるようで選んでいるわけでもありません。認め合って、どちらも善いと感じられること、辛いことも大変なことも、楽しいこともよく聴くことで、聴福人は自分自身のそんな刷り込みを取り払っている意味もあるのかもしれないと感じました。日頃から、相手のことを慮ることを大事にしていきたいと思います。
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家族は異年齢の集団です。
親子おのおのがその成長に応じた、また育ち方に応じた、その人なりの課題に立ち向かっており、その個々人の課題との取り組みを支え合えるのが家族の大切な役割のひとつだと聞いたことがあります。
善きことも悪しきことも、それぞれの取り組みのプロセスのなかで表れるものとして受け容れることで、責める気持ちをもつことなく、安心して行動に表すことができました。家族の良さを感じながら、この安心感が会社や地域社会にもあってほしいと思わずにいられません。
一人ひとりにそれぞれの立つ瀬があるのを良しとしていきたいです。
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別々に成長してしまったものを合わそうとすると、どちらかが我慢したり、妥協したりという折り合いのつけ方になりますが、常に確認し合っていると、我慢や妥協する前に、折り合いをつけながら進めることができます。「変更という折り合い」ではなく「一体化という折り合い」のつけ方を学ぶ必要があるのかもしれません。
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例えば家族で考える時、こうあるべきと思っていること自体がもし本当にそうであっても、それを家族に言い聞かせても家族は言うことを聞いてもわからないままかもしれません。また、言い聞かせる事で自ら気付く機会を奪うかもしれません。みんなで話し合い、やって見て振り返り、気づいたことから改善する。このプロセスを大切にしたいという思いと、それが最善なのかを考える頭をやめない自分との葛藤になっています。仕事も同じく、みんなで自立して行くプロセスを大切にして行きたいと思います。
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ある園の先生が、子どもたちには「自分を大切にして欲しい」と仰っていました。それは決して「自分を優先する」という自分中心の話ではなく「周囲の人を大事にしたら、自分も大事にされる」という意味であり、逆を言えば利己主義というものには本当の利はなく、それは自分を粗末にする生き方なのかもしれません。よく聴く言葉ではありますが、改めて共に生きていくことを大切にしていきたいと思います。