古民家の再生を行いながら今の時代が便利な道具によって価値観が変容していることに気づくものです。昔は手間暇かかることを良しとしたのは、その方が豊かで仕合わせであることに気づいていたからです。
例えば古民家は夏は涼しいのですが冬はかなり寒いものです。今のように気密性が高く、断熱材を入れているような部屋ではなく、隙間風も多くまた壁もとても薄いものです。これでは冬は風がしのげるくらいで寒さは外と変わらないほどです。しかし、ひとたび誰かが来ると火鉢に火をいれ、豆炭で行火を用意し、半纏をそっと肩からかけてあげることができます。また温かい御茶と、やわらかいぬくもりの表情と言葉をかけてあげれば次第に心はあたたまってきます。
もちろん今の時代のように、暖房をつけ部屋全体を温かくする方法があります。しかしこの方法だと先ほどのようなおもてなしをする手間暇はスイッチ一つで完結してしまいます。もちろんおもてなしは暖房だけではありませんが、昔は心のぬくもりを感じられる人たちと、心のぬくもりを味わう人たちが多かったとも言えます。敢えて自然から離れず、自然に寄り添っていきていくことは決して便利なことではありません。しかしその分、謙虚に自然と共生しながら人間同士の中にある「自然」とも心で触れ合うことができたのでしょう。
人間にとっての自然とは私は「つながり」にあるとおもいます。そしてその人間のつながりにどのような心の触れ合いを見出していくか、そこに真の豊かさがあるように思うのです。
人間関係も同じく簡単便利にスイッチ一つで完結させていいものかと思います。今ではすぐに御縁に対しても切ったとか切るとか簡単にいいますが、本来の御縁は切っても切れないものです。その一つ一つに手間暇をかけるのは、心の触れ合いを味わうことです。
古民家再生をしながら、これは決して家や道具だけの話ではなく「もったいなく」生きていく生き方の再生だと感じます。
心を触れ合せていくことは、自然の姿です。どんなものとでも、どんな人とでも心を触れ合せながら大切にしていけるよう、暮らし方を学び直し改善していきたいと思います。
コメント
「関係」というものは、自ずと「できる」ものではありません。すべてにおいて地道に「築いていく」ものです。したがって、手間暇かけずにできた関係は、まだ、ほんとうの関係とは言えません。それは、お互いに歩み寄り、認め合い、受け入れ合い、譲り合い、許し合ってできていくものでしょう。ちょっと都合が悪いからといって切れるようなものではありません。それは、人との関係においても、自然との関係においても言えるのではないでしょうか。
コメント
よく行く中華屋で「今日はいつもより来るの早いね!」その一言に温かさを感じました。安い店ならいくらでもありボタンひとつで済むお店もありますが、そこと違うのは何よりも人間味溢れているところが魅力なのだと感じます。その一言の心配りに心が癒されるように、つながりの中で感じる安心感は絶大です。それが人間らしさなのかもしれません。心を配りをしていけるよう、相手への寄り添いを大事にしていきたいと思います。
コメント
年明けに仕込んだ味噌を週末に確認してみると、表面に昨年とは違うカビが多量に発生していて驚きました。同じ環境で仕込み方も全く同じ、さらには2年目ということもあり「きっと大丈夫だろう」と思っていた油断だったのだと思います。すぐにカビを取り除き、配置を変えようと部屋の掃除に取り掛かりましたが、普段はあまり気が乗らない部屋の掃除も味噌のことがあったため思った以上に捗り、改めて味噌と言えど生きものと生きているのだということを学びました。手間暇をかけて寄り添うこと、そしてそこから頂いているものを感じながら実践していきたいと思います。
コメント
独身時代からマンションに住んで長いですが、ご近所づきあいなどの繋がりは今まで全くありませんでした。そんな中、今は子どもがいるお陰で、沢山の方々と出会えています。同じマンションや隣のマンション、離れていても子どもから話を聞いて、街中ではすれ違えば教えてくれ、挨拶を交わして、少しずつ親交が深まっています。子どもが紡いでくれたご縁を邪魔することのないように、1つひとつの機会を大切にして行きたいと思います。