昨日、地元の神社の宮司からお話をお聴きする機会がありました。現在、過疎化や高齢化が進み神社での活動を維持することが難しくなってきています。かつては氏子という神社のある地域で暮らしていた人々が地域の発展に貢献し、祭祀を神職の人々ともに執り行ってきました。
例えばお祭りなども祭祀の一つで、日本では古来よりお祭りを通して地域の人々の心の穢れを祓い清め、仲睦まじく暮らしていくことを実践していたとも言えます。これは海外でいうイベントではなく、日本伝統的に古来より伝承した神事です。
このイベントというものは、主催者がいて新しく始めるものであり、それに対し祭りは昔からの風習であったり何かを祀るものがある際に使われる言葉であるといいます。なぜ今はイベントになってしまうのか、それは経済効果を狙って企画者がイベントサービスを通して提供者と受給者が分かれてしまうところに由ります。しかしお祭りは本来地域の人々と一緒一体になって行われるものであり、そこに提供者と受給者が分かれません。
つまりは皆が主体的に自発的に参加するからこそお祭りになるのであり、そのお祭りを通して人間関係を円満に保ち、先祖たちや祖霊への感謝の心を取り戻し己に負けないようにみんなで精進してきた実践でもあります。
今では神社でのお祭りも宗教だとされることもあり、宗教の自由を名目にお祭りを廃止させたり参加を禁じたりする人もいるとのことです。
昨日、宮司の言葉でとても印象的だったのが、「地域の神社の荒廃こそが、その地域の荒廃そのものになる。祭りがなくなれば地域がなくなる」と仰っていたことです。地域の祭りがあればコミュニティが発生し犯罪率も下がっていくという統計があります。祭りが地域を繋ぎ、祭りが助け合いの文化を醸成するのです。
今年は祭りを深めていますが、祭りの持つ本来の意味を考え直してみたいと思います。古来から私たちの先祖は祭祀を通して謙虚であること、素直であることを優先していこうと皆で助け合って暮らしを実現してきました。
暮らしが消失してきている今では、次第に地域での祭りも失われてきています。イベントは長続きせずその場限りで終わってしまいますが、人々の心の中にある感謝の心が祭りを継承し伝承させていきます。
もちろん地球温暖化とか、世界経済の悪化とか世界に目を向けることも大切ですがその足元にある地域のことを考えずに世界を語ってもそれは本質的に改善改革をしているわけではありません。
地域の文化、町並み風景などから切り離され繋がりや絆がなくなると人々は生き甲斐を失い急速に衰えていくといいます。今の日本がどこか元気がなくなり、挑戦する気風が衰退するのは地域が弱っているからではないかと私は感じました。
暮らしの再生は地域の再生でもあります。
目に見えない価値が分からなくなってきている今の時代、損得勘定では測ることができない徳の価値を再定義し、目に見えない価値を可視化していくことは私たちが古来から安心し勇気づけられた付加価値に気づき直すことです。
引き続き、子ども達のためにも何を伝承していくのか真摯に向き合い見つめていこうと思います。
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世界は広いです。ただそれ以上に深さというものがあることを最近思っています。自分の住む街のこと、日本のこと、その一つひとつに今は世界を見ています。小さい頃、お神輿を担いだり、屋台で買い食いしたり、どれも楽しい思い出です。その楽しい思い出を子どもたちに伝承していくためにも、自分ができることを尽くしていきたいと思います。
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子どもの頃、「お祭り」は、年配者から若者に、先輩から後輩に、地域の文化を伝承する場であり、そこでは、風習とともに礼儀等の教育も行われていました。そのお祭りを仕切れることが、一人前の証でもありました。わが町でも、近年、お祭りの形骸化が進んでおり、氏神様への感謝が薄れ、地域の繋がりが希薄になり、地元力も衰えているようです。確かに、「暮らし」を見直さないかぎり「お祭り」だけを残すことはできないかもしれません。
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先日の熊本での一日は、踊って唄って笑って本気で伝えて…と、まさに祭りのような一日であり、一緒に助け合い協力し合うという実感の残る一日だったように思います。「仕事は祭りだ!」と掲げていた企業がありましたが、私たちの日々もある意味では和来ある祭りのような毎日であり、それは形がどうのではないことを感じます。古来から受け継がれて来た祭りの背景にあるものを感じていきたいと思います。
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実家の茶の間にお邪魔させて頂きましたが、川田さんが仰る、地域で支え合い、地域で助け合う社会作りの必要性は子どもたちの為にも必要だと感じます。お祭りもサービスではなく、お互いに支え合い作り上げていくもの。自分の地域のお祭りに意識を向けて行きたいと思います。