町家の修理を行っていく中で愛着ということを考える機会がありました。現在、一つ一つの古いものをリメイクし修理して価値を再定義し今の時代の暮らしに甦らせています。
業者に頼んでリフォームというものもありますが、自分自身の手で一つ一つリメイクするとその道具に愛着が湧いてくるのです。愛着を辞書で調べると『[名](スル)なれ親しんだものに深く心が引かれること。あいじゃく。「愛着がわく」「愛着を深める」「古いしきたりに愛着する」 』とあります。
慣れ親しむもの、これは馴染むとも似ていて次第に自分のカラダの一部になってくる感覚のことだろうと私は思います。何度も何度も使っているうちにその場数によってそれが自分と一体になった感覚を持つということです。
人は何度も何度も活用しそのものを大切にすることによって愛着が湧いてきます。この「愛着が湧く」というのは、泉から滾々と湧き出てくる水のように湧き上がってくる状態になるということです。
人の心というものや人の情というものは、慣れ親しみ馴染むたびにどこからか心情が豊かになっていくものです。豊かな心情を持つ人はみな、この愛情を注がれ愛情を感じ、愛情と接していくなかで育ってきたものです。
子ども達は愛情いっぱいの中で育てば自ずから愛着を持つようになります。しかしその愛着は、大切にすることや愛情を注ぐこと、そして丁寧に丹精を籠めてそのものと対話し接する中で生じてくるものです。
現在のように使い捨てが優先されていく世の中においては愛着はなかなか生じにくいかもしれません。永く使ったもの、ずっと一緒に活かし合ってきたもの、そして暮らしの中で伴に生きてきたものには魂が宿っています。滾々と湧き出る愛情は滾々と注ぎ込まれ滾々とまた愛情の輪を循環し湧きだすのです。
その魂を慈しむように味わい、その魂と触れるように接することが愛着を生じさせていくのでしょう。愛を注がれて愛を纏っている魂は、仕合わせそうな雰囲気を醸し出します。そしてその醸し出す雰囲気が人から可愛がられさらに愛が深まっていきます。愛着を持つ人はいつも愛の中に在って愛の循環を通してさらに仕合わせに生きていけるのです。
自分自身がどれだけ慣れ親しみ馴染み愛着を持つのか、それは暮らしの再生と深く関わっているように私は思います。引き続き、将来の子ども達が深くあたたかい愛着をもって仕合わせに育っていけるように私自身の実践を深めていきたいと思います。
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愛を羽織って愛着と意味していると思うと、とても暖かさを感じます。毛布をそっと掛けてあげるような、気づかれずとも手をかける親心のようです。それは見守ることのようであり、暮らしの中で育まれていくのだと感じます。ものを大切に扱ったり、大人の所作一つひとつが子どもたちへの見守りに表れてたと思うと、日々の自分自身の言動を振り返っていきたいと思います。
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「愛着」が湧くのは、付きあいが長く、いつも一緒にいる感覚があり、一体感があって、心地いい関係ができているからでしょう。人は、「愛着」あるものを、雑に扱ったり乱暴に扱ったりしません。必ず、大事に、丁寧に、大切に扱うものです。それは、情が移り、いのちの付きあいが始まり、自分の人生に付き合ってくれている感覚があるからではないでしょうか。そういうものに囲まれているのは幸せなことです。
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夏が近づき色々と行楽を楽しむようになるのが世の中だと思いますが、今の自分はその場一度の行楽にはあまり興味が湧きません。それは、ここ最近の理念や初心からの動きには一つの芯があり、積み上がり愛着が湧いているからのように思います。毎日いただいている機会、それは愛であり、次へと活かしたり周囲へ繋げたりすることが育むことのように感じます。生きるということの愛着を大事にしたいと思います。
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梅干作りも今日は赤紫蘇を千切り、洗い、塩揉みする作業です。仕込んでいた梅は、透明で、桃のような香りが芳しく、赤紫蘇の色も鮮明で、科学のようです。梅干作りも毎年回数を重ねると、想いも発見も深まることを感じます。先日、クルーより見守る保育の中で、次の発達課題に対しての環境設定よりも、今を充分に熱中させていく事、深めていく事の大切さを学びました。ついつい、次にばかり目が行ってしまいそうになりますが、それでは自分自身に対して、やってあげる保育になってしまうからこそ、今の発達、頂いている機会を充分に味わって行きたいと思います。