四季を通じて様々な生き物たちが生長をし活動しています。つい都市で働き時間に合わせて生きていると、身のまわりの植物たちや魚や鳥などの生長には気づかないものです。ある時、ふと立ち止まり周りの声に耳を傾けていると次第に季節がどうなっているのか、周りの生き物たちがどのように伸びているのか、また何が増えて減ったのかといった自然の景色が観えてくるものです。
自然界とは別に人間は「時間」というモノサシをつくりました。ひとつの基準として昔は星時計、そして日時計、今では分刻み秒単位でデジタル時計が出てきています。これは人間の間で御互いにモノサシを持つことで、一つの基準を定めたと言えます。このモノサシとは尺度のことで、言い換えるのなら人間の価値基準ということです。
この価値基準というものを疑わず、もともとそういう価値だからとその価値観の中に囚われてしまうことを刷り込みとも言います。物事の本質を捉えず、周りの価値観を真実だと思い込めばそれ以外の世界は見えなくなります。
先ほどの景色も同じく自分の刷り込みや思い込み、価値観の尺度ばかりの中にいれば自然界のことは分かりません。人が自分の尺度を観直すとき、それは自然界の中にある実相を観るときに行われるように思います。
宇宙も同じく計り様のないものを計っても計ったところまでしかわからないのが人間の尺度でもあります。この尺度をどの尺度で観ているかが、その人の世界観を決めています。
歴史の尺度、宇宙の尺度、自然の尺度、いのちの尺度、いろいろな尺度を持つことができることが思い込みや刷り込みを外していくためのコツかもしれません。常に本質は変わらないからこそ、本当は何かといった尺度を磨くための実践を積み重ねていきたいと思います。
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「自分のモノサシ」を持たない人は、一般常識を「モノサシ」にしがちです。そういう意味では、「自分のモノサシ」を持つという姿勢は大事ですが、それが「自分勝手で、自分に都合のいいモノサシ」では困ります。また、「自分を超えるものを、自分のモノサシで測ろう」としたり、あるいは、「何でも、ひとつのモノサシで測れる」と思うのは、「傲慢さ」の現れでしょう。空の広さを、「30センチの定規」で測り、世界が解った気になっていないか?!その辺りを注意したいと思います。
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東京に比べると日入りまでの時間が長く、ゆっくり時間が流れていることを感じます。ずっと同じところにいたら気づけないこと、いつしかそれも自分の思い込みになりかねません。自分が思っている以上の世界があることを知り、そういうこともあると、吸収していきたいと思います。
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知らずのうちにこういうものだと思い込み、刷り込まれた尺度でものを見ていることは多いのだと思います。それは自分ではなかなか気づくことは出来ませんが、仲間の姿からその違いを感じ、その異なりが面白く、そう思うとまたものの観方が変わってきたりします。世の中は観えていないものばかりと愉しんでいきたいと思います。
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自分の気持ち、相手の気持ち、それぞれの尺度は相手の気持ちになってみようと、自分の気持ちを度外視してするところから始まるのかもしれませんが、これがとても難しいのだと感じます。聞けば良いのに、聴けず、伝えれば良いのに伝えられないのは、自分の気持ちがきえないからかもしれません。自我は自分では分かりづらいですが、だからこそ、理念や自分のミッション、月のテーマから振り返ることが大切だと感じます。振り返る事を忘れなければブレても良いのだと感じます。日々の振り返る機会がある事に感謝して歩みたいと思います。