京町家の心構え

昨日、1700年創業で12代薬業を商ってきた京都府下京区の伝統的商家の京町家泰家を見学するご縁をいただきました。ここ泰家は幕末の大火で焼失後明治2年に建てられた京町家です。

建物は築140年ほどになりますが、代々家に続いている暮らしや文化、その生活の本質は今もなお継続されその佇まいから家の息づかいを感じました。現在、郷里の町家再生に手掛けていますが家が喜ぶ使い方とは何か、家主としてどうあるべきかなど、子ども達のためにどのようなことを遺せばいいか、その他、秦様より体験からの示唆深い気づきを教えていただきました。御縁に深く感謝しております。

昔から日本には「場」や「間」、「和」という考え方があります。例えば「場」というのものには場力というものがあります。現在ではパワースポットとか言われ、ブームになって旅行するときの目玉になったりしていますが本来は「場」は日本人にとってなくてはならない大切な感性の一つでした。

自然界の中でも、土地にはその土地に場のチカラがあります。その土地のチカラを観えるようにして神社が建っています。また人が集まるところにも場ができます。この時の場は、人物によって場が醸成されます。松下村塾の吉田松陰なども同じく場を創造したとも言えます。

昔から私たちは暮らしの息遣いを通してその場を発酵させてきたとも言えます。私が郷里で行う高菜漬けについても、その自然農の田畑をはじめ漬物の発酵場、一年のめぐりなどを通してそこには確かに暮らしが誕生し「場」が創造されるのです。

この「場」のチカラというのは、自然のチカラの一つであり人間が本能的に持っている大切な能力の一つでもあります。今の時代はこの「場」というものをあまり活用せず知識や頭でっかちになり場を壊していることにも気づかないように思います。

例えば、無機質の狭い会議室の中で蛍光灯が明々としている中で語り合うのと、神社仏閣のような美しい境内で穏かな風や光、鳥の声や水の音、植物たちや木々に囲まれる中で語り合うのとではその「場」のチカラによって語り合いはまったく異なるものになります。

私たちは心を原点回帰するとき、もしくは平常心というものを取り戻す時、「場」によって活かされて心を研ぎ澄まして洗い清めていくのです。家というものは、家主がいてその家主の生き方や暮らし方、その日々の心の様相が永い年月で醸成され息遣いの中に残存して「場」が生まれるのです。

京町家といっても、今では外国人たちの間で町家泊がブームになり不動産をはじめ外国人の資産家がリフォームをして貸し出したり、ちょっと古く質の高い町家があれば飛ぶように売り買いされているとも言います。暮らしの息遣いの方には一切目もくれず、日本風の建物に泊まって雰囲気を味わってもらうことで旅行の目玉にしています。

観光の本来の意味はそのものの持つ徳性を発見しその徳性によって己を磨くことを言います。家には主がいますから、その主とその家人たちの暮らす「場」を実感し、その一家が持つ佇まいや息遣いを感じることが本来の家の学び方だと私は感じます。

私たちの会社も一家にして4年目になりますが、その家の人たちの生き方や日々の実践、家風とも言える家人の風格が次第に家を形成していくのを感じます。初代の当主が何を大切にして代々に初心や家訓を文化として継承してきたか、それをどれだけ永い年月をかけてその後受け継いだ人たちが大切に守り継承してきたか、その目には観えない永い時間のシステムの中に本当の真価が遺っているのです。そしてこの日本人の生き方こそが真の財産であり、国の宝です。

泰家のような国の宝に気づける国民性を育てることが、国を存続させることだと私は感じました。子ども達にとってこの古民家は、家が見守ることを伝承するものであり、家の中の暮らしが日本人としての原点を伝授してくれるものです。家は教師そのものなのです。家と教育は決して切り離すことはできないのです。

今回の訪問で子ども第一義における古民家再生の意義を改めて感じ直し身が引き締まる思いがしました。引き続き、何度も深めながら改めて家にある暮らしの息遣いから生き方を教えていただき、町家の原点、町人そして商人の心構えとは何かを学び直していきたいと思います。

本当にありがとうございました、今後ともよろしくお願いします。

  1. コメント

    秦家の外観をみると、やっぱり似ているそう感じました。見て感じるものには気付きますが、「目には観えない永い時間のシステムの中に本当の真価が遺っているのです。」というところに本来の価値があるのだと思いますが、まだまだその辺りはわかりません。ただ、伝承されていくのを見ると日々の積み重ねが今日に至っていることを感じるのと同時に、代々受け継がれていく責任も感じます。今できることを丁寧に取り組んでいきたいと思います。

  2. コメント

    同じ京町家でも、「旅館」と「住居」では趣が違っていて、「暮らす」ということの重みを感じました。「家の場」が発酵するには、長い年月、引き続いた「思い入れ」が必要である一方、家主が妥協すれば、「家」はすぐに変わってしまいます。日々の妥協しない「手入れ」の積み重ねがなければ、その磁場は保てません。しかし、その手入れができていれば、そこは大きな力が働き、人が育つ場になるという日本の家の凄さを改めて感じた次第です。

  3. コメント

    場によって活かされているという感覚は一円対話の実践を通して実感しているところです。大きく言えば全てにおいて自分の力でやっていることなど一つもなく、全ては周囲の働きによってチカラが引き出され、行えているだけなのかもしれません。町屋再生も観ているそのものよりも遙かに奥深いものがあることだけは感じられています。繋がりを感じながら生き方働き方暮らし方に活かしていきたいと思います。

  4. コメント

    治すことが前提にあり、手入れすることが前提にある暮らしと、壊れたら買う、壊れない事が前提の暮らしでは、育まれる人間も場も異なるのだと感じます。子どもたちにも、人間関係やリジリエンシーだけでなく、暮らしについても、残していきたいと強く感じています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です