私はいつも早起きをして内省しブログを書きますが、この時間は一日の中でとても大好きな時間です。早起きが好きなのは、この薄暗いところから次第に明るくなってくる様子に心が安らぎ心地よくなっていくからかもしれません。
今の時代は「暗闇」を嫌い、暗さを遠ざけているように思います。特に都市では一日中、夜もネオンなどで眩いばかりで暗さがありません。この暗さというものを遠ざけているから内省もまた遠ざかってしまうのでしょう。日々に追われ流され日々に忙しくなるのは「暗さ」の味わい深さに気づいていないからかもしれません。
今回はこの「暗さ」を少し深めてみようと思います。
この「暗」という字は、日が隠れているという組み合わせでできている字です。同様に「闇」もまた、門の向こう側に隠れているという組み合わせの字です。まだ明りが隠れていて出てきていないという意味になっています。暗闇は、これから日が出てくる前の状態ということです。
私達の生活には陰陽があります。陰の時間に内省をし、陽の時間に活動します。その陰陽のバランスを保つことで日々、心と精神と身体が一体になって心身統一された日々を正しく送ることが出来ます。
暗闇の持つ徳というのは、私たちが深く考えることができるということです。暗闇というものは、奥深さを顕し、日本文化では陰翳礼讃といって明かりの持つ妙味としてずっと大事にされてきました。
例えば、「無暗」という言葉がありますがあれは前後を考えない、理非を考えない、つまりは「考えがない」という意味になります。この反対に「暗がある」というのは、前後をよく考えている、理非を考えているということになります。
人は暗闇があるから考えるのであり、暗闇によってその奥に在るものを常に感じ取り明るみの陰にある本質を感じる感性を磨き上げることが出来るように思います。
かつて長野の善光寺に参拝したとき、「お戒壇巡り」という体験をしたことがあります。地下の戒壇に入った途端、漆黒の暗闇が訪れます。昼間明るいときに急に暗闇に入ると恐怖や不安が突然襲ってくるものです。しかし、目を閉じて暗闇を受け容れ歩きはじめると今度はゆっくりと心が落ち着いてきて様々な考えがまとまっていきます。
この明暗の体験で気づくのは、人は如何に目を基準に物事を判断しているのか、目で見たものを信じているのかということではないかと私は思います。目で見たもの以外信じなくなると人は文字通り「目先」にばかり目を向けて余裕のない日々を過ごします。
しかし目を閉じて暗闇に入るのなら人は「内省」によって目に見えないものを感じとることができるのです。この内省により感じ取ること、それによってその隠れた奥深い意味やつながり、御縁を結んでいくこと、その中に本質を見失わない人としての生き方があるように思います。
子ども達に暗闇を体験させること、そして「あかり」を感じさせることは、生き方を感じてもらうことです。囲炉裏も炭も家もすべてその体験を助けてくれる大切な道具です。暗闇の中の星空、それを家に呼び込むのは宇宙を体験させることと同じです。いつも先祖の偉大さを感じます。
引き続き、暗闇の価値を磨き内省の実践を高めていきたいと思います。
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何も見えない真暗闇は、空間を感じることができず怖いものです。しかし、少し目が慣れ、薄っすらと見える感じの暗闇は不思議な空間です。そこでは、自分の肉体を意識せず心だけが在るようです。この心が心であることで内省できるのかもしれません。目を瞑るのとは違うこの感覚をきちんと味わってみようと思います。
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夜ご飯を食べ終えたら部屋の電気を消しています。外からの電気で部屋は十分明るく、ずっと明るい中にいるより身体が楽になります。楽になりすぎでそのまま寝てしまうこともありますが…。心も身体も静か1日を振り返る時間はかけがえのないものだと感じています。自分自身との心の対話で気づく光明に向かい、実践を積んでいきたいと思います。
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子どもの頃に暗闇を感じるような体験があったかと思うと普通に過ごす中では無かったように思えます。そんな中ふと思い出したのが花火。特に最後に残る地味な線香花火のあの先端の玉になっている部分をみていると何故か心が落ち着いてしまうのは、性質は違えど暗闇の中の炭のような不思議な魅力がそこにあるからかもしれません。もっと明暗を感じられる環境を作っていきたいと思います。
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善光寺の体験、懐かしく思い出します。しかし同時に、今でも瑞々しい体験として心に残っています。目ではなく心で観る。そのことを体験する機会。自分の中にある恐怖心は受け入れる心よりも自分を守りたいと思う気持ちが勝っていたことを思い出します。
今も、一人で山の中に入るとえも知れぬ恐怖を感じる時がありますが、心を鎮めるということの大切さを感じる時でもあります。いつも頂いている機会を有難く受け取れる自分であれるよう、心を磨いていきたいと思います。