人類というものは今まで生きていく中で、何を大切に守ってきたかというものがあります。これは伝承されてきた文化であり、私たちのいのちが続いてきた根源でもあります。そして現代を生きる私たちにとっては戒めでもあります。日本の先祖たちが、己に克つことを大切にしたように社會を維持していくためにそれぞれが守るべき規範がありました。これを道徳とも言います。
今、世界ではこの人類が大事にしてきた自戒や回訓が失われてきているように思います。それぞれの国々が、自分さえよければいいと言う自利に走り、度を超えて我儘に自分の欲ばかりを満たしていたらこの先どのようになっていくのかは火を見るよりも明らかです。
今一度、教育に関わる人たちはこのことを考え直し社會をどのようにしていくかをすぐに改めて改善していくしかありません。これまで続いてこれたのは先祖たちが続いてこれるような生き方を貫いてこられたからであり、私たちは先祖の恩恵に感謝し、先祖と同じように先祖になっていくのですから真摯に向き合う必要があります。
自然界では、自分勝手に我儘が通用しないように常に調和が存在しています。御互いがほどほどに謙虚に生き、取り過ぎず度を超えずに暮らしていくことで種を保存していくことができているとも言えます。
人間界はそれに反して、自分たちの思い通りにしてきました。そのうち度を超えてしまえば、間違いなく自然の中で篩にかけられ不自然を淘汰する流れがやってきます。自然界の調和は宇宙の力であり、私たちちっぽけな人間などが敵う相手ではありません。
今は自然から離れてしまい、自然を意識しませんが私たちは自然の中で活かされている一つの生き物でしかないのです。
二宮尊徳は、「分度」という言い方をしました。分相応、自分の分を弁えそれ以上は譲ることを実践して仕合わせを創造していきました。これは人類が生き残る智慧の結晶です。
何が自然で不自然か学び直し、人類の生き残りをかけて教育改革を進めていきたいと思います。私たちは分度、推譲の実践によって世の中に一石を投じていきたいと思います。引き続き実践を考案し日々の実践を磨き改善していきたいと思います。
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「見守る」ことが世界から注目を浴びる、その意味を考えると今此処で行っている全てが世界共通で求められていることのように感じます。そして、「今一度、教育に関わる人たちはこのことを考え直し社會をどのようにしていくかをすぐに改めて改善していくしかありません。」のように教育に携わる者として、自分自身の言動を振り返ると、有り余るところがあるのではないか、感謝を忘れた先の未来思い見るようです。今頂いている機会を噛み締め、今一度気を引き締め精進していきたいと思います。
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「人類の生き残りをかけた教育改革」この言葉の意味がどれだけ深く感じられているかであり、日々それを忘れず、高めていくことだと感じます。短期的に見れば「何をそんなに?」と嘲笑われることもあるかもしれませんが、まさにその大丈夫が「大丈夫か?」と省みる必要があるように思います。「何のために」を突き詰めて、突き詰めていけば、必ずここ教育というものに辿り着きます。一人ひとりの意識が変わり、世の中が変わっていくための一助になれるよう、まずは自らの生き方から高めていきたいと思います。
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「分度」を超えてしまう背景には、「欲」の他に「不安と不信」もあるようです。それが「保身のための安全策」として現れるのです。何かあるといけないから、念のため余分に持っておくという発想です。これは、個々がバラバラに生きようとするから生じるのでしょう。昔のように「助け合える」仕組みがあれば、ムダに保身に走る必要はありません。「不安と不信」が広がれば広がるほどムダものが必要になります。懐かしい価値観を思い出す必要があるのではないでしょうか。
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今日の父親講座では、人類の成り立ちから今起きていることを観るという体験を頂きました。人類はチンパンジーとは違う戦略を持ちました。それは、チンパンジーのように母親が一人で子育てをすると5年に一度しか子どもを産むことが出来ない為、「助け合う」ことを前提に毎年産める体を持つようになり、また育児は皆で行い、お乳も皆があげていました。それが今は、ある意味で逆行しています。人間が持った本能と逆行する社会づくりは大きく母親や子どもたちにしわ寄せが行っています。そして大人たちの働き方も同じく逆行しています。働き方も育児も全て、今自分達が取り組もうとしている「一緒に」に繋がるからこそ、大切にしていきたいと思います。