歴史というものを深めていると、その土地や風土にはそれぞれに独自の発展があることに気づきます。それはその風土の中でそれぞれの文化が発達し発展していくことでその風土に適った文明が発生してくるからです。世界ではまだ未開拓の土地にはそこでの文化文明はそのままに遺っています。今は、グローバリゼーションで世界を画一化していく流れからあちこちの風土の文化文明を無視して同じ価値観に塗り替えられていますがこの辺を考え直す必要があるように思います。
そもそも日本のことを思えば、かつて聖徳太子の時代に神道と仏教、儒教などを合わせて「和」という精神において発展を遂げてきた文明を築きました。日本は他国から入ってくる文明に寛容であり、それを自分たちのものに変換し調和する生き方を尊びました。
近代になると明治維新の頃に、急速に西洋化を求められそれまでの文化や文明を否定し丸ごと西洋に入替えて対応するということをやりました。終戦後は、自分たちの文化に文明をとりいれるのではなく、文明そのものを丸ごとコピーして西洋の文明がもっとも価値があると信じ込まされてきました。自分たちの文化を否定して自分たちの風土の中で発展してきた文明を捨て去ったとも言えます。
もしも今もかつての日本の文明があったらどうなっていたか、もしくはあのブータンのようだったかもしれませんし、ドイツのような国になっていたかもしれません。今はほとんどアメリカ色になっていますが歴史がそのまま保持され、根がつながったままに発展したらどのような国に今なっているのかを思いを馳せると色々と観えてくるものがあります。
現在の古民家再生も、自然農も、その他の日本の文化を学び直すのもその途切れた歴史をつなぎ紡ぐ中で根治しようとする試みなのです。古い道具の中には日本人としての文化や文明の痕跡が残っています。それを一つ一つ、修理して直しながら味わってみるとどのように発展すればよいのか、何を発展していることと定義しているかが伝承できるのです。
ゴミ屑のように捨てられていく骨董品は、本来は日本の根とつながる大切な歴史の遺産です。
引き続き、根のある生き方を深めて子ども達に歴史を紡いでいきたいと思います。
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今をしっかり遣ることで子どもたちへ受け継いでいくものを遺していけると思うと、ここからまた動き出しているのだと思います。自然農や古民家など頂いている機会を考えた時、その重責を年を重ねるごとに感じ、子どもという存在がどんどん大きくなっています。漠然と子どものためにと思っていた頃から、今実践している一つひとつが明日の未来につながる大切なことなのだと感じています。空白の時間も必要だったと未来で言っていられるよう、しっかり実践していきたいと思います。
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日本は非常に寛容な国であり、これまでも異文化を受け入れる柔軟性と、それを日本文化の高みにまで磨き上げる独特の創造性を持っていました。この寛容性、柔軟性、そして創造性も日本の文化の大きな特徴です。この寛容性は、真の伝統的な豊かさから来ています。「大和」の精神に基づいて、いま一度、この日本のほんとうの豊かさを取り戻せるよう願っています。
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ヤマウトの魂は今も日本人の心の中に眠り続け、その民族性は危機に瀕した際に顕れるのではないかと思います。しかし、自分自身も含め茹でガエルのようなこの世の状況では、もはやどこまで痺れてしまっているかも既に分からなくなっています。誰かに任せられようはずもなく個々が自ら主体を発揮して立ち上がることが必要だと気づいたならば、いつから火が焚きつけられているのかを自ら追求し、その作為的なぬるま湯に甘んじない自立自尊の精神に、まずは自らが挑んでいこうと思います。
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根を忘れては様々なものを受け入れても変換が出来ません。急激な変化が国に訪れる中で理念を忘れた判断をしてしまう事があるのだと感じます。カグヤも変化の速い会社ですが、もしこの理念を忘れた判断をすることがあったらと考えると改めて理念の大切さを実感します。また理念は掲げるものではなく磨くもの。生き方、働き方に理念があるからこそ、根が張るのだから、やはり今日一日目の前の出来事ひとつひとつを大切にしていきたいと思います。