弱さの本質

人は他人に迷惑をかけてはならないと教育を受けて何でも自分で一人でできる人になるようにと教えられてきているものです。しかし実際に齢を経て実感するのは一人できるものなど存在しないと実感するものです。

今の自分が存在するというのは、ご先祖様のお蔭であり両親が産んでくれたからあります。そして自分一人が育つために膨大な数の方々の見守りが入っています。自分のことばかりを考えて人は生きていますが、その周囲の御蔭さまに目を向けてみると有り難い感謝の中にあって自分が育ってきたのが分かるのです。

「助けてもらわなければ生きていけない存在」、和たちたちは赤ちゃんの頃からそうやって周りに感謝し謙虚にお蔭様の存在と共に生きていくように遺伝子にインプットされてきました。しかしそれをその後の教育によって自分一人の力で生きていくようにと教え込めば、勘違いをしてお金があれば生きていけるや、能力が高ければ生きていける、体力さえあれば生きていけるなどということを思う人もいます。

しかし実際には自然の中にある空気をはじめ太陽や水、そして私たちの食べ物から衣服住まい、すべてのものは他の誰かの存在によって与えてもらい助けていただいているのです。だから迷惑をかけているのは御互い様なのです。そのことから御互いに感謝の心を籠めて「ありがとう」と言います。

世の中では何かをしてもらって「すみません」という言葉もありますが、それを迷惑ばかりかけてすみませんという意味ですがこれを謝罪で使う人もいます。しかし本来のすみませんは、「ここまでこんな私にしてくださって心がざわついて澄みません」という感謝の意味で使われるのです。

常に御互いに助け合い支え合い迷惑をかけあっているからこそその有難さを感じて人は「繋がる」ことができるように思います。一人で生きていく中で自ら繋がりを切っていく人と、皆で生きていくために繋がりを強くしていく人がいます。

先日からの弱さを絆にの「弱さ」の本質は、謙虚であること感謝していること、分を弁えていること、つまりは助けていただいていることを自ら認め周りに感謝していることでその絆を力にしていくのでしょう。

一人で無理をして頑張ってできるようになることが自立ではなく、御互いに支え合って助け合って共に貢献しあう仲間ができることが本当の自立です。歪んだ教育によって、人類の大切な教えを間違えてしまうようなことをしないようにいたいと思います。

助け合うことで強くなっていく絆を大切にし、見守り合う仲間を子ども達に譲っていけるように刷り込みを実践で乗り越えて善きものへと転じていきたいと思います。

 

  1. コメント

    他の人との「コミュニケーションの取り方」には、その人の「性格」や「生き方」が現れています。それは同時に、その人の「保身の手段」にもなっています。しかし、「保身」を優先すると、見守り合っている「繋がりの仕組み」が見えません。「一人ではない」ということがどれだけ理解できるか?!「お互いさま」という世界観がどれだけ受け入れられるか?!ご縁という「繋がり」に「安心感」を見出すことができるかどうか?!そこにかかっているのではないでしょうか。

  2. コメント

    「弱さを絆に」ということを学び、前よりも一体感や安心感を感じています。それは同じ場を皆で体感し感覚を共有しているからかもしれません。これは刷り込みに皆で気づき乗り越えようとしていることだと思うとやはり大きな一歩です。強さも弱さも含め全部自分、それはお互い様で全部含めてその人なのだと丸ごとで寄り添う自分でありたいと思います。

  3. コメント

    「転職」ではなく「転生」、カグヤさんからいただいたそのお言葉は今も心の中に残っています。三十数年の生き方は、しつこくこびり付いて中々取れるものではありませんが、それを取ろうとするのもまた傲慢なのかもしれません。これもまた温故知新、今はただ、全てを受け入れ全てに感謝し、少しでも素直な自分になっていけるよう実践を積み重ねて精進していきたいと思います。

  4. コメント

    昨日、園の先生が、私は1人で生きていけないから、いつもみんなを巻き込んでしまうタイプなんです。と仰る姿を見て周りの先生が幸せそうな顔をしていたのが印象的でした。
    自立の定義が違うことを感じます。出来ないからこそ、お願いし、一緒に進めること。謙虚な心を忘れずに歩みたいと思います。

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