水の循環

地球は水の惑星と呼ばれています。かつては「水球」と呼んだ人もいます。この地球は常に水で満たされており、水が循環することで全ての生命が生活することができています。どんなに乾燥した場所であれ、必ず水分があります。

私たち人間も体重の半分以上が水分で出来ています。身体の中の水分の働きによって私たちはあらゆる生活が助けられています。食べ物の消化から、毒素輩出、発汗による温度の維持、血液等々、水分がなければ生きてはいけません。

私達は直接的に水分を飲むことで摂取していますが、空気中の水分を呼吸を通して摂取もしています。つまりは四六時中私たちは水分を摂取しているのですから、言い換えるのなら海のイルカや魚たちとなんら変わりはありません。

私達の水はどうなっているか。

水は透き通った透明な水が有機物を介して濁り、また澄まされて透明な水に帰る過程を通っています。言い換えればそこにはその有機物を食料とする微生物の発酵と腐敗により水は澄み渡っていくということです。この発酵も腐敗も水が純化していくプロセスのことを言うだけで結局は、循環の中で生きている生き物たちがどのような純化(生き方)を選ぶかでそのプロセスが変化していき水から水へと浄化を続けていくということです。

ある生き物は、発酵というプロセスを歩みます。それは人体に有用な微生物を活動させそのことで水を綺麗にしていきます。そしてある生き物は、腐敗というプロセスを歩みヘドロのような水を綺麗にしていきます。そう考えてみると、私たちの存在はミニマムにおいては細胞や微生物そのものでありその微生物が行っているのは水の浄化に他なりません。自分の身体を通して水があらゆる変化を行い循環を続けていくということが、地球のシステムです。

そして水はあらゆるものを「透過」します。

この「透過」こそが水の徳であり、水は流れて已むことがないから循環を続けます。その水の循環の中にあってどんな生き方(浄化)をするかはその人の巡りと役割次第です。引き続き、水から学び直してみたいと思います。

  1. コメント

    「水」はその変化と循環によって、地球上のすべてのいのちを支え、潤し、発育させてくれています。また、ときに癒しとなり、ときに天警となり、ときに浄化をしてくれます。自然としてのその存在、循環としてのその働き、何ものにもとらわれないその姿、そして、環境としてのその徳に、改めて感謝し学びたいと思います。

  2. コメント

    「ああ、川の流れのように…」の歌詞のように流れが已むことがない姿を想像します。ただ時に厳しい流れを見せることを思うと、それは人の感情にも見て取れます。誰かの気持ちに寄り添って自分自身変わっていくことは、自分をなくすことではないのだと感じます。今の流れを絶やさず実践を積んでいきたいと思います。

  3. コメント

    仲間が以前写真に撮ってくれていた、ある保育園さんの蛇口のところにあった「お水さん、ありがとう」の言葉。これもただ節水を促そうとするようなものではなく、もっと深くて大きな思いやりがそこにあったのだろうと思います。目の前のものから、見えないものへ、何のおかげかを忘れずに観ることが出来る、そんな心になっていける環境や習慣を大切にしていきたいと思います。

  4. コメント

    台風が沢山訪れる日本は、台風のお陰で大気や森、海が浄化され、澄んだ国になると先日、アイヌの方々の発言から学びました。自分の動きも、循環を止めていないか、淀みを呼んでいないか、振り返るとその怖さがあります。流れを感じられる自分でいるか。自分で流れを作り出そうとしていないか。気を付けて行きたいと思います。

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