最近は日本文化について触れる機会が増えてきました。そのことからそもそも日本文化とは何か、文化というものはどういうものかということを考えています。すると文化とはその民族の原点であり、その民族の生き方であることに気づきます。この文化というものを少し深めてみようと思います。
まず広辞苑を調べると「①文徳で民を教化すること。②世の中が開けて生活が便利になること。文明開化。③人間が自然に手を加えて形成してきた物心両面の成果。衣食住をはじめ技術・学問・芸術・道徳・宗教・政治など生活形成の様式と内容とを含む。文明とほぼ同義に用いられることが多いが、西洋では人間の精神的生活にかかわるものを文化と呼び、文明と区別する。」とあります。
また一説によれば、現代では当たり前に使われている文化という言葉は明治の文豪の坪内逍遥によって造られた言葉であるとも言われます。また英語の「culture」は「耕す」ことを意味するラテン語の「colere」に由来しているとし土地を耕すことから心を耕すことの意味で用いられるようになったと言います。そこから文化という言葉になっていったと言います。agriculture(農業)は畑を耕すという意味で用いられます。
いろいろな言い方をされますが英語のいう耕すという言葉がとてもしっくりくるのは、そこに文化というものを客観的に顕している意味が入っているからです。この耕すというのは、土を掘り起こしていく作業のことです。それは「深堀りしてその土を積みあげていく」作業のことです。また言い換えるのなら、人が土に近づき土に馴染み土に親しみ、土と一体になっていくことです。
これを人間に置き換えてみると、自分自身を深堀りしてその気づきを積み重ねていく行為に似ています。単なる知識を蓄えるのではなく、文字通り耕していると好奇心も面白さも愉しさも増えていきます。耕すという行為は、未来を創造して労苦を惜しまずに掘り起こして畝をつくっていく行為であり、その後そこに種を蒔けば実のある作物を育てて食べることができる喜びがあるのです。
このように育てる喜びにつながる土づくりこそ文化そのものの意味です。自然の風土の中に新しく入っていき開拓をして自分たちが順応し暮らしていけるような場所にしていくことでもあります。
文化という言葉ができるずっと前から文化は存在しているということです。そして日本文化は、先祖が川で禊をし草を払い穀物の種を蒔いたところからはじまっている神話もあります。
つまり文化とは原点であり、原点が文化であるのははじまりを知っているからです。初心というものが伝承される必要があるのは、その民族の生き方や暮らしが今に受け継がれているからです。結局は、私たちはある風土の上にあってずっと今でもその足元を耕しているだけであり、如何にその風土を活かしその風土の中で風土人として暮らしを創造しているかという存在であることを超えないのです。
だからこそその風土にあって、風土にないものは耕しているわけではないのだから文化ではないのです。この日本の風土でどのように暮らしてきたかは、私たちの先祖、今であればその暮らしを遺す天皇陛下や伊勢神宮などでもまだまだ残存しています。
自分たちの風土を自分たちが如何に掘り下げて積み重ねていくかはその風土の中に暮らしてきた先祖の意志と子孫の使命を感じます。引き続き文化を学び直し原点を子ども達に譲っていきたいと思います。
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「人が土をつくり、土が作物をつくる」これが、『農業の原則』だと言われます。しかし、いまは、「土をつくる」手間を省き、「人がものをつくる」時代になってこの原則が崩壊しつつあると鍵山秀三郎さんは指摘しています。また、松下幸之助さんは「松下電器は人をつくっています。電気製品もつくっていますが、その前にまず人をつくっているのです」と答えなさいと言っていました。これも、多くの会社は、「人をつくる」手間を省き、「会社がものをつくる」ようになっています。焦らず、原点である「耕すこと」を忘れないようにしたいと思います。
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日本文化に触れることが嬉しくて楽しいそんな感覚があります。4、5歳の子が聴福庵を懐かしいと言うのも共感するものがあります。文化に触れるたびに自分自身が耕され気づきがあり、芽が伸びてきているのかなと思います。様々なものに触れる中で原点を探したいと思います。
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先日の川口由一さんのお話からも、原点というものを少し感じさせていただきました。日本文化に触れると、必ずと言っていいほど季節や気候などが紐づいていることを感じますが、これもまた「代わりに働いてくれるもの」の一つなのかもしれません。そのお陰様を忘れれば俺様が強くなるのだと戒めていきたいと思います。
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味噌づくりや梅干しづくりを通して、最近感じることは、作っていると生きる力が湧いてくるというか、生きている心地がするというところです。安心感に似た感覚ですが、自分達が食べていくものを今年も仕込んでいく事が出来た安心感なのか、よく分かりませんが、なんだか少し自立に近づいたようなそんな感覚です。季節と共に生きている心地良さも感じます。自然に活かされていると感じるのもまた原点のように感じます。これからも大切に、実践していきたいと思います。