心音のチカラ

昨日は妙見高菜の種まきのために畝を整え表土を削り草をかけたりと一日中畑作業をしました。バッタやコオロギなど秋の音楽が畑中に広がり、ススキやその他の夏草たちが命を全うする景色に季節の移り変わりを感じます。

地球にはリズムがあります。私たちは様々な音楽の中で暮らしを営み、全身全霊で地球で聴こえてくる音楽に耳を澄ませて心を委ねていきます。

夜になれば夜の音楽、朝になれば朝の音楽があります。

また風が吹けば風にのって響いてくる音楽が聴こえます。

土に手を当てて、土の中の音楽を聴けばそこにも地球の息吹きを感じます。

私達の呼吸一つ、私たちの暮らしの中には耳には聞こえなくても聴こえてくる脈動のような心音があります。この心音は心を澄ませたとき、響き渡ってくるものです。

頭で計算したり、人工的に計画したりをやめてただ地球の音に耳を傾けてみる。
そしてその存在が和合してつながりを持ち合っている波長にあわせてみる。

宇宙にはいつもぐるぐると回転している闇の音楽が鳴り響いています。

闇のチカラとは決して悪いものではありません。闇は私たちが自然から離れ忘れてしまった太古から流れる脈動です。

その脈動に耳を澄ませて心が音を感じることができるなら大きなやすらぎと平和が訪れます。

瞑想というものの本質はこの闇の音楽に耳を傾けることです。

引き続き自然をよく観察し、自然と和合し、自然を学び直して自らを変化させていきたいと思います。

  1. コメント

    先日、クルーとコオロギが鳴いているのを聞き夏から秋へ季節が移っているのを感じました。自然のオーケストラはいつも奏でているのかもしれませんが、聞き逃しているのはいつも自分なのかもしれません。それは日頃でも同じことだと思いますが、自分の都合のいいようにではなく丸ごと、そしてゆっくり耳を澄ますその心のゆとりを大事にしていきたいと思います。

  2. コメント

    私たちの人生の基になっているのは「鼓動」です。最初の安心感は、母親の「鼓動」だったかもしれません。その後は、拍手や手拍子、祭りの太鼓のリズムなど、いろいろなものに励まされてきたように思います。いまも波の音を聴くと、どこか永遠性を感じます。目を瞑ると「音の世界」に入りますが、あらゆるものは、自分の呼吸とつながっているのでしょう。一体となるには、この呼吸が合わないといけません。ひとり乱れないよう、よく整えていきたいと思います。

  3. コメント

    今年の夏、実家で過ごした際の夜中の虫の音に包まれた感覚が今も心に残っています。それは虫の音が心地よかったのではなく、虫たちが合わせた波長に自分自身の波長も合っていったからなのかもしれません。都会では音ばかりが聞こえ、そのような感覚はなかなか感じられません。今日からの福岡でも心を澄ませて自然のリズムを感じてみたいと思います。

  4. コメント

    イベントごとのように自然の中に入って自然に耳を傾ける事よりも、生活の一部として自然と暮らしている人が自然に耳を傾けるのとではまったく異なるのだと感じます。今回のキャンプもイベントごとですが自然から学ぶそもそもの姿が異なっていることを感じます。やっぱり何事も普段の生き方、生き様であることを実感しています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です