聴福庵の手入れを仲間とする合間に飯塚市の日本劇場建築、嘉穂劇場を見学するご縁がありました。ここは全国でも数少ない現存する芝居小屋で前身の中座の時を含めると役100年以上の歴史を持つ建物です。両花道とマス席を持った木造二階建ての歌舞伎劇場として今でも全国座長大会が開かれています。
この建物は最初の火災から、次は台風、そして水害と数々の倒壊や倒壊の危機に見舞われながらもそこから不死鳥のように復興し、今でも歴史的建造物としてこの地で愛され続けています。
この嘉穂劇場のデザインや風格、その雰囲気が聴福庵の造りととてもよく似ているため、時期や意匠をみていたらひょっとしたら同じ大工が手掛けたものではないかとも感じています。
今から110年前、100年前にどのような思いで大工が手掛けてきたのか、その願いや思いを建物から感じます。
そもそも建物というものは、単なる建った物ではありません。建物にご縁があり、その建物をみんなが愛することで建物は生き物として生き続けていきます。愛するというのは、大切にしていくということです。
今では古いからと粗末にしたり、手入れが大変だからとすぐに捨てたりします。愛するとうことや、愛着を持つということから遠ざかれば相思相愛にはなりません。この相思相愛というのは、お互いに大切にしあう心から発生してくるものです。
造り手の思いに対して、使い手の思い、そういう思いが受け継がれ譲り語られて遺されていくのが文化財です。財産というものは、単に金銀財宝のことをいうのではありません。その大切に愛された思いこそが、時代へ受け継がれていく貴重な財産そのものなのです。
聴福庵を復古創新するのは、この愛する思いを子どもたちに譲り遺すためでもあります。110年の愛されて続けた建物を、さらに愛してその愛が子孫たちへの愛の伝承になればと願います。
今日からいよいよ傾いた柱を再生します。
家が願うように、家の声を聴いて一家の主人として一つ一つのご縁を大事にしていきたいと思います。
「嘉穂劇場援歌」
筑豊の空に唯ひとつ
何も言わずにドッシリと
右にボタ山眺めつつ
遠賀の川を忍び見て
心の光弾きせながら
歴史を語る
ああ ああ 嘉穂劇場
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嘉穂劇場と同じ大工だったのではと思いを馳せるだけでそこにロマンを感じます。当時の劇場の前で大工が腕組みしている写真はカッコ良く、今も当時のままの姿を留める聴福庵から時代の重みと歴史を感じます。これまで家主を替えながら当代に渡り、家人として家の手入れをさせて頂くとこれまで溜まっていた埃と引き換えに磨くことで本来の姿や建てた人の想いを少し感じたように思いました。
以前アニメ『ワンピース』でメリー号の最後の場面でルフィたちとの冒険や感謝を伝え合うシーンを思い出しました。聴福庵は家であり仲間であり実践家なのだと改めて感じます。飯塚という街、聴福庵という場を大切にしていきたいと思います。
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建築家や大工さんは、その建てた建物の一つひとつがすべて作品です。他の作家の作品とは違って、常に人目にさらされており、厳しい気象条件や地震など、いろいろな試練によって試され、何代にもわたって在り続けています。「建った物」ではなく、念いによって生命を吹き込まれ、時代を超えて生き続けてきた建物に、私たちは愛され見守られ、生かされているのでしょう。
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聴福庵で行われた打ち合わせがとても印象的です。家の声、子どもたちの声を聴こうとし、何を残していくのかを話し合う事は直すことより大切なことだと感じます。聴福庵には、子どもたちでいう、リジリエンシーを体感できる場だと感じます。暮らしを立て直す力、モノを治す力、自分を磨く力。様々なリジリエンシーを聴福庵から学びたいと思います。
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昨日の風呂を通して、日頃いかに簡単便利で暮らしことにより観えなくなっているものが多いかを感じました。火吹竹で息を吹きかけるとキンキンと音を鳴らし赤々と応えてくれ、暮らしのあらゆる場面でそのチカラをお借りしていくと、ただ生活のための道具ではないことを実感します。繋がりや関わりからいのちを感じていきたいと思います。