暮らしの再生をするにおいて、何よりも大切なのは五感を使うことです。今の時代は暮らしが消失してきているといいますが、それは言い換えるのなら五感が消失してきているということです。
地球上のありとあらゆる生き物は五感を使って生活をしています。春夏秋冬や気温差、湿気、日差し、ありとあらゆるものを五感を研ぎ澄ませて実感しそれを活かして生活を営みます。かつての人間も同じく、頭で計算して生きていたのではなく五感をフル稼働して日々の生活を営みました。
今では、便利に機械や道具に囲まれ自分たちの五感を楽させては五感を使わないですむような生活にどっぷりとつかっています。頭で計算している世界というのは、五感を使わなくてすむ便利な世界です。そんな便利な世界の中では、五感は衰える一方で暮らしも衰退していきます。
五感が暮らしをつくるのは、少し体験すればだれでもわかります。例えば、私が実践する炭でいえば朝から鉄瓶に水を入れお湯を沸かします。その一つ一つが水の手触り、白い湯気、鉄が沸かす音、火の香り、茶葉の味わい、まだまだ並べるといくらでも書けそうなほどに五感を使っています。
他にも昨日は古民家で掃除をし柱を磨きましたが、磨けば磨くほどにそのものの味わいがにじみ出てきます。私たちは古いものを磨くことで刻とご縁を五感で直観しているのです。
古民家に住めばすぐにわかりますが、この古民家は常に五感を使います。五感を磨き続けています。それは別に五感を鍛えていたからこういう家を建てていたのではなく、暮らしが五感だったからなのです。五感を使わない暮らしなどは存在しなかったということです。
その五感を使うことが「豊かさの本質」であり、豊かになったというのは物が溢れたからそうなるのではなく、五感を活かした暮らしができているから豊かなのです。昔は今と違ってほとんど物がなく、今と比較すると貧しいと思われるでしょう。しかし実際は、物が溢れていなくても五感を使う生き方をすれば地球と混然一体になれ、その豊かさは何物にも代えがたい安心感と充実感を与えてくれるのです。
今の時代は大量生産大量消費のグローバリゼーションがとどまるところを知らず、このままでは必ず資源を食いつぶしてしまいます。もうほとんど手遅れかもしれません、しかしここでの転換は別の豊かさというものの発掘になるように思います。
人間が機械と同居するには、この五感を一緒に用いる仕組みにしなくてはなりませんし家屋においては五感を感じられる住まいを見直す必要があると私は思います。
子どもたちのためにも、大人たちが五感を使う豊かな暮らしのモデルを示していきたいと思います。聴福庵の復古創新から、かつての豊かな暮らしを味わい伝承していきたいと思います。
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日に日に五感が澄まされる暮らしがあるというのは、本来の姿を思い出しているようです。日ごろスイッチ一つで何でも済む中では、湯を沸かすこと一つにとっても丸っきり異なります。それぞれ持ち味をもったクルーだからこそ、改めて共に過ごす中で気づいたこと、発見したことを共有するとあっ!と思うことがいくつもあります。それは五感を使いさらに気づき合ってるからだと思うと、身体は疲れていても振り返りの時間が有意義な時間となっています。目的のためにそれぞれが動いていると感じる安心感、寝食を共にし笑いの絶えない今、この豊かさを体験できる場となるよう聴福庵を通して自分自身も磨いていきたいと思います。
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寒くないように、暑くないように、風が入らないように、音が漏れないように、また、できるだけ早くできるように、できるだけ簡単にできるようにと、少しでも自分の暮らしに都合が良く、楽になるような便利さを有難がってきましたが、その便利さと引き換えに多くのものを失ってきました。企業はどんどん「便利さ」を売りにしてきますが、消費者もそれを無条件で有難がっています。「便利さ」の有用性と「人間性」の堕落を見極める新しい価値観が必要なようです。
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神棚を生活の中に配置するだけでも五感を使うという感覚を体験しています。子どもたちはおもちゃにもぬいぐるみにも、紙切れに描いた絵でも、命の様に扱います。ものに宿る存在を感じられることが豊かさなのかもしれません。子どもたちの様な豊かさを感じていられる様に、暮らしを見つめたいと思います。
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古民家は訪れるのではなく暮らしてみて初めてわかると言われていましたが、実際にそれを体験してみると確かな感覚が体に感じられます。そんな中でもまだまだ日頃慣れた五感を使わず頭で判断しようとすることがあまりに多いことに驚きを感じます。五感を使うこともリハビリが必要であり少しずつ取り戻していくものなのかもしれません。この豊かさをの体験を自分のものとせず伝道していけるようになっていきたいと思います。