昨日は、聴福庵の床下に約500キロの備長炭を埋炭しました。まだ半分残っていますが、クルーのみんなと一緒にやる作業はとても豊かで、炭まみれになった様子にみんなで子どものように燥いでいました。
もともとこの炭は、発酵の知恵で学んだものです。漬物小屋に炭を埋炭するだけで漬物の発酵度合いが異なります。そこにば場の力が発生し、その場にあるものの発酵を促すのです。
また炭には、波動というものがあります。これは自然の持つ波長のことで遠赤外線をはじめ、例えば太陽の光、深い森の中、波打ち際にもそういう波長はたくさん流れています。こういうものを身近に感じることで、自分たちのカラダのリズムが整ってくるのです。
聴福庵は、すべてにおいて炭が中心になっています。炭には深い癒しの効果があり、また循環を司る仕組みがあります。炭を用いるだけで暮らしはすぐに復活します。電気を止めてみて、炭を中心に生活をするだけでいつも五感は鋭敏になります。
ここ筑豊の飯塚は、炭鉱の町と呼ばれています。炭鉱とは炭を採掘する場所です。江戸時代末期から良質な石炭がとれることで栄えた町です。備長炭と石炭は異なりますが、その炭の性質としては同じものです。
この原点を大切にしつつ、その炭の町をより好いものへと転じようと思う願いがあります。炭があったお陰で私たちはいろいろな風土の恩恵をいただいてきました。その御恩にお返しするために炭から離れず、炭を大切にし、炭と一体になって風土報徳の実践を積み上げていきたいと思います。
コメント
床下の作業が進むにつれてだんだんとそれぞれが声を掛けあい動き出し、カグヤ史に残るワンシーンだと感じています。それはまるで炭に火がゆっくり点きはじめたようでもありました。聴福庵からもう一度次代に向けて灯を燈していけるよう、町の歴史を学び実践を積んでいきたいと思います。
コメント
ものにはそれぞれ独自の波動があって、その波動によって「場」がつくられます。人にもそれぞれ波動がありますが、人の波動は乱れやすいものです。仕事や対人関係で、簡単に乱れてしまいます。その乱れた波動を、家に帰って整え癒やす。「家」とは本来そういう「場」だったのでしょう。それは、今も活用できる基本の健康法なのではないでしょうか。
コメント
この一週間、鉄瓶で湯を沸かすのも飯の支度をするのも、蚊取り線香の火をつけることさえ炭火を用いたように、炭と共に暮らすことで火とは何かと考えさせられる体験だったと感じます。ありがとうと言いながら設置していった床下の炭と水晶は、これからの聴福庵の場のチカラを高め、それが自分たちを含めた皆の倖せに繋がるものと信じられます。体感したものを持ち帰り、実践を積んでいきたいと思います。
コメント
炭まみれになることの楽しさを実感するとともに、発酵場を作れることの喜びを感じています。暮らしていた場の足元に炭を敷き詰めていることを感じられるのが嬉しいものです。出来上がった場自体も発酵しているように感じますが、作り上げるプロセスが既にその場と自分との発酵関係にあることも感じました。発酵場との関係性づくりは一緒にやることで紡がれていくからこそ、作り上げるプロセスを大切にしていきたいと思います。