昨日は、コンサルティングに入っているある高校のクラスの一円対話を見学する機会がありました。そのクラスは入学当初より、一人ひとりが初心を定めそれを振り返り共に一円対話を通して目的に向かって協力し助け合うという目標を掲げて実践の日々を過ごしています。
毎月実施される一円対話に参加して見学していると、生徒たち一人ひとりが自分の初心を振り返り内省し改善することをしつつも、クラス全員のために自分が何ができるかとそれぞれが考えとても仲が良いクラスになっています。
この仲が良いクラスというものは、単に相性のいい人だけが集まったクラスというわけではありません。一人一人がいつも全体のことを慮り、みんなと仲良くなろうと助け合い協力する風土や文化を作る一人になっているということです。
実際に昨日のアクティビティの様子を見ていたら、日ごろの声掛けがいかに好いのかを垣間見る機会になりました。みんなで息を合わせて声をかけ、協力しあう雰囲気をすぐに出してきます。助け合うことや協力すること、認め合いみんなで挑戦していこうとする気風が土台にちゃんと入っていました。
子どもたちからチームワークとは何か、協働とは何か、信じあうとは、助け合うとは、そういうものを学び直す一日になりました。
先生という職業はどうしても子どもを子どもだと思ってしまうものです。知識が多く教える仕事だからかどうしても自分が上になってしまいます。経験が多いことは確かに素晴らしいことですが、だからといって子どもに対して教える側ではありません。
最初は一円対話を通して子どもたちが変わっていくのを観ていましたが、今は子どもたちが変わっていく姿に私自身が学ぶことばかりです。このタイミングでこういう機会を得られたこと、本当にありがたく思います。初心や理念、今私たちが実践していることが確証された現場を子どもたちが証明してくれています。
私たちは姿勢として、教えてもらう側や教える側のどちらかになってしまってはならと私は思います。どんなことも自分の先生だとしたら、「先生」の定義が全く異なってしまいます。そうやって学ぶというのは、いつまでも学び続けるということ、いつまでも聴き続けること、いつまでも本質でい続けるということです。
本当の勉強は、お互いの気づきを気づきあい、そこからどれだけのことを学び直し自分をまた新たに刷新していく日々を送るということです。
それが日々の青春をし、日々の充実を与えてくれます。
子どもたちから真摯に学び、仲の良いクラス、仲が好い助け合い、仲が善い思いやりをその仲の楽しさをしっかりと見守り学び続けていきたいと思います。
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一つの世界にずっといると教えることが多くなるのかもしれませんが、これまで知らなかった世界、未知の分野に飛び込んでいくと教わるばかりです。いくつになってもそういう自分でありたいと思うのと、一円対話を行う子どもたちの変化を感じるとまた学ぶことが多くあります。いつも先生は目の前にいるのだと自分自身の受け取り方に気をつけ、学び合いを大切にしていきたいと思います。
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「教えない教育」ということを意識し始めてから、「教えてもらう」ということに慣れているためか、「自ら学ぶ力」が弱い人が多いと感じるようになりました。それは、言葉を換えると「求める力」が弱いのでしょう。今は、「何も求めなくても生きていける」と錯覚している人が多いのかもしれません。「求める心」さえあれば、「我以外皆我師」という「求めに応じた師が存在する」豊かな世界が見えてきます。その「求める心」を「自分が学ぶ姿」から学んで欲しいとつい願ってしまうのは、まだ「教えよう」としているからでしょうか?!
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園さんへ訪問して研修をさせていただく際も、ワークショップの様子を見て先生方の日頃の雰囲気が伝わってくることがありますが、それはそのままその場を創る自分自身にも返ってくることを感じます。先生とは自分の学びの姿勢・聴く姿勢によるものだと、いつも自分の姿勢の方を省みれる自分でありたいと思います。
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一円対話は話す場、伝える場ではなく、聴く場、学ぶ場であることの大切さを改めて感じました。そしてそれは一円対話に限らず普段も同じなのだと感じます。まだまだ自分自身はそれが出来ていませんが、一円対話を通じて立ち返り学ぶ場があることが希望となり、勇気になっています。