変化の源泉

宇宙や自然を含め、私たちが生きているということは循環を已まないというとです。円転循環・万物流転するこの流れは、日夜已むことなく行われ変化がないことはありません。変化というものは、何もない日々のように思われても必ず何らかの変化が起きています。

そしてその変化を見るとき、「摩擦」が生まれることを感じます。この摩擦とは何か、お互いが相互にこすり合わせることです。人間関係でいえばわかりやすく、お互いにかかわりあう中で摩擦しあうことでその関係に変化が生まれます。変化は摩擦であり、摩擦こそ変化の兆しであるともいえます。

その摩擦を嫌がり変化をいくら避けていても世界は〇であり万物流転し続けますから変化は必ず何らかの形になってやってきます。いつも自分を守り何もしなくていい安全圏にいたいと思っていてもじっとしていたら変化は已みませんからそのうち危険地帯にはいってしまっているものです。だからこそ変化は迫られる前に自ら変化するという自らの歩みを一歩一歩進め、そして挑戦を続けて革新していくしかありません。

つまり変化というものは、進化であり、人が摩擦をするとき、それは進歩になるとも言えます。

そして変化とは発達のことであり、発達するから発展するのが万物造化の真理でもあります。変化を恐れるのではなく、変化を如何に楽しむか、そこには「健全な危機感」が必要になります。

この健全な危機感とは何か、それはきっと善いことになると信じること、好循環していくことをイメージできること、人間万事塞翁が馬、禍転じて福になるということ、運がいいと信じることなど、その人の生き方が与えられた天命に対して素直に活かしていくような健康で安全な危機感を持てるかということです。

この健全な危機感とは、決して自分都合で自分勝手に物事を動かすことが人生がうまくいっていると勘違いすることではなく、与えていただいたこの場所、この今、この環境、このご縁、この役割、この時、このいのちを感謝して分をわきまえ有難く全身全霊で全ての今を引き受けるという捧げ全体の変化に協力する自分の人生の態度を持つということです。

人生の態度というものは言い換えるのなら「生き方」というものです。

その生き方が人生の循環の流れを決めています。どのように生きたいか、その問いこそが運命を左右するのです。自分で好循環を創る人と悪循環を創る人、それはその人の今の生き方が決めているのです。

そしてどのような生き方をするかで、その後の未来は変化していきます。変化とは決して忌み嫌うものではなく、変化することは発展しているのだから怖がるばかりでそれに逆らうのではなく、その変化を楽しみ、摩擦もまた味わうといった人生の妙味を感じることが変化進化進歩成長を自然体で取り組むということかもしれません。

健全な危機感、その信仰心ともいえる感謝を土台にする心は変化の源泉になっています。不健全な危機感はそこにはないものねだりと不平不満が土台です。本当の自信もまた、その生き方の態度によって自分に誇りが持てるかどうかに懸っています。だからこそ変えるのはその心の態度を健全にすることが先なのかもしれません。

引き続き、子どもの憧れる生き方と働き方を実践していきたいと思います。

  1. コメント

    摩擦が起きれば起きるほど感情が苛立ち嫌気がさします。ですが目指しているものを再確認し気持ちが落ち着くと、裏返したように感謝の気持ちが湧き、やった気になっていたのは自分かもしれない、そう思うとまだまだ可能性が広がります。「心情、意欲、態度」の態度を生き方と読み取るとこれは凄いことで新発見です。子どもにそれを求める前にまず、自分がその生き方を体現していけるよう精進していきたいと思います。

  2. コメント

    「変化」とは、今のバランスを一旦崩し「新しいバランス」をつくることでもあります。「変化」は進歩に繋がるということはわかっていても、一時的にバランスを崩すことは恐いことです。この「アンバランス」な状態をどこまで受け入れ、どこまで耐えられるかということが問題です。それに耐えられずに、「言い訳」をしてみたところで、やはり「言い訳は言い訳に過ぎない」ことを自覚しておきたいと思います。

  3. コメント

    HPFを七冊並べ、読み返しています。どの年も、カグヤという会社が変わり続けていることを実感し、こんなにかっ!!と驚きました(笑)理念があるから摩擦も事件も大切なことになりますが、理念が見えていなければ、摩擦も事件も極力なくしていくことを大切にするしかなかったことを覚えています。今もまた、発展途上。理念を軸にして摩擦の熱を情熱に変えていきたいと思います。

  4. コメント

    目指しているものと現実との歪みによって生まれた摩擦は自分の受け取り方次第で善くも悪くもなりえるように思います。身近をみていてもそこに感謝があらわれているかどうかでその生き方に雲泥の差が感じられることを思うと、何を変えていくか、相手の姿の中に見えるのは自分の姿であると、省みていきたいと思います。

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