現在、AI(人工知能)が発展して技術の進歩がより著しくなっています。このAIの進歩は人類にどのような影響を与えるのか、今はまだその議論がまったく追いついてきていません。しかし、進歩を止めることはなく、次々に新しい技術は開発されていきます。
似たようなものの中に、遺伝子工学というものがあります。遺伝子を操作することで様々な生き物たちの姿かたちを自由に変えていく新しい技術です。最近では天才を作り出す遺伝子(賢い遺伝子)の研究も進められ、超秀才という理想の人間を作り出すことができるようになるといいます。AIも遺伝子もどれも理想の人間、いわば能力を最高まで発揮する天才を生み出すためにあらゆる技術開発を進めています。
これらの技術は、まだそれが成ったあとのことはほとんど考えることができていません。言い換えれば、人類はその技術の進歩を受け入れる準備がまだほとんどできていません。つまりは進歩に対しての人間の成長や進化がまだまったく追いついてきていないのです。
これらの技術は現代社会の人間が使うにはあまりにも危険であるという意見が様々な社会学者から世界に発信され続けています。すでに核の技術などもそうですが人間が未熟な上に人類を滅ぼす技術を人間が持ちえる場合、その高度な文明と技術によって人類が滅びるという考え方になるということです。
現時点であっても、世界は核実験を繰り返し世界中のあちこちに核が拡散されミサイルはお互いの敵国へ向けて発射できるように配備されています。約1万発以上の核ミサイルの半分はいつでも発射できる状態で待機しています。
これらの核技術についてもその進歩に対して、私たち人間の倫理はどれだけ進化したかといえばほとんど変わっていません。日本でも戦後70年を経た今、あの頃の記憶もまた風化して再び核拡散と核武装をするという話が出てきています。原発という技術の恐ろしさを東北の震災で直視したのにも関わらずです。10万年以上処理できない、人類では片づけられない技術を進歩という成功モデルにしがみついてはいつまでも同じことを繰り返しています。ここに倫理は果たして育っているのかと感じるのです。
人類は成功モデルや進歩することばかりを追い求めることに躍起ですが、同時に如何に幸福や進化を社會に創り上げていくかという人類の真の成長を求める必要があるように思います。それはかつて孔子をはじめ、様々な人類の先覚者が中庸といって徳を深めて徳を弘めるといった道徳によって築いてきた社會です。
これから時代は特異点(シンギュラーポイント)を迎えるといっています。しかし明治以降、私たち日本人が江戸時代まで大切に謙虚に生きて幸福な社會を築き上げてきた進化を西洋の進歩に入れ替えて能力主義のみを優先してきました。その結果として今がありますが、この進歩が果たして人類の幸福を生んだかということについては現在の社会問題を観ていれば答えが出ています。今は幸福よりも成功が幸福であり、不成功が不幸という歪な社会が存在します。テレビでは連日無縁、孤立、格差が深まり、進歩の陰で人間社會は貧しくなっている報道ばかりです。物が増えて技術が上がって成功しても、幸福度は貧しくなったでは本末転倒です。
そう考えてみると、これからもっとも大切なのは進歩に対して進化するために必要なものは人間の人間力ということになってきます。これはAIや遺伝子工学では生み出せません。なぜなら道具の使い手は人間であり、人間次第で道具はどのようにでも変化するからです。そして本物の人類のリーダーと呼ばれる徳を磨いていく社會の導師たちが如何にこの進歩のことをそれぞれの場所で受け入れ、それを温故知新して正しく活かせるように人類を伝道し教育していくか。つまりは徳が循環し高まっていかなければどんな進歩も活かせるかということになってきます。
私は人類がこの特異点の時代において、どちらに転ぶかはこの「徳」こそがキーワードになると思います。そして新しいこれからのリーダー像は、本来の人類としてのいのちの幸福を求めて自然の一部としての初心を忘れずに、今の技術的進歩を進化と両輪でバランスよく調和できる人類の人格を高めていく人物を醸成することです。言い換えれば自然の摂理と人間の道理に精通した人物を育てることです。
人間は本来、みんな馬鹿じゃありませんからいろいろなことをこれから体験していきますが最後は必ず人間らしい本来の姿に回帰していくと私は信じています。古代人が持った精神にもしも近代の技術があったなら、もっと世界や宇宙は平和に豊かに暮らしていけるように私は思います。
引き続き子どもたちのためにも、自分がその温故知新のモデルが示せるように精進していきたいと思います。
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人類の特徴によく笑うことがあると以前聞いたことがあります。秀才ばかりの世の中になっても、くだらないことで笑い合うそんなシーンはあるのでしょうか。失敗したその時は悔しいですが、時間が経ったら笑い話に変わる、その積み重ねが理想に向かっていることのようにも感じます。AIが日々進歩していくように自分自身も実践を積みバージョンアップしていきたいと思います。
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「人は、よく切れるハサミを持つと、何かを切りたくなる」といいますが、「道具」が人を誤らせることがあります。したがって、そういうものを開発していいかどうかを判断できる倫理が必要です。また、たとえ開発されたとしても、それを使うかどうかを判断でき、コントロールできなければなりません。いま一度、「成功」と「幸福」を定義し直し、「人間としての成功とは何か、真の幸福とは何か」を明確にする必要があるのではないでしょうか。
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「時務学」と「人間学」、昔は本があっての末であるため、人間学の方が優先されてきたことは、仏陀などの教えが今も遺っていることからもわかります。今の時代の私たちが子ども達に受け継いでもらおうとしているのはどちらなのか。教育機関だけではなく、社会でも家庭でも何が大事にされているのかが問われているように思います。何を次の世代に繋いでいくのかを見誤らないようしたいと思います。
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我欲となのか、それとも世の中を良くしていく大欲なのか。大きなことを思っていても目先の事をしている時の自分が我欲にまみれていては仕方がないのだと感じます。目の前を見ていると、今よりももっと、高性能に、効率的にという風に自然と感じてしまいますが、もっと大局をみて生きていきたいと思います。それは暮らしにも表れるのだと感じます。簡単便利やより質の高い物や最新技術を暮らしに求めるよりも本当に世の中も地球も自分も豊かな暮らしとは何なのか。働き方と一緒に考えて実践していきたいと思います。