一人ひとりの持ち味を活かしていくチームというのは、それぞれの個性を認め合う組織であるとも言えます。それは言い換えるのなら、そのままでいい、あるがままの自分のままに周りに役に立っていくということを言います。そのためには、全体がお互いに自分のままでいいという考え方を持てる必要があります。
昨日、藤森代表の講演の中で平等についての話がありました。それはそれぞれの生き方を認めることであるといいました。今の世の中は、生き方まで文句をつけてはそれを無理やり直そうとしたり、みんなと同じことをできるようにさせようとします。また個性があるにも関わらず、個性を潰したり、個性をなくさせたりします。しかしそれでは平等でいられなくなってきます。
自分が相手に与える平等ではなく、受け手がどれだけ平等だと感じるか。そこにはお互いに生き方を認め合い、その生き方を保障してあげるような思いやりが必要になります。またチームにおいては、それぞれがお互いの特性を活かしあっていくからこそ同じことをさせようではなくお互いの持ち味を出し合っていこうということになるのです。
個々がバラバラであることがダメだとなるのは、その根底には同じ価値観を持たせることや同じでなければならない、できるできないで差別したり、自分が正しいと思い込んで他人を否定したりといった不平等が存在するのです。受け手の平等というのは、受け手が自分が認められている、自分が活かされていると感じられるように自分自身が全体に役に立てていると自信を持つからもてるように思います。
自分への自信とは、存在に対する自信です。周囲がその人の存在を丸ごと認めているからこそチームというものが実現します。そのためにも、皆で一緒に一つの目的に向かって取り組んでいたり、理念をみんなで実践して互いの価値観を認め合うような日々の取り組みがいるのです。
引き続き、自分たちの生き方と働き方をみてもらいつつ、子どもたちの保育に活かしていただけるように精進していきたいと思います。
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「ある条件を満たさないと愛さない、それができないと認めない」という人と付き合うのは、とてもしんどいことです。しかし、親や先生や上司という「権限を持った人」は、結構この手を使います。その結果、多くの人が「人の評価を気にする人間」になってしまうようです。「誰かに愛されるから価値がある」「誰かが認めるから価値がある」一度、この価値観を離れたいものです。
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学生の頃の部活で学年が一つ上がるごとに、意識が少しずつ広がっていったように記憶しています。自分のことよりも周囲のためにと。それは今も似たような感覚があり、組織として同じ方向を向いて取り組む強さを感じています。いろいろな組織形態がありますが、お互いを認め合い、子どもたちが憧れるような働き方をしていきたいと思います。
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秩父夜祭の体験の振り返りを皆で行う中でも感じられましたが、改めて自分たちは何の目的でここに集まり、何のために協力していくのかを都度握り合うというのは本当に大切なことのように思います。その上での皆が活かされるチームなのだと、大きなもののために今日も自分たちを使っていきたいと思います。
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人をどう見る癖が自分にあるのかを思うと、目を閉じ見ないで信じる自分と、見続けながら、信じようとする自分がいます。また、信じるのは無条件なのか、自分の価値観の正しさを証明したいからなのか、わからなくなる時もあります。頭ではダメだなと感じます。それでも、信じたいと願う自分がいることは嬉しく、それは変わって行きたいと言うことだと感じます。心を働かせて行きたいと思います。