人は過去の認識で今を持つものです。しかし今の認識が過去になっているのなら、自分の修正は過去に対しての今になるはずです。本来の今とは過去に対しての今ではなく、今に対しての過去でなければなりません。この認識がズレてしまうといつまでも変わらない時代遅れの人になってしまうこともあるのです。
過去の成功体験などもその一例で人間はその過去の成功体験に基づき、その成功体験から物事を考えてしまえば今の認識が歪んでいきます。時代が変わっているのにかかわらず、その時代の変わっている認識が昔のままでは自分の対処法も変わっていくからです。
例えば、今では情報化社会になっているのだから昔のようにアナログ電話などはほとんど使われていない時代になっています。それなのにアナログ電話の時のような機能や考え方で今の新しい時代のスマートフォンの機能を考えるのは過去の産物にしばられて自由に発想することができなくなるものです。
つまり過去の産物から考えるのではなく、今の時代の産物から物事を想定していくと今の認識が持てるようになるのです。教育であっても同じで、かつての一斉に画一的に教え込むといった情報処理能力ばかりを高めていた時代から今はアクティブラーニングといって情報創造能力を高める時代に入っているとします。そうであれば、過去の教育を基準に考えて今を修正するのではなく、今の変化済みの社会に合わせて今を修正していくといいのです。言い換えるのなら、今の社會と子どもたちがすでにアクティブラーニングになっているのだから変えるべきは過去の教育であるとして過去の分を修正していけばいいのです。
それは過去から今を修正するのではなく、今から過去を修正するという発想です。
こうやって今の自分を刷新できる人だけが、正しく今を集積してその今の上にある未来を豊かに創造していくことができます。今ここに集中するというのは、過去から考えない、今から過去と未来を修正するという発想が必要なのです。
時代は何度でもこのブラッシュアップを人々に求めてきますから、変化し続ける人であるためにもこの部分の認識をゆがめないようにしたいと思います。今を創り続ける今変化人になっていきたいと思います。
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気持ちの上ではまだまだ若いと思っていても、子どもたちがどんどん成長しているのを見るとこれまでにこだわりすぎてもいけないと感じています。変化が早く全てについてはいけませんが、その分本当は何なのかを考えていないと振り回されてしまうとも感じます。実践も目的があってのもの、やり方方法はその時々に適した形に変えていく柔軟さを大事にしたいと思います。
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「変化し続ける」というのは、どんどん「過去」を捨てていくことです。しかし、そういう過去があったから、今を生きることができるという面もあり、過去が拠り所になっていると、なかなか手放せません。そうして、どんどん「時代遅れ」になっていくのでしょう。昔のものさしで今を測っていないか?!気づいたものを、ひとつずつ手放す勇気を持っておきたいと思います。
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前提がどちらにあるのかがとても大切なように感じました。変化に対応しようとした時に「変化した分」に注目するか「今」に注目するかによって、その変わり方は同じのようで実は異なるのではないかと思えます。まだまだよくわかりませんが、感じられた感覚から動いてみて意識を合わせていくように掴んでいきたと思います。
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過去の積み重ねの延長線上では、いくら経っても、ゼロベースには立てないのだと痛感しています。過去の積み重ねは自分の地震にも安心にもつながりますが、それが自分の目指すものの為に届かないと分かれば、やはり捨てていく勇気を持ちたいと思います。積み重ねてきたものによる自信よりも、いくらでも目的のために変われるという自信をつけていきたいと思います。