昨日から自由の森学園の音楽祭に参加しています。いつもながら子どもたちが活き活きと青春をし輝いている様子に学校の楽しさを感じます。どの学校も子どもが子どもらしくいられるような認められ尊重されている風土が醸成されている場は美しく明るく楽しいものです。
今の時代は、人口知能やロボットの出現から、いよいよ人間らしさが問われる時代に入り教育もアクティブラーニングをはじめ価値観が入れ替わってきた時代に入ります。この自由の森学園が堅持してきた思想が今や世の中方が同じ価値観になってきています。だからこそ自由の森学園の初心や理念が改めて見直されるような気がしています。
まずその自由の森の理念の支柱になっているのが日本の数学者、遠山啓の思想です。その遠山啓はこのような言葉をインスパイアしています。
「この宇宙のなかでもっとも複雑で知りがたい人間をいともお粗末なテストの点数などで序列づけることなどできるはずはない」
まずは人間というものを理解するのに点数と序列などは不要であるといいます。数学においてこのような数字の使い方と数字による序列などという考え方の無意味さをもっとも見抜いていたといえます。特に序列についてはさらにこう続きます。
「日本中の子どもはこの幻想のピラミッドを一段でも高くのぼるように尻をたたかれる」
「教師が創造的になることを妨げる最大の障害物は、教師の中にある内なる序列主義である。」
「序列主義で骨がらみとなった教師は、いきづまると、いわゆる能力別指導に救いを求める。つまり、それは劣等生が優等生の邪魔をする、という考えになってくる」
「『差がある』ということと『序列づけが可能』とのあいだには天地ほどのちがいがある。」
「教師にとってなによりも必要なことは、点数というメガネで子どもを見ないようにすること」
序列とは優劣を決めて順序を決めることです、これは言い換えれば個の能力によって個の優劣を決めるということです。本来、チームや仲間などで一緒に生きていくのであればこの序列は必要がありません。個の能力ではなく、集団の中での個の持ち味になるからです。しかしこれまでの教育は、そうではなく個の集団における優劣に終始したことで、歪んだ個人主義が蔓延していったように思います。さらにこう言います。
「おとなにはあまり期待がかけられない。まちがった教育でだめにされてしまっているからだ。しかし子どもにはまだ希望がつなげる。そのためには、いまのまちがった教育を変えて行かなければならない」
これは思うところがあります。間違った教育とは、人間の序列と優劣です。これらの大人の刷り込みは競争比較社会の中でなかなか取り払われず、子どもの方が色濃く人類永続の智慧を持っている気がしています。理念の実践を通して、自分が変わっていくことで大人がそのモデルを示す必要を感じますが、子どものころからその智慧が守られれば将来に確かに大きな力を社會で発揮していくと思います。そして学校についてはこう言います。
「学校にいきたがらない子どもがひとりでもでたら、その学校にはもはや危険信号があるのだ、と考える必要がある」
「私は、現在の学校で、平凡なことで忘れられていることがあると思います。それは、『学校は楽しいところでなければならない』というだいじな原則が忘れられているのではないかということです。」
学校が楽しいのは、仲間と一緒に学びあう喜びに出会うからです。学問に師があり道ができ、友があればそれは最幸の人生です。人生において道を一緒に生きていくことができるようにするのが師の役割でもあります。
また自由の森学園の初代校長の遠藤豊さんは、この遠山啓さんの思想を受けてこういう言葉を遺しています。これは当時の先生ではなく、私たちの本業に対しても同感するものがあります。
「子どもといっしょに生きて、子どもといっしょに考えて、そして、自分自身を変えていく、ということが、まず、教育という仕事が成立する基本」
「子どもといっしょに考えたり、あるいは子どもが考えやすいようにしたりして、子どもたちが試行錯誤を経ながら自分自身の発見として一般化をなしとげるような授業をつくらないとだめ」
「それまでの自分の考え方やものの見方を打ちこわして、新しい世界を発見していくこと、そして、自分のなかに新しい考え方を生み出していくこと、そのことが学ぶということ」
私たちの実践も、そして一円対話をはじめ様々に取り組んでいる現場の改善もまた以上のことを実現するために行われているのです。そして最後にこの言葉で締めくくります。
「学校に教育がなくなってしまっていることをいちばんよく知っているのは子どもたちです」
子どもの声を聴いて、今何の改革が自分自身に求められているか、教育に関わる全ての人はもう一度そのことを見つめなおす必要があると私は思います。教育改革は、人類の甦生です。たしかな道が遺り続いている以上、布置を見出し自分はこう変わるというのを社業を通して示していきたいと思います。
コメント
誰かと比べるために数字が使われていることが多いように感じますが、遠藤氏の「点数というメガネで子どもを見ないように」ということに、数学が持つ本来の役割はきっともっと深いものがあるのだと感じます。その中で様々な教育改革を行ってきたように、私たちも実践を通して改革を行っているのだと再認識します。一つひとつ今頂いている体験から新しい考えを生み出し学んでいきたいと思います。
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「競争」には楽しさもあります。ゲームにもスポーツにも「勝ち負け」はつきもので、負けたのが悔しくて、もっとうまくなろうとするのも楽しみのうちであり、そういった「勝ったり負けたり」を通して人は成長していきます。しかし、それが「評価」のためのものになり、「人間の序列」になってしまうと話は一変してしまいます。その瞬間に「楽しさ」が奪われます。人を生かすものとそうでないものの微妙な見極めの基準が必要なのではないでしょうか。
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「子どもといっしょに生きて…」の部分を読んでいる時に、『子ども』の言葉は『自然』という言葉にも感じられました。自然を無視して周りを変えていこうとすることは、そのまま教育にも通じているようにも思えます。『風土』というものがいよいよ時代に求められて来ていることを思うと、今日のこの体験も一つも疎かには出来ないことを感じます。教育改革は生き方改革でもあると捉えていきたいと思います。
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家族や友人、クルー、みんなと接する中で自分自身が主体的になりづらかったり、対話が難しく感じたり、1人になりたかったり、聴くよりも伝えたがったり、そう感じるときほど、序列の意識が無いかを疑いたいと思います。比較ではなく異なりのまま受け取れるということ。大切に実践します。