「おもてなし」を学び直していると、改めて発見することがあります。私がおもてなしを考えるとき、千利休の弟子との問答が印象に残っています。日々に鉄瓶でお湯を沸かしてお茶をのんでいるからかその意味と価値が心に染み入ってきます。
その千利休に有名な言葉に利休七則があります。これは弟子が「茶の湯の極意を教えて欲しい」と願ったのに対し、その七則の内容が当たり前のことすぎたため「そんなことは誰でも知っていますよ」と言い返すと「この心に適う茶ができるのであれば、私は喜んであなたの弟子になりましょう」と返答したという逸話が残っています。その極意は下記のようなものです。
一、茶は服のよきように点て
二、炭は湯の沸くように置き
三、花は野にあるように
四、夏は涼しく冬は暖かに
五、刻限は早めに
六、降らずとも傘の用意
七、相客に心せよ
そもそも茶の湯の極意を質問しておいて誰でも知っていると返答することはどうかと思いますが、千利休が如何にそれを深め続けたかということにおもてなしの心を感じます。私たちが会社で行っている聴福人であっても、極意も同じようにこの思いやりの心を実践するだけですがそれがなかなかできないから苦労しているとも言えます。いつも心を使って心のままに素直に尊敬して感謝することが当たり前にやれるようになるまでには本気で場数を踏み丁寧に精進していくしかありません。
この茶の湯の極意は、一つ一つが心が澄み渡るときに行われる境地でもあります。2つ目の炭が湯の沸くように置きというのは、ちゃんと心を込めて炭を熾さなければそれは熾きません。炭は時間で弱くも強くもなり、どれくらいの時間、どれくらいの量でやるかでまたまったくそのお湯の沸き具合も変わってきます。柔らかく優しくお湯が沸くには何度も何度も炭と火と対話をして自然と調和していくしかありません。
仕事も同じで心もとない仕事というのは、心を用いないで頭でだけやろうとすることです。道というのは、深めることではじめて心が磨かれて育ってきます。心を磨かないでいるというのは学問ではなく、ただの知識を得ただけです。大切なのは常に深め続けていくことでそういう学問だけが心になり心を通じ合わせて人々の心を変えていくように思います。
千利休はこう言います。
「その道に入らんと思う心こそ 我身ながらの師匠なりけれ」
意訳ですがどんなことでも今此処を極めていこうとする志を盡していく心で自分で自発的に深めて実践し続けようとする心そのものが本当の師匠ですと。
引き続き、子どもたちに譲っていくためのおもてなしを深めていきたいと思います。
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目で見て感じるおもてなしには心踊ります。そして、目には見えない気遣いには心温まります。お茶のことはわかりませんが、七則の6は自分が思っているよりも深い意味があるのだと思いますが、それでも特に大事にしていたいことです。一つのことを意識して行うだけでも大変なことですが、もっと視野を広げ心を遣えるよう心が通じ合うような仕事を目指していきたいと思います。
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「おもてなし」というと、相手を「喜ばせよう」という欲が先に働いてしまいがちですが、「おもてなし」の本質、極意とは、そういった欲を一旦離れ、お迎えの過程のすべてにおいて、ただただ「心を尽くす」ということなのでしょう。「能力」と「実力」は違うといいますが、「心を尽くせる」だけの実力を、日々、磨き続けていきたいと思います。
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昨日の二木屋さんとのご縁ひとつをとっても、途轍もなく大きなものをいただいた、という感覚までしか今は感じられていませんが、ここから一つひとつ丁寧に深めていきたいという火のようなものは焚きつけていただいたように思います。一期一会、心の底からそう言えるためにも、いただいたものを少しでも自分のものにしてこれからの世の中の為に役立てていきたいと思います。
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心がけることでも精いっぱいながら、その心掛けがお茶を通じて伝わる段階まで持っていく事の意味を感じます。毎日の自分自身の実践も、形ではなく、心がこもっているか。聴いた感じよりも、自然に伝わる行動と結論、死に方を見つめていきたいと思います。