今年は4月から古民家甦生の御縁を通してたくさんの出会いがありました。失われていく日本の文化を守ろうとする方々、またその文化を復興させようとする方々、地域を活性化しようとする方々、懐かしい未来を遺そうとする方々、暮らしを豊かに味わって生きようとする方々、本当に多くの出会いがありました。
その一つ一つの御縁を通して、私の中でも大きな変化があった一年であったと思います。私自身は御蔭様で日本の先祖たちが行ってきた実践を後追いして学び直しができています。あらゆるところを磨き清め、洗い清めながら家を直していきますが、一緒に家人たちともその暮らしを通して美しい思い出もたくさんできました。
家を大切にするというのは、一緒にお互いに本来の心を大切に磨き合うことのように思います。私たちはその土地に住み、神徳恩恵をいただきいのちを活かしあって共生していく生き物の一つです。お互いの御蔭様に感謝してもしも自分があなただったらと思いやり、真心のままに生きてきたのが日本の精神です。その日本の精神を家があることで磨き合えるのです。そしてこの家の空間の中には、その大切な記憶が暮らしの中に残存していつまでも子孫を見守り続けていくのです。家はその記憶によって甦生し続け悦びます。
この家が悦ぶというのは、ここでの暮らしが美しく仲睦まじく仕合せであった記憶が積み重なっていくということです。これは人の一生と同じく、家が自分のカラダだとしたらそこでの暮らしは魂の悦びなのです。いつも清浄無垢にして素直に謙虚に感謝で生きていけば家もまた澄んでいきます。家に住むとは、家に澄むのです。こういう家をどのように築き上げて子孫へ譲っていくか、それが悠久の時を味わい生きていく妙味であろうと思います。
家の甦生は、日本人の甦生であり、人類の甦生です。
時代が大きく変わり、異常なことが正常だと語られる昨今。正常であったことはほとんどすべて異常に取って代わられ何が本質だったのかすら片鱗が遺っていないほどにこの世の中は元の姿が分からなくなってきています。
古い民の家を甦り活かすのは、愛する子どもたちがこの先もずっと自然と共存共栄し八百万の神々と仕合せに暮らしていくためです。引き続き、本来の姿を求めて復古創新していきたいと思います。
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聴福庵に伺う度に、「家が悦ぶというのはどういうことか」を少しずつ学んだような気がします。また、「日本の家屋は、日本人の精神を養う場である」ということも、よくわかりました。それに比べて、我が家はどうか?!年末の大掃除をしながら感じるのは、相変わらずの物の多さです。とりあえずと言いながら置きっぱなしの不要な物があちらこちらにあり、そういうところは掃除も行き届いていません。ほんとうの暮らしとは、もっと「道」に近いものでしょう。もう一度「暮らしの立直し」からやり直さないといけないかもしれません。
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毎年濃い1年ではありますが今年は特にそのことを感じました。行くたびに目に見える変化を感じ、季節を感じ、ともに過ごす中でいろいろな表情を見てきたように思います。家を通してたくさんの出会いもあり、笑いの絶えない家は一緒に暮らしているのだと感じます。この軌跡をしっかりと残していきたいと思います。
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今年の締めくくりに体験させて頂いた二木屋でのおもてなし。 座付作家が亭主、板前が演出家。役者は料理。そしておもてなしを彩る 器と室礼。その連携というものを初めて考え、感じる食事の体験となりました。食事を通しての「おもてなし」の実践は、形を変えて、お客様への「おもてなし」にもつながるのではと感じます。まずは一つ一つの体験をいっかりと深めて学んでいきたいと思います。
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家はあらゆるものの集合体で、それぞれのいのちが輝き生かされていて初めてそのものが悦ぶのではないかと思えます。畳ひとつにしても針を通し糸を縫ったという経験はものとの対話でもあり、作らずとも手入れしていくことがお互いの関係を深めていくことのようにも感じます。この一年、聴福庵から大きなものをいただきました。ありがとうございます。