プロセスの価値

元旦から自然農の高菜の畑で草取りと一緒に移植作業を行いました。毎年ご縁あった方々やお世話にになっている御恩人の方々にお送りしていますがこの一年の巡りの一つ一つのプロセスを伝えられているだろうかと思いながら作業をしました。

実際に漬物にしてお渡しするまでには、この高菜との一年のめぐりが凝縮されています。自然農ですから無肥料無農薬で耕さず草も虫も敵にしない農法ですからかかる手間暇は一般の農業とやり方が完全に異なります。それに漬物も古来からの方法で天日干し、自然塩、野生うこんを使い吉野杉樽で寝かしていますが漬け換えなども苦労します。数多くの苦労の上に、はじめて高菜を私たちがたべることができています。

今の時代は、プロセスは見せずに完成品だけが売買されています。形さえ本物に似ていればそのプロセスは見せようとしません。だからプロセスをどのように便利に誤魔化しても結果さえ似ていれはそこは誰も見向きもしないのです。お金で買って渡すものはプロセスがあまり語られることがありません。

しかしこのプロセスこそが本来は本物かどうかを決めるのです。

見た目だけ取り繕ったとしても、プロセスが異常であるのなら本来のものとは異なります。本来のものや本物とはプロセスがもっとも理に適っているということです。それは誤魔化したりサボったり見せかけたりせずに丹精を籠めて心を用いて丁寧に真心を盡していくということです。

こういう一つ一つができてこそはじめて自然農になっているとも言えます。いくら無肥料無農薬だから自然農というのではなく、自然と共に謙虚に一緒に共生していくプロセスがあるからこそ自然農とも言えると私は思うのです。

これは生き方も同じく、どのようなプロセスを持った生き方をしているか。言い換えればどのような生き様をしてきた人か、人は同じくそれを観て本物か偽物かを見極められるのです。

このプロセスを観るということが、そのものの真価を確認することになります。そしてそれは言わないとわからないものですし、見せないものだからこそ心で感じる必要があるのです。心を伝えるというのは、このプロセスを伝えるということです。そしてそのプロセスは必ず伝わっていきます。心は通じ合い伝わり合う性質があるからです。

まだまだ草取りは数日かかりそうですが、今年はこれらの経過も記録し高菜をお渡しする皆様にプロセスの価値を伝えていきたいと思います。

  1. コメント

    「結果主義」になると、早く結果を出そうと焦り、手順を無視し手間を省こうとしがちです。これは、辻褄を合わせるだけの小賢しい知恵になるだけでなく、人の生き方をも変えてしまいます。どんどん楽になるような仕組みを作っておいて、人には「楽をするな」というのは酷です。また、苦労したことのない人には、人の苦労はわかりません。「有難さ」がわかるには、それだけの生き方をする必要があります。そこを間違わないようにしたいと思います。

  2. コメント

    毎年恒例の箱根駅伝。駅伝そのものも観ていて好きなのですがそれ以上にそれぞれのランナーの持つ物語を知るとより一層TV中継を観ていて面白くなります。それは今の時代だからこそ尚更必要なのかもしれません。言わない美学ではなく、憶測で物事を見るでもなく、きちんと想いも事実も伝えていく。その上でどう受け取るかはその人次第だと思うと、聴福庵での体験も一つ一つを発信する役割があることを感じます。物語が受け継いでいかれるよう、今まず自分がそのプロセスを大事にしていきたいと思います。

  3. コメント

    昨年の一年を振り返っても色々な言葉は頭に浮かんできますが、それは「わかった気」のような気もして、まだ「プロセス」というものに対しての心からの実感は曖昧なままのように思えています。物事のプロセスを観て感じられる人でありたいと思うからこそ、自分自身がプロセスを大事に出来るこの一年にしていきたいと思います。

  4. コメント

    11月に移植したあの高菜を新年もまた、畑に出ている姿を想うと、尊敬の念が込み上げてきます。高菜の出来上がりや漬物ではなく、今この時点で感じているこの想いに価値があるのだというのを肌で感じます。自然農での高菜の成長や育成を通して生き様を育てていることを想うと、自分自身も今この場所で何を育てていくのかを忘れてモノや形ばかりを育てぬよう、生き様を磨いていきたいと思います。

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