昨年は伝統に触れる一年になりましたが、その中で伝統は革新を持って維持されていくことを実感しました。なぜ伝統が革新が必要なのか、それは単に真面目に受け継いでいても続くことがないからです。
この革新は遊び心から産まれます、それは好奇心で楽しんで面白がっていく中にこそ、その伝統を維持する本質があると私は思います。伝統とは本来楽しいものであり、その楽しいものを味わいながら常に新しくしていく中に本当の伝統は息づいているからです。
昨日も人類がこれまで生き延びたのは子育てが楽しかったからという話がメンターからありました。大変でも苦しくても楽しいというのは、その楽しさは単なる表面的なものではなく奥深く味わい深いものを感じているということです。
福岡県八女郡広川町地域に二百十年の伝統の歴史を持つ「久留米絣」というものがあります。この伝統は幼い少女の好奇心から生まれたといわれます。この久留米絣は1800年頃、井上伝という当時12歳だった少女が自分が着ていた藍色の着物に、色が抜けて白く斑点になっている部分を見つけて「これはどうなっているんだろう」と興味を抱くことにはじまったものです。
単に大人から見ればただの色あせた着物ですが、井上伝にはこの白い斑点が藍色一色で地味な着物を飾る楽しい模様に見えたといいます。そしてはた織が得意だった伝はそれを解いていく中でその糸と同じになるように何本もの白糸の束を他の糸で括って藍で染めてみました。この紺と白でまだらになった糸で織ってみたという逆転の発想が革新を産み、これが二百十年年続いた久留米絣誕生になりました。その井上伝の遊び心から生まれた藍地に白の模様が施された織物はその後は藩の財源になるほど普及していったといいます。
この井上伝の遊び心がなければ伝統は発生せず、その遊び心が伝統の本質を引き出していったと言えます。伝統は何を継承しているのか、そこにはその伝統を楽しむものたちによって受け継がれていくのです。
私は伝統から最も学んだことはこの遊び心です。その革新の心です。
今年はその学んだことを活かす一年ですから、より楽しく味わい伝統の醍醐味を味わい確かな日本の古来からの伝承を一つ一つ復古創新しつつ受け継いでいきたいと思います。
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12、3歳の少女が革新を狙っていたとは中々考えにくいですが、ただ論語にある「知好楽」ということが浮かびます。昨年始めたさをり織りから少し足が遠のいていますが、様々色、様々な糸を織り合わせ編み込み形になっていくのは不思議な感覚です。昨年体験させていただいた様々な体験も何らかの形として編み込み自分なりの表現をしていけるよう、一つ一つを楽しんでいきたいと思います。
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本質の楽しさがわかれば、どんなに難しいものでも、道を外さずに極めることができるでしょう。また、楽しむためには、その本質に迫る必要があります。そして、本質に迫るためには、相当の量をこなし、相当深く入り込む必要があります。ほんとうの「遊び心」には、この深さを楽しむ心があります。この深さでの純粋な格闘こそが、革新につながっているのではないでしょうか。
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「楽しい」や「楽しむ」というものも、言葉以上に大きな意味があるのだということを年々強く感じるようになってきています。今日は稽古始めでしたが、大きく観れば人の人たる道というものでさえ、それは決して堅苦しいものではなく味わい深く楽しいものだからこそ追い求められるのではないかと思います。楽しみながら創り出していく一年にしていきたいと思います。
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苦しさや困難を「楽しんでいる」姿からは心に響く生き様を感じます。それは、苦しいのではなく、困難ではなく感謝や喜びだと本当に感じている事実に感動するという事です。社内の仕事でも、やはり楽しんでいる姿に私自身や周りの心が感化され、空気が変わっていきます。そんな存在に自分自身もなっていきたいと思います。