士魂商才という言葉があります。これは簡単に言えば武士の 精神と商人の才能を兼備することと言われます。かつて明治維新後、または戦後には侍のような商人がたくさん排出されました。いや商人に限らず、侍のような人物たちが各分野でそれぞれに志を立てて命がけで取り組んでくださったから今の日本はあるとも言えます。
私たちはその民族の血の中に、その士魂という誇りを持っています。日本的な精神とは、仁義礼智信を重んじ自反慎独していのちを懸けて理想のために生きる道です。つまりは生き方を大事にしていくというところに武士道があります。
今では生き方というよりも損得や利害ばかりを優先して、自分を守るばかりで自分以上に大切なもののために命を懸けるということもなくなってきているように思います。世界から尊敬される日本的な美しい生き方は、目に見えないすべてのいのちに対して感謝のままに恩返しをしていこうという真心の生きざまです。
士魂商才と言えば、出光興産の創業者出光佐三にこういう言葉が遺っています。
「生活を質素にしたり、われわれが経費を節約するというようなことは金を尊重することで、奴隷になることではない。それからまた、合理的に社会・国家のために事業を経営してそして、合理的に利益をあげる。これは金を尊重することだ。しかしながら、昔の商人のように人に迷惑かけようが、社会に迷惑かけようが、金を儲けりゃいい。これは金の奴隷である。それを私はとらなかった。
しかし、私は金を尊重する。昔の侍が金を尊重することを知っておったならば私の先生が私に書いてくださった額にあるように士魂商才 侍の魂を持って商売人の才を発揮せよ。この士魂商才が武士によって発揮されて日本の産業は、明治時代に外国のいいところを採り入れて、りっぱな事業家がたくさん出たと思うのです。 」
商人には利の道というものがあります。言い換えるのならどのように稼ぐのかに志が必要です。世の中が道徳的な経済が豊かになるようにその事業の在り方に徹底した哲学と理想の実践が求められます。それが相まってこそ侍の精神のままに生き方を貫いた日本人らしい生きざまが出てくるようにも思うのです。
人としてどうあるべきかという問いは、古来より私たちが当たり前に持っていた自然的な思想です。その自然的思想は、呼吸をするように、ご飯を食べるように、寝ることのように当たり前に私たちはそれを日常の暮らしの中で大切にしてきた民族です。
真心という言葉は、頭で行うものではなく生き方で証明するものです。
子どもたちに遺して譲りたいものとして、この士魂商才は何が何でも死守したいと思います。引き続き、今年の方針を見つめながら理念の実践を厚くしていきたいと思います。
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石田梅岩は、利潤追求を「天理」として、商人の売利は「武士の俸禄」と同等のものと説き、商人の社会的役割の意義を積極的に肯定し、「正直」の徳を説きました。また、「道の実践」による万民平等と経済と道徳の関係を説きましたが、やはり、日本人としては、「士農工商」のいずれにおいても、どのような考え方で道を歩むか?!ということが最も重視されるべきでしょう。
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自分の利害よりも人としてどうなのかを考えることは、文字で言うほど簡単ではなく、一生涯の実践で、苦戦する時ばかりです。それでも苦戦の度に自分を見つめさせてくれ自分の活かし方を教えてくれます。今日もまた、人としてどう生きるのかを考え行動していきたいと思います。
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士規七則は明治時代に広く家庭にも掲げられていたと聞いたことがあります。戦の時代がおさまってもなお士魂商才と言われるのは、そもそも武士道が戦のためではなく人の生きる道をといているものだからなのだと感じます。大切なものを守るために何を変えて何を変えないか、あらためてこの言葉の意味を生き方を通して掴んでいきたいと思います。
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致知記事にも以前あがり、今は映画『海賊とよばれた男』が上映され一度観てみたいと思っていました。改めて、生き方が見直され惹かれるのは、どこかで引き継いでいるものがあるからなのだと感じます。当時に士魂商才は斬新的な考えだったのかもしれませんが、今の形で打ち出していく。目の前のことを受け止め実践を積んでいきたいと思います。