昨日は、社内で今年初めの「磨き初め」を行いました。年始に今年自分が深めていくテーマを漢字一文字に託し、それを一枚の貝に刻み、紙やすりで磨き光らせるという実践です。今年は磨き合いといって、仲間と一緒に手を取り合って手のひらにのせて貝を磨き合うということも行いました。
相手の手をお借りして磨き合う、その後は相手の貝を自分が代わりに磨き合う、その一つ一つのプロセスはとても豊かで助け合い生きていく人間本来の姿を現しているようで仕合せな磨き初めができました。
私たち人間は本来、自然の中で生き残るためには協働しなければここまで生き残ることはできませんでした。弱肉強食というのは人間の刷り込みであり、本来、自然では生き残るものが強者であって力が強いものが強者ではありません。生き残るためには、お互いに助け合わなければ生きてはいけなかったのです。
今の時代は個人主義が蔓延し、税金を払えば国の社会制度によって守られるため協働しなくても個人で生きていけると勘違いしやすい世の中です。しかし人は決して一人では生きられず、誰かの助け、言い換えるのなら多くの人々の御蔭様によってはじめて生き残ることができます。
そして人間は我慾によって利己的になりますから、それぞれで己を磨き利他的になっていくことで生き残る力を守ってきたとも言えます。これは単に何かをやすりで磨けばいいということではありません。
仲間とつながり分かち合い助け合う能力を磨くということが、本来の「磨く」ということなのです。
あげるからもらうへ、もらうからあげるへ、御蔭様とお互い様に生きていく、、、これを二宮尊徳は推譲と分度という言い方をしました。本来の人間らしく生きていくためにも、お互いの絆を深めていくために思いやりの社會を実践していくこと、それは「つながる」チカラを守り続ける人類の叡智です。
そのつながり続けていくためにお互いが磨き合うのが叡智そのものなのです。だからこそ私たち人間は、仲間との絆を守って助け合って共存共栄する互恵恩徳社會であったことを忘れずにその叡智であった人類のことを信じ切っていることが何よりも肝心なのです。人類はそうやっていままで生き延びたのだからまたそうなるのは揺るがないというのは自明の理だからです。
引き続き、磨くことを通して「徳」を高めていけるようこの一年もまた精進していきたいと思います。
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「互恵関係」とは、「与え合う関係」だけでなく、「善きものを引き出し合う関係」でもあるでしょう。そして、その「関係力」は、その「繋がり」の強さによっても違ってくるでしょう。「関係力」を高めるには、「磨き合う」というプロセスがとても有効です。「磨き合い」は、「認め合い」でもあり、「励まし合い」でもあります。それが「生かし合い」となるとき、より強固な「繋がり」になるのではないでしょうか。
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今年の磨き初めは、皆で手を取り合ったからか、まずたくさんの声が聞こえ、笑いが止まらず、1人では体験できない感情や感覚をたくさん頂きました。手を取り合う体験が、絆を深めるように思います。こういった体験はやはりたくさんの方が必要としていると感じます。そして、一体何のためにやるのかと追求する姿勢が大切だと学びました。今日の1日も忘れずに歩みたいと思います。
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相手の手のひらだと「その人と磨き合っていること」を意識できますが、本当は日々の掃除やものの手入れなど、例えば古民家の床を磨いている時でさえも、実はそれは家との「磨き合い」を行っているのであり、家との繋がりが深くなっていくほどにそれは自分を助けてくれているのだと体験が繋がるような思いでした。生きていく中であらゆるものと磨き合い、助けて助けられていることを忘れないようにしたいと思います。
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磨く尊さをこの一年体験し、改めて初めて館山で見た貝、そしてあそこから磨くことがはじまったことを思い出します。宝石のようにどれもキラキラ輝き、「透明ないのち」その意味を柱や床にも触れる中でだんだんと感じ入るものが増しています。手が触れることで思いやりが増し、想いが増し自分一人のものではなくなる。そこに人類の叡智を感じます。