色々なご縁を辿っていると、あの出会いがまさかこうなるとはと人は感じるものです。その時、分からなかったことが後々に自明してくる、まさにご縁は縦横無尽に時を超越して結ばれてきます。
人が人と出会うのは、果たして自分の意思だったのかそれとも自然にそうなったのかと考えてみると私は後者の自然にそうなったのではないかと思います。これを天命といいます。
人は誰にしろ天命があり、その人の使命や定めというものがあります。その宿命はその人のいのちに決まっていますがそれをどのように感じるか、それをどのように味わうかはその人の選択になります。
素直に生きていく人はみんな自分は運が善かったと言います。これは来たものを受け容れてそれを感謝で味わっていく能力が高いということです。素直の能力とは、訪れたご縁に対して素直に謙虚で生きていく才能というものです。
その才能はどのように伸ばし磨くのか、それは日々に発生するご縁に対してどれだけ真摯に反省し、一つひとつを学び直していくかということです。直すというのは磨くということです。人格を磨いていくのは自分の間違いに気づき、その間違いを直していくということです。そして判断基準は自己を中心にするのではなく、いただいたご縁に感謝することを中心にしてもしも自分に感謝が足りず間違っている姿勢があればそれを素に直すということです。素は人間はみんな正直です。その正直な自分でいられるように人は感謝を学び謙虚を実践するのでしょう。
人は磨かれていくことで研ぎ澄まされ天命がはっきりと観えてくるように思います。日々の出来事の受け止め方、受け取り方こそがその人の素直の能力なのでしょう。
引き続きご縁を大切に、日々の学び直しを深めていこうと思います。
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遅くらばせながら今日から貝を磨きはじめました。ありたい姿を定めながらも中々現実は難しく荒々しい自分に気づきます。いつの時代のどこの海を旅していたのか分かりませんが、第二の人生で偶然巡り合ったからには後悔なきよう、輝かせたいと考えてしまいます。それは自分自身も同じくですが貝を通して、磨くことを通して1年かけ、一生かけて磨いていきたいと思います。
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これまでの「ご縁」を振り返ると、いろいろと感じることがあります。ひとつは、自分の修業の進み具合に応じて、すなわち、成長に応じて、会わせていただける人がいるということ。もうひとつは、それを見込んだかのように、何十年も前から「縁づくり」と言うものは仕組まれているということです。「どうして今なのか?!」というのは、そのときにはなかなかわかりません。それよりも、日々の課題に一所懸命に取り組んでさえいれば、条件が整った時に、次のステージを開くべく、必要な人に逢わせていただけるのではないでしょうか。過ちを正し、間違いを正し、愚かさを正しながら、一歩一歩歩んでいきたいと思います。
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縁は既に繋がっているものでそれを如何に強く結ぶか、というお話が以前ありましたが、聴福庵とのご縁もそうですが、そこから更に繋がっていくご縁が面白くも不思議にも思えます。安心して繋がりを信じて生きていくこと、一期一会の真心を尽くす生き方に近づけるよう自分を磨いていきたいと思います。
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いつも、学び直しているかといえば、ただ、学んでいるだけの時があります。学び直しとはまっさらな気持ちで聴けることのように感じます。価値観が変わらなければ、変化をしていないという事。それは成長とは言えないかもしれません。ちゃんと丸ごと聴き、丸ごとモノにするその素直さとスピードを忘れずに大切にしたいと思います。