人はお互いに言葉を交わし心を通じ合わせることでお互いのことを理解して社會を形成していく生き物です。しかしうまく心が開けなくなりお互いに誤解を生み、心が通じ合わせにくくなることもあります。
人の心は正直で、心を通じ合わせることは時には傷つき時には勇気が必要になります。自己防衛から余計に心を閉ざして相手の心との通じ合いを避けてしまえばそれ以上相手との距離は近づくことはありません。自分の本心や本音を交わせなくなればお互いに探り合ったり読み合ったりする関係になってしまいます。そうなると本当の意味でお互いが素のままになることはなく、お互いに思い込みや先入観、色眼鏡をかけて相手をつくりあげてしまうことになりさらに対話が難しくなるものです。
私は社業で聴福人というものを実践し、それを世の中へ広げています。これは相手の話を聴くということが福になるということです。そして本来は、聴くことで福が訪れそうやって互いに協力し合っていく生き物が人であるという意味です。
相手を思い込む前によくお互いの話を聴いてみるというのは、コミュニケーションの方法論よりもとても大切なことです。勝手に自分の思い込みで相手を判断するのは、自分にとって都合が悪かったりするからです。本来のその人に何か理由があるのだろうと相手を思いやり、事情を汲んであげて相手の心に共感することではじめて人は心を通じ合わせていくことができます。
自分の都合の悪いことは聞かない、自分にとって都合の良い人になってもらおうとするのは相手を心底認めているわけではありません。どのような人物で何を大切に思っているのか、または自分にはない尊敬する部分がどこにあるのか、他には自分以上に自分のことを心配してくれているとか、相手の素晴らしいところを沢山見出していくことがコミュニケーションをしていく上で何よりも大切なことなのです。
対話は二元論でどちらかに偏ってはできませんから、私は一円観といい〇の中で偏らずにみんなで大切なものを味わっていくという仕組みを用います。これは都合を排除し、全部丸ごとで傾聴するというやり方です。
人は自分が否定されているとか、相手を認めないという姿勢では人の話は聴けません。人の話を聴くというのは、絶対肯定されていることと、お互いに認め合っている場があるということが大前提です。
人間が仲良く思いやって暮らしていくことができれば、そこには楽しい場が生まれます。場が生まれればその居心地の良さに心が歓びます。引き続き、聴福人の実践を子どもの現場に弘めていきたいと思います。
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人を「ちゃんと理解する」というのは、ほんとうに難しいことだと改めて感じています。素直に向き合っているつもりでも、聴いている内に自分の人物判断基準が働き出して、自分の価値観で勝手にその傾向性を裁いたりしてしまいます。そのうちに、聴いていないところまで想像して「こういう人だ」と判定してしまいます。裏を読む癖も、素直さの対極にあります。ちゃんと心を「聞き届け」られるよう、もう一度、一から学び直してみたいと思います。
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一円対話をこれまで何度もし、聴福人も何度もしてきました。ただ同じ一円対話になることなど一度もなく、毎回新たな気づきがあります。そして同時に聴く難しさも感じています。仕組みの中で学んでいることが多いですが、自分の言葉で発信していけるようもっと自ら掴みに行きたいと思います。
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以前、ある園の聴福人の先生の話から「絶対肯定されていること」がどれだけ人の心をオープンにするのかを教えていただきました。これも聴く時だけ意識して上手くいくようなものではなく、生き方がそもそもどうであるかが問われてくることを思うと、一瞬一瞬が真剣勝負ですが、心がありたいと願う方を歩んでいきたいと思います。
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研修だからや、仕事だから聴福人を始めるきっかけもあるかと思いますが、一円対話を重ねる中でその位置づけが変わっていく先生方を見ては、実践を促す環境があるということは凄いことだと改めて感じます。自分自身も聴福人として働きたいではなく、生きたいとなったのも一円対話のお陰様です。
先生方と一緒に深めていきたいと思います。