人は何に時間をかけるかで何を信じているかというものが顕れてくるものです。私の会社も子どもの憧れる会社を目指そうとしていても、それが1年や2年で突然できたのではなく十数年も時間をかけてそれが実現してきています。
言い換えるのなら、時間をかけたことで実現したとも言えます。この時間をかけるというのは、時間が応援してくれたということでもあります。初心や信念は時間という支援のもとに醸成されていきます。
それは例えば、まるで酵母が発酵してお酒を醸成するように、まるで種から芽が出て木が大きくなり花が咲き実がつくように時間をかけることで実現するのです。今ができないからとか、今がそうでないからと嘆く前に、何に時間をかけるかをまず定めることが理想を実現するシンプルな方法だと感じます。
時間をかけるというのは、信じて待つということです。この信じて待つというのは、理想を諦めずにその理想に向かって実践を継続していくということです。なりたい自分やありたい自分、何のためにという本質に向かって自分自身が信じ続けるということです。
世間では信じるということがよく理解されておらず信じるか信じていないかと二元論で語られ信じるということの刷り込みに分からなくなってしまうようにも思います。この時間をかけることが信じて待つことであるということに気づけば、後は天にお任せして人事を盡すという心境になると思います。
時間をかけることの価値は、自分の力ではなく多くの御蔭様、また他力の有難さによて事が成就していくという真実に現実を合わせていくことのように私は思います。自然農でも自然発酵でも、伝統においても共通するのはすべてはこの「時間をかける」ということにおいて実現しています。
一度きりの人生だからこそこの時間をかけるという価値に気づく必要があると思います。便利に思い通りにいくことが最良だと思われている昨今において効果効率を優先する思考が根付いてしまえば時間短縮が価値のように思われていますが本来の豊かさや価値は時間をかける中にあります。
これからも時間をかけて信じて待つことを子どもたちに譲っていきたいと思います。
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「焦り」とは、「時間を待てないこと」です。ものごとの変化に、「早い遅い」はありますが、すべてにおいて「時間」が必要です。私たちの見えないところまですべて見えれば、「時間をかける」ということのほんとうの意味もわかるのかもしれません。「焦り」は自分都合を浮き彫りにしてくれます。「信じて待つ」のは、「変化」を信じることです。すべては、良き方向に変化しつつあることを信じ、その過程を付き合うことが大事なのではないでしょうか。
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足し算ではなく掛け算のように時間が掛かった分、自分自身の自信はどんどん膨らみ本当に醗酵のようです。カグヤへ入った頃よりも今の方が焦りが減ったように感じるのは、時間とともに変化していくカグヤや仲間、そして自分に実感を何度も感じられているからです。今必要なことが起きているのだと信じ、腐らず淡々と実践を積んでいきたいと思います。
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物事の判断には、我欲なのか、タイミングなのか、とても難しいところを感じます。なんでも向こうからやって来るのを待つイメージはありますが、来たものを受け取る際もとても難しいところです。みんなの為になっているか、運が悪くならないか、運が良いか。永い目を持って向き合って行きたいと思います。
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ある保育園さんにお伺いした際に、発表会のプロセスを丁寧に伝えている様子を見せていただきました。結果自体をみれば以前よりも「見栄え」は劣るのかもしれませんが、そもそもの目的が定まった取り組みには結果からはみえない多くの輝きがあることを感じました。日々、今、いただいているものをよく観ていきたいと思います。