心の燃え方

炭を深めていると炭の置き方で火の保つ温度、その燃焼時間が変わってくるのに不思議な感覚を覚えます。炭にも一つ一つに個性があり、その個性をどのように配置すればどのような火がつくのか、そしてお互いが活かしあうのか、大きさも形も密度も異なる炭だからこそその置き方に熟練の洞察力や観察力が必要です。

また燃焼にも、乾いている炭と湿っている炭があります。炭には炭を置く順序というものもいります。何を中心に据えて何を周囲に配置するか、その間合いと関係性の順序がズレれば火は熾りません。

私の尊敬する柔らかく優しく落ち着いたか穏やかな火は、水と和し、心に沁みいる美味しいお湯にしていきます。この穏火を扱えるようになるには奥深い日々の炭実践が必要です。火に同じ火は決してなく、火はその時々の環境、そして心境、また気候、気温、具合によって多種多彩に無限に変化しますからその時々に語り合うように接していくことが大切であると私は感じます。

炭本体からは少し離れますが、火の熱にも熱の種類があります。

これを人に置き換えれば、心の熱というものがあります。この心の熱は同じ熱はありません。怒りの熱や喜びの熱、哀しい熱や楽しい熱があります。このどの熱も燃えるためには必要です。

火はこの変化あらゆるところで発生させています。火とはこの熱量のことで、火を観るように熱を観ればそれがどのような熱を帯びているのかが伝わってきます。人はその熱によって周りが変化していきます、自分がどのような熱を帯びているか、その熱の手入れは自分でやるしかありません。

毎日、楽しそうに喜びの中にある火はとても快活で周囲を明るく朗らかにしていくものです。好奇心に満ちたその火はワクワクドキドキ、子ども心にも火をつけてたくさんの子どもたちが遊ぶように学び、その火を世の中に広げていきます。

怒りや悲しみの火は、対照的に子どものその火を暗く覆いかぶさっていくものです。

どのような火を燃やすか、どのような熱を発するかは、自分自身の心の持ち方にあります。自分自身の燃え方が心の持ち方ですから、心の持ち方を学ぶことは心の燃え方を学ぶことでもあります。

私は炭のことが大好き過ぎて炭のように暮らしていく楽しさを味わっていいます。炭道楽はまだまだ始まったばかりですが、炭から学んだことを実用の仕法へと昇華していきたいと思います。

  1. コメント

    「炭の火」は「薪の火」とは違って、炎の火でも照らす火でもありません。確かに、赤々と燃えますが、輝くような火であり、とても静かな火です。また、消えているように見えても、中はしっかり燃え、高い温度を保っています。よく「熱意は振り回すものではない」と言われますが、秘めたる思いを、静かに、長く、最期まで温度を下げずに、燃やし続けたいと思います。

  2. コメント

    電気やガスで沸かしたお湯とはまるで違うのは飲めばはっきりとわかります。電気やガスでも沸騰させることは出来ても、炭で沸かした熱を感じることはないなと思います。その場限りでモチベーションが上がるのではなく、内側から燃え続けるような心のあり方には、自分自身で整え工夫し自分で息を吹くように見守り続けることでもあるのだと感じます。それを慎独と呼ぶのかもしれません。そして、これまでだったらそこに重きを置いてきましたが、それだけでなく楽しむ心も大事に灯していきたいと思います。

  3. コメント

    義憤なども大事ですが、それが過ぎた際の怒りで生まれるチカラは本物ではないことを初心会議で教えていただきました。戦いは戦いを生む、やはり伝道するなら楽しくワクワクする正のエネルギーを伝えていきたいものです。ある方が応援とは約束だと言っていましたが、「ニコニコ顔で命懸け」の方の楽しさを、満足ではなく充実の方の楽しさを、自分自身が大事にしていきたいと思います。

  4. コメント

    誰かを見て燃えたり、何かを見て燃えたり、色々な燃え方がありますが、誰を見ずとも何は無くとも、素直な燃え方をしたいものです。好きであること、明るいこと、それ自体が素直な燃え方のように感じます。今を生きる燃え方に歩みを進めてみたいと思います。

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