私たちは日本語を用いる日本人ですが、世界には様々な民族が存在します。その民族はその風土と歴史によって独自の文化を発展させ、それをそれぞれの個性として大事に守ってきました。
その中には衣食住をはじめ、宗教、精神、生き方に至るまでそれぞれの独自の価値観を持ち先祖たちの生きざまが私たちの生きざまに色濃く滲み出ています。現在はどこの風土であっても、均一に画一的に同じ環境を用意することで金太郎飴のようにどこでも同じ風景になってきました。それは衣食住に限らず人間の精神も価値観もまた同様に単一化してきています。
これはある文明がそれまでの自然を征服し、どのような自然環境であっても自分たちの文明が凌駕しているという価値観の証明でもあります。この一つの価値観のみで世界を包むというのは、その気候風土の多種多様さを無視して自分が頂点として支配しようという考え方です。支配というものは、一つの価値観にしてしまうということです。そこから人間の中にある差別もまた生まれ、戦争の種を蒔いていきます。
お互いを尊重するというのは、それぞれの価値観を尊重するということです。それは多種多様な気候風土を尊重し、その中で暮らしてきた民族の精神と生きざまを尊重するということです。
民族の個性というものは、支配の歴史で語るものではなく自然との共生で語られるものです。その自然が風土として顕現してきたその土地の民族、それは生物多様性がある豊かで仕合せな永続する社會の実現です。
地球環境においても生物多様性は、それぞれがお互いを認め合い尊重し合う中で生み出してきた「自然の恩恵をみんなで分かち合う自然の仕組み」です。「誰も損することもなく、誰も得することもない世界。」それはお互いが思いやり豊かに地球と共に永遠に存在していくための唯一の方法です。
文明と文化は丸ごと自然そのものとも言え、それは破壊と創造によって甦生していくものです。これは歴史が語るように、病気から回復し健康になり再び病気になるように常に繰り返しを已みません。調和は常に破壊と創造によって行われます。現在、人類の歴史で私たちが知っているのはまだまだ短いものですが、今は時代の転換期を控え長い目で観てもう一度色々とこれからどうなるのかを子どもたちのためにも見つめる必要があるように思います。
しかしそんなに遠い遠い先の将来のことを考えなくても、現在の多種多様な個性、また生物多様性が失われてくればそのうち絶滅の危機に瀕することは火を見るよりも明らかです。だからこそ自分の個性を大切にし、日本民族の個性を大切にし、大切な自分たちの風土を醸成し続けることを已めるわけにはいきません。
私が文化や暮らしを子どもたちに譲ろうとするその根底には、この時代の調和や転換期にどのように風土の歴史を伝承していくかということの一点に由ります。初心伝承とは、民族の初心の伝承です。
原点が失われればそれはもはや個性とは呼びません。
常に原点・初心を忘れず民家甦生を楽しみつつ転じて子どもたちにちゃんと受け渡したいと思います。
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「あらゆる価値観」を認めると、秩序を守ることは難しくなります。これまでの歴史は、支配しやすいように、都合のいい「価値観」が利用されてきたのでしょう。そういう意味では、「価値観の多様性を認める」ということ自体が、大きな価値転換です。そろそろ「支配の歴史」を終わらせ、寛容の精神と調和の力を学び直す時期に入ってきたのかもしれません。
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少し前にNHKスペシャルで「最後の秘境 イゾラド(先住民)」を観ました。文化の中に取り込み、知らない間に葬っていく方法はアイヌのレラさんから聞いた話と同じでした。ただ自分自身にも多かれ少なかれ、自分の思い通りにいかせたいところがあると感じています。身近な人へほど当たってしまうことがありますが、お互いを活かし合う場づくりを大事にしていきたいと思います。
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園の理念で「ふるさと」という言葉がつかわれるのも、意識的にも・無意識の中でも、民族の原点というものがあるからのように思えます。自分を大切にする心で相手を大切にするように、日本民族が大事にしてきたことに目を向けてそれを守っていくことは、最近の体験でも特に強く感じるところです。それを使命ではなく、楽しいから、やりたいからやるのだという自然体で取り組んでいきたいと思います。
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何を残し、何がなくなるのかはその時々の人々が判断しますが、どんなものがあるのか、その存在を知らなければ判断材料にもならない事を思うと、実践と発信が大切なねだと感じます。伝道師の役割を見つめ直したいと思います。