今では商人とは何かということが曖昧になり、いわゆる商売をする人たちをみんな一括りに商人と呼びますがかつての商人とはどのようなものだったか近江商人の家訓や心得から深めてみようと思います。
近江商人は、鎌倉時代から昭和にかけて活躍した滋賀出身の商人集団のことを指しました。この商人の理念には「三方よし」という思想があります。これは「売り手よし、買い手よし、世間よし」というものです。
この三方よしの考え方は現在の日本的経営の一つにも例えられ、如何に世間の皆様によって最も善いことになるかを常に考え行動することが商人であると理念を定めています。また「利勤於真」(利ハ勤ルニ於イテ真ナリ)という実践徳目もあり、これは商人の利益はその任務に懸命に努力したことに対するおこぼれに過ぎないとし、勤労を優先し利益はその結果として出てきたものに過ぎないと真心を優先することを大事にしました。
近江商人には、商売十訓というものがあります。ここには近江商人の生き方の事例が紹介されています。
・商売は世のため、人のための奉仕にして、利益はその当然の報酬なり
・店の大小よりも場所の良否、場所の良否よりも品の如何
・売る前のお世辞より売った後の奉仕、これこそ永遠の客をつくる
・資金の少なきを憂うなかれ、信用の足らざるを憂うべし
・無理に売るな、客の好むものも売るな、客のためになるものを売れ
・良きものを売るは善なり、良き品を広告して多く売ることはさらに善なり
・紙一枚でも景品はお客を喜ばせばる
・つけてあげるもののないとき笑顔を景品にせよ
・正札を守れ、値引きは却って気持ちを悪くするくらいが落ちだ
・今日の損益を常に考えよ、今日の損益を明らかにしないでは、寝につかぬ習慣にせよ
・商売には好況、不況はない、いずれにしても儲けねばならぬ
ここに商人とはどういう生き方をすべきか、そして商人の志すものは何かが記されているように思います。特に近江商人は「陰徳善事」というものも掲げ、人知れず見返りを求めずに徳を積むことを重要視したといいます。
今ではすぐに職業や肩書、人気や流行から評価して人を観ますが、本来はその生き方をする人が何の職業をやっているかとその「人物の生き方」を観ることが本来の働き方の確認なのです。つまり古来の日本的精神、士魂を持った人が商才を使っただけでその風土の日本人の生き方がどうだったかということです。
世の中では働き方の改革と言われますが、その前に自分の生き方がどうなっているのかを見つめることが必要だと思います。単に会社の制度や取り組みを換えればいいのではなく、その根幹にある生き方を同時に換えることが働き方改革の本質だと私は思います。
商人として自分の生まれ落ちた天命の中で、しっかりと日本の心を持って働くということが商いを通して社會を善くしていくということです。その働き方は、常に自他も善く、そして世間も善く、それを喜びにして生きていくということです。
世の中の平和平安の祈りに生きたその生き方、働き方こそ商人の基本なのでしょう。日本の商人の道に私は誇りを思います。
引き続き社業を見つめながら日本的経営を学び直していきたいと思います。
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「ウィン-ウィン」という発想がありますが、これを「三方よし」と比べると、大きな欠陥があります。それは、視点が短期であり、当事者間の部分最適であって、「長期的かつ全体的な調和を保ち、永遠の循環も守る」という思想が欠落しているということです。経済は、「売り手と買い手、需要と供給の関係で決まる」と言いますが、「道徳を忘れた経済」は「商人道」からは外れてしまうのでしょう。
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「三方よし」は聞いたことがありましたが商売十訓は初めて目にしました。今でもそのまま活かせる実践徳目ばかりで生き方をもって商いをしていたのだと思うと、当時とは売買しているものは異なったとしてもその心意気は変わらないものなのだと感じます。今の時代だからこそかえって日本的経営は自分たちが本来持つ風土を思い出すきっかけにもなるのかもしれません。先人から伝わる生き方を現代に体現していけるよう実践を重ねていきたいと思います。
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自分の想いと行動の間にあるズレは本質でないことが原因なのだと感じます。 本質をつかむためにも、本質であり続けるためにも、自分に問いかける事を大切にして行きたいと思います。
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「商売」「商人」とは言いますが、商売十訓をみると人間だれにも必要である不変のものであるように感じます。それを思うと「商い」という言葉自体にも自分の中の刷り込みがあるのかもしれません。あらためて先月からの引き続きのテーマである「士魂商才」の意味を深めながら、皆が育っていく働きを大事にしていきたいと思います。