先日、古民家甦生を実践する聴福庵の板を渋墨で仕上げていきました。この渋墨とは、柿渋(渋柿の未熟な果実を粉砕し圧搾して得られた汁液を発酵、熟成させたもの)と松木を焼いた煤(松煙)を混ぜたものです。古来からある伝統技術であり、防虫・防腐効果のある天然塗料として家屋のあらゆるところに使われてきたものです。
今は耐久性や作業性の良いペンキやラッカーなどの油性・化学塗料の普及で渋墨はほぼ消滅しているといいます。
この渋墨の上品な黒色は、化学合成のオイルステインで出てくる黒ではないことは一目瞭然でわかります。古民家甦生を通して暮らしも復古創新している最中ですが私が取り組んでいる炭とこの渋墨の相性はとてもよくあらゆる場所で重宝しています。
そもそも隙間の多い日本家屋は、外界の自然と離れずに一体につながったまま存在している家屋ですから防虫はとても重要です。さらに高温多湿で常に水気が多い部屋ですから防腐もまた重要です。
伝統の智慧は風土の影響を受けて発達しますからこの渋墨は日本の気候風土そのものが産んだ最高の技術の一つです。
柿渋は以前のブログで書きましたが、この渋墨はその柿渋に松煙といった煤を混ざるという発想。これは暮らしから出てきたのではないかと私は思うのです。囲炉裏で松を燃やせば煤が出ますが、その煤が壁につくと奥行のある深い黒が出てきます。そして煤がつけば虫が来ないというのを先祖は経験から知っていたのでしょう。それに発酵する清酒を入れることで、塗料として合成する。よくできた仕組みを感じながら塗るたびに出てくる色の深さにうっとりしてきます。
松煙の色は、炭の持つ色にとても似ています。
私はこの炭の色がとても好きで、夜の深い闇の色を観ているようで穏やかな気持ちになってきます。闇が失われてきた時代、どこでも電気が明々とつき都会は暗くなる時がありません。まるで闇を遠ざけているかのような現代です。
しかしこの闇は、心の時間を与えてくれるものであり休む時間を持たせてくれるものです。この闇の時間があるからこそ、いのちのエネルギーは甦生します。私が炭やこの闇の色にこだわるのはこの古民家が子どもたちの心を癒すように願うからです。
引き続き、渋墨を用いて深い奥行のある墨の色、暗闇を創出していきたいと思います。
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周囲にあっという間に馴染んでいて、言われなければ気づかず素通りしそうですがまた新たな物語が加わったのだと嬉しくなります。何でも受け入れ聴きいれてくれているようで、どんな想いで家はいるのだろうと思います。小さい頃、暗いのが怖くて何か出てくるのではとそんなことを思っていました。ですが、聴福庵の夜は昼とは一味違う姿を見せ、光ではない明かりに灯されボーッと過ごしてしまいます。夜の時間は特別なものを感じ、保育園で暗闇を体験させているのも直感的にきっと何か関係があるのだと思います。変化し続ける度にその味わいを感じさせて頂いていることを忘れず、今できることを一つずつ行っていきたいと思います。
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そう言えば、日常生活では「真っ暗闇」はほとんどありません。また、「全くの静寂」も経験しなくなりました。常に明かりがあり、いつも何かの音がしています。そういう意味では、ざわついた日常の波動から離れて、心を整えるという時間と空間が持てていないかもしれません。光と音のない世界の意味を考えてみたいと思います。
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家と当主との関係を想像してしまいます。思いを込めて、素敵だと、奥ゆかしいと、感じながら家を手入れする。そこに生まれる家との関係性。素敵で奥ゆかしさを感じます。暮らしの姿勢で家との関係性が生まれるからこそ、自分自身も毎日の掃除、手入れを大切にして行きたいと思います。
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闇は癒しだと以前聴きましたが、なかなかそのような感覚を得ることが出来ないのが今の時代のように思います。光が正で闇が悪というようなイメージもどこかに知らないうちに沁みついているように感じますが、昼と夜の振り幅はいのちのリズムのようなもので、闇を遠ざけるのはその呼吸を聴かないのと同じなのかもしれません。もっと大きな動きの中に自分の身を置いてみたいと思います。