人は自分の間違いに気づくことで素直になるものです。どう考えてみても分からないものを「分かりません」と素直に言えるところに心の明るさがあるようにも思います。つまり素直さは、自分の心と向き合って分からないことが分かったといったありのままの姿を受け容れるということです。新しいことを学ぶときは、鮮度というか生々しさが必要でその生々しさを味わい感じることで新鮮な学びを持つことができます。
人は誰でも新しいことを学ぶとき、今まで使ったことがない筋肉、また脳の回線がつながっていないところで理解するしかありません。今までにないことを学ぶのは、今までにない自分の発見でもあります。発見というものは、今まで気づかなかったところが急につながるような感覚があります。「これはすごい!」という気づきや感動はそのまま感動のままに新しい回路につながり新しい筋肉を動かしていきます。
今までにないもの、分からなかったことに気づけた悦びは楽しみに変わります。人が変化するというのは、この学びの鮮度を高めていく必要があると私は思います。
できない理由ばかりを思ったり、分からないからよくないと思ったり、最初から無理だと諦めたりする前に、物事に対して出来事に対して素直に取り組んでいくという姿勢が学びの鮮度を保つ方法だとも私は思います。
学びの鮮度の高い人は、新しいことに挑戦して次々に自分を変化させていきます。それは生々しい体験とセットですが、この生生しさを全身全霊で感じながら味わいながら進んでいくのです。言い換えるのなら、感動しながら働き、感動しながら学ぶのです。
頭でっかちに考えてしまうとこの感動する気持ちが減退していきます。それはすでに鮮度が落ちている証拠です。同じ仕事などが発生することは一度としてなく、同じ出来事が起きることも一つとしていない。同じことだと思い違いをしてルーティンにしマンネリ化するのは自分自身の心です。
人間は同じことをしているうちに頭で処理できるようになりますが、無理やり自分の思い通りのものにすり替えてしまっているだけです。似ている事例を似ているようにやって学びの鮮度が落ちてしまえば新しいことに気づく感度は急激に減退します。
常に物事を究め上達し、変化し続ける人物は感動する心を持っています。感動する心があるから改善と工夫を怠りませんし、まただからこそ感動も続きます。つまり心の姿勢が素直で謙虚であるのです。
何が間違っているのか、その大前提を直すことは自分を変化させていくときの要諦です。新しいことに取り組んでいない日々は一日たりともないのだから、その変化を感動のままに楽しむ工夫を行うことです。それは気づいたらすぐ変わる、気づいたらその場で変わる、変化を迫られる前にサラリと自分の方が先に変わることです。
変化こそ、自然体であることを自覚し感動の心で新しいものを追求し道を深めていきたいと思います。
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人は、「変化を迫られてから」では、なかなか変わることができません。要求された通りに変わろうとするのは、変化の本質からズレていますし、それは自己変革とは言えないでしょう。やはり、「変化を迫られる前に、サラリと変わってしまう」ということが理想であり、そこに「鮮度」が出てきます。急変、大変するのではなく、日々気づく度に素直に変化し続けられるようでありたいと思います。
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「一人の天才ではなくチームとして協力することで『集合天才』となり、一人を超えた智慧となる」という話は、まだまだわからないながらも今実感しているところでもそれは自分たちにとって核となる部分だと感じています。お互いがお互いの育ちのための環境となれること、必要とされること。そんな素晴らしい関係でいられるかは自分の心次第なのだと、今日も気づける素直さをもっていたいと思います。
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同じカンボジアの地を訪れて見て感じたものも10年前と今とではその鮮度は違います。ですが10年経ったからこそまた感じられるものもあり、その新鮮さに感じ入るものもあります。あの時の気持ちを思い出し、そして今があることを大事に学んでいきたいと思います。
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無理をしていては素直に感動して変わりづらいことを実感しています。無理を見つめると様々あり、初心を忘れさせるように自分が無理をさせていることもあるのだと感じます。自分自身だからと雑にせず、子どもにだったらどうやって初心のままに居られるように寄り添うか。自他を分けずありたいと思います。